10月25日、札幌市内で
 10月25日、札幌市内で

2018・10・26

見延庄士郎さんに会う

 

札幌で、北海道大学教授の見延庄士郎さんにお会いする。明治30年代、庄士郎さんの曽祖父見延善七と私の曽祖父見延梅吉は札幌市内で隣合って暮らしていた。


福井県にルーツをもつ見延一族のなかでも、かなり近い関係にあったと考えられる。これまでもメールでやりとりをしていたが、実際にお会いするのは初めて。このように会うことを、きっと先祖も喜んでいるだろう。

 

「私のルーツ」ご購入方法

『私のルーツ』は以下で販売しております。(一冊1200円)

 ➀「頼山陽ネットワーク」公式ホームページ  

 ②本文社(発行元)☎082(259)3925

Amazonは品切れ中、申し訳ございませんが、今後は出荷いたしません.

本ホームページのメールから、「お名前とご住所、冊数」を書いてお申込みされた方に限り、著者サイン入り、送料180円でお届けします。その際、振込み口座番号をお伝え致します。よろしくお願い申し上げます。

 

2018・10・25 「『私のルーツ」を一冊お願いします」

 

匿名さん「「私のルーツ」1冊お願いします。」

梅庵さん「中国新聞セレクトのマイルーツ編を拝読させていただきました

     よ~」

 

2018・10・8

木内さんからのプレゼント

 

ルーツ探しをしている時に知り合った木内由晴さん。お互いの先祖は明治21年に徳島から札幌郊外篠路兵村に屯田兵として入植した。

その木内さんが、お嬢さんが作成されたという切り絵をプレゼントしてくださった。木内さんはもちろん、お嬢さんともお会いしたことがないのだけれど、130年前の先祖を通じてこんなふうに交流する不思議。先祖からの贈り物でもある。

 

 


2018・9・12

Sさん「よく調査されましたね」

 

よく調査されましたね。「父方」「母方」に分けていましたが、「母方」の方が面白かったです。

特に120ページから始まる郷土史(開拓史)関連の記述は、小学校時代のワークブックによる学習とも重なり、その時代の愉しかった勉強が蘇ってきました。「勝者(薩長史)史観」のご指摘も当を得ています。


162ページの「人が愛着のある土地を離れるというのは、そこには住めないと思い知らされることが大きな要因ではなかろうか」というのはその通りと思います。屯田兵の記述も興味をおこさせてくれました。

 筆致にニゴリなく、タンタンとした文体で、ノンフクションとして成功していると思いました。

 

ネットより
ネットより

南樺太は、明治37年(1904)日本が日露戦争に勝利し、日本の領土になった。漁業基地として発展し、林業、製紙業、炭鉱も盛ん。終戦の頃の日本人の人口は約40万人。この中には、北海道から移住した私の曽祖父母一家も含まれている。

写真集「望郷樺太」より
写真集「望郷樺太」より

「心配は無用、生業に励め」とも書かれているが、この言葉を信じた者はどのくらいいただろうか。

2018・8・13

戦火の南樺太(サハリン)

 

戦争について語られる頃になってきたが、南樺太(サハリン)の話はあまり知られていない。

樺太神社の祭りの様子 「望郷樺太」より
樺太神社の祭りの様子 「望郷樺太」より

 

8月15日、終戦の詔勅が発せられた(玉音放送)後、南樺太ではロシア軍の侵攻が始まった。

左の新聞は昭和20年8月20日付け「樺太新聞」で、23、4日中に豊原地区(南樺太最大の都市)にソ連軍が進駐してくると報じている。

南樺太は大混乱に陥る。その後、ソ連軍の侵攻は現実になり、ソ連軍の戦時国際法違反の攻撃により、幾多の尊い命が失われた。南樺太は終戦記念日を過ぎても、戦火の中にあったのである。

 

このような話は拙著『私のルーツ』を書いたときに知り、日本人として書き残しておくべくと考えた。よろしければ、ご一読ください。


2018・6・12

匿名さん

「見延さんの本を参考に」

 

私の先祖も、父方は北陸(福井ではないか?)から、母方は四国から北海道に渡ってきたのではと考えています。

挿絵の原画「とうきび」(見延画)
挿絵の原画「とうきび」(見延画)

私の両親はすでに亡くなっており、親戚とも最近会話がないので、詳しいことは分からないのですが、一度、わかる範囲でまとめておくのも子供たちや孫たちのために良いのではと考え始めているところです。

それで、見延さんの本を参考にさせてもらえればと思っています。

1冊で恐縮ですが、注文致しますので送付ください。

よろしくお願いします。

 

2018・6・8

五條瑛さん

「ルーツ探しの旅を堪能」

 

ルーツ探しの旅を堪能させていただきました。

やはりかつての仕事柄か、北海道編はときめきました。


波乱と冒険の匂い満載で、見延先生のご先祖さまの逞しさに興奮しました。

いろんな意味で、大変ではあったでしょが浪漫のある時代だったかと。

自分だったら、冒険小説にして書いてみたいです。

 

 

受付に「私のルーツ」
受付に「私のルーツ」

『私のルーツ』は「住人十色展」でも販売します。ぜひお越し下さい。

5/19土 13:00~20:00

5/20日 10:00~18:00
場所 合人舎 ウェンディひとまちプラザ北棟4F ギャラリーA、B

          入場無料

 

2018・5・19

『私のルーツ』発売中

 

当番が回ってきたので、NHK広島放送センターギャラリーへ。受付に座っていると、いろんな方から話しかけられる。


NHK広島「ひるまえ」より      『私のルーツ』表紙原画「防風林」と本
NHK広島「ひるまえ」より      『私のルーツ』表紙原画「防風林」と本

NHK広島放送センター2階ギャラリーで開催中の「透明水彩画展 花を咲かそう」の紹介での一コマ。

同展は20日(日)まで。

朝9時半~18時 入場無料

 

2018・5・17

NHK広島で『私のルーツ』紹介

 

16日、NHK広島「ひるまえ」で見延典子著『私のルーツ』の表紙原画「防風林」と本が紹介された。


2018・5・16 

東京のAさん「私も時間の壁に…」

 

ホームページをいつも楽しく拝読しております。

木内由晴様のおっしゃる通り、先祖探しは時間との壁ですね。

私も昨年末、祖母の家系の唯一の親戚を亡くしてしまい、大きな壁にぶつかってしまいました。

でも調べ始めたことにより、屯田倶楽部や見延様とお知り合いになることができ、これもご先祖様たちが遺してくださった贈り物かな??と思いました。

 

2018・5・14 会員様「購入希望します」

 

「私のルーツ」一冊 購入希望します

よろしくおねがいいたします

 

2018・4・27

木内由晴さん

「ルーツ探しは時間との戦い」

 

北海道屯田倶楽部の会報に記載された見延さんの「ルーツ探しの旅をエッセイに」を拝読しました。ルーツ探しは確かに時間の壁との戦いですね。時間が過ぎると情報が消えていきます。

第63号「屯田」2008年4月発行
第63号「屯田」2008年4月発行

木内の本家を探せば、徳島県の出身地に関する情報が手に入ると信じています。おれおれ詐欺があるため、電話ではまともに取り合っていただけないので、インターネットの力を借りて木内を調べております。

北海道の木内でも屯田兵の子孫でない方が、市の職員として勤務していたりして困難を極めております。

 

 


2018・4・24 『屯田』に『私のルーツ』紹介

 

『屯田』第63号(北海道屯田倶楽部)に『私のルーツ』が4ページにわたり、紹介されました。

     お問い合わせ  ☎011-761-8014

『屯田』第63号の内容
『屯田』第63号の内容

2018・4・20 

正兵衛さん

「『私のルーツ』を酒の肴話に」

 

「私のル-ツ」購入し、読ませて頂きましたが、見延先生のエネルギッシュな執筆、上梓活動には以前 名著『汚名』から敬服しております。


父が独身の頃、昭和20年に旧満州渡り終戦を迎えていることから、父の死後、「引揚証明書」「復員証明書」「定着証明書」「戸籍謄本」(昭和19年発行)を発見したことにより、祖父母以前のル-ツに関心を持つようになりました。私が十代のころに「roots」、「お登勢」を読み、NHKの「フアミリ-ヒストリ-」番組もあり、ル-ツ関心度が蓄積していたと思います。

 

見延先生の幅広い「護郷兵団関係者」「庚午事変」「屯田兵村の百年」等、幅広く記録書を読まれて執筆されておられることに敬意を表します。友人も定年を迎え何かと両親に加え、祖父母(明治生れ)の話になることもあり、本書を酒の肴話として紹介したいと考えています。

 

因みに私自身も子、孫そして曾孫~子孫の為に〖伝承〗として各記録・公文書(除籍簿、村史、兵籍簿)、血族によるヒアリング等により書いていますが、日本史の授業(先祖の文化、文政、天保…)と時代劇を連想させられます。それにしても見延先生、フットワ-クが良くお元気ですね(笑)。応援しています。

 

正兵衛さんへ

拙著『汚名』『私のルーツ』をお読みくださり、ありがとうございます。正兵衛さんもルーツ探しをされているようですが、正兵衛さんが書き残すことにより、ご子孫の中から関心を持つ方が出てくると思います。それとご指摘のようにルーツ探しには体力が必要ですね(笑)。多少なりとも拙著がお役にたてたようで、嬉しく思っております。

                             見延典子

 

 

2018・4・7  会員様「祖父以前の血族に興味」

 

『私のル-ツ』の購入申し込みをさせて頂きます。私は実父から実父の幼かったころから旧満州へ渡満して勤務したこと、祖父「父の父」の生い立ち~人生等を聞いていたことから祖父以前の血族に興味を持つようになりました。このような背景から子供、孫そして子孫にエビデンス、親族からの伝承、私の定年までの人生を「伝承」として書いています。以前、「汚名」をとっても興味深く読ませて頂き、今回フアンの見延先生の『私のル-ツ』を是非、購入したいと思いますので宜しくお願いします。

 

 

2018・4・5

ウェンデイ広島に「私のルーツ」

 

ウェンデイ広島(4月号)で、見延典子著『私のルーツ』について書きました。

 

会員様に配信致しますので、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 


2018・3・24 匿名さん「自分のルーツも調べてみたく…」

 

「私のルーツ」おもしろく読み上げました。私も自分のルーツを調べてみたくなりました。

 

 

札幌郊外「篠路兵村」兵屋配置図      見延典子の曽祖父は中山景太郎の株養子になった。
札幌郊外「篠路兵村」兵屋配置図 見延典子の曽祖父は中山景太郎の株養子になった。

2018・3・19

東京のAさん 🔁 見延典子

「中村均介の妻は私の祖父の姉」

 

中山様のご近所の中村均介の妻は、私の祖父の姉だということが、父のメモから判明いたしました。

できることなら、良好な関係であったことを願っております。


東京のAさんへ

 

2月11日付けでは、Aさんの祖父の兄の松木清一郎さんは福岡県久留米市(現在)から明治20年に「新琴似兵村」に入植した後、「篠路兵村」に入植した中村均介の二女を養子に迎えているというお話でした。

 

『屯田兵村の百年』には松木清一郎ではなく「松本清一郎」、出身地は「福岡県御井郡日吉村」と掲載されています。松本は誤植、旧住所は現在の久留米市名のでしょうね。

 

篠路兵村入植者名簿「中村均介」     その左の「中村直馬」も縁者であろうか。
篠路兵村入植者名簿「中村均介」     その左の「中村直馬」も縁者であろうか。

また中村均介(均の字は異体字か)は山口県出身とありますから、兵村を越え、出身県も越えた縁組だったのですね。当時の兵村の交流ぶりの一端が伺える貴重なお話です。今後も情報をお願いします。

                         見延典子

 

2018・3・13 

札幌の中山さん「息子たちにも継承していきます」

 

札幌の中山です。『私のルーツ』で中山系のルーツがより理解できました。白石にあった長濱牧場にはおふくろに連れられて何度か行き、親戚縁者が集まった席で、典子さんのお母さんにも会ったような記憶があります。あの洟垂れ小僧も今年72歳。中山家のルーツは息子たちにも継承していきます。

              ※中山さんは見延典子の母の従兄弟

 

2018・3・10

吉永小百合主演「北の桜守」

 

ある方から「吉永小百合主演『北の桜守』は見延さんの先祖と同じく樺太からの引き揚げ者の話ですよ」と教えていただき、封切りの10日に行ってきた。まず驚いたのは朝9時過ぎというのに、50人ほどの観客がいたこと。福山雅治より多い。恐るべしさゆりストパワー(笑)


 

(以下ネタバレがあります。読むかどうかは自己判断でお願いします)

 

次に驚いたのが、映画の中で吉永小百合一家が住んでいたのが樺太「恵須取」で、拙著『私のルーツ』で書いたように私の先祖が暮らしていたところと同じである。また同書P207で書いたソ連軍の攻撃に吉永小百合母子が巻き込まれ、伏線になっていく。これで完全に映画に引きこまれた。

 

だがショックを受けたところもである。吉永小百合(73歳)はムーンフェイスになっている。年相応の役なのだから、もっとシワがあってもいいのにと思っていると、終盤になって彼女が演じていたのは64歳から66歳だと明かされる(回想シーン以外)。64歳で認知症の傾向が表れ、66歳ですっかり老婆。映画館を去るとき、私の足取りは重かった。

 

 

2018・3・4 匿名さん「読むのを楽しみにしています」

 

「私のルーツ」を二冊希望します。

よろしくお願いします。読むのを楽しみにしています。

 

2018・2・28  NHKで北海道開拓の番組

 

今夜28日放送「ファミリ一ヒストリ一」(22時25分~)で石川県からの北海道開拓者の話がとりあげられるようだ。

 

北海道出身のお笑いコンビ、タカアンドトシのタカこと鈴木崇大さん。去年11月の相方トシさんに続いての放送。タカさんが特に気になるのが、母方のルーツだった。北海道に渡る前、石川県にいたと聞いていたがはっきり分からなかった。今回、雪深い山中に、かつての家の跡が見つかる。そして、ある災害に襲われていたことも明らかになった。それがきっかけでの北海道移住。相方・トシさんとの不思議なつながりも浮かび上がる。(NHKの広報より)

 

拙著『私のルーツ』目次の「略系図」にあるように、私の先祖も石川県から北海道に渡っている。「ある災害」というあたり、非常に興味がわく。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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