未来の子孫のためにつくった非売品の冊子ながら、ご希望の方がいらっしゃれば、ご連絡をお持ちしております。A4版 256ページ フルカラー。製本だけ業者に委ね、その他はすべて手作業。

2024・4・15

『私たちのルーツ』完成!

 

 丸2年の歳月をかけて、長濵好博さんとの共著『私たちのルーツ~能登から北海道へ 1590年からのい悠久』が完成した。

 取材に応じてくださった皆さま、誰より「大家系図」を作成するなど、併走してくれた好博さんに感謝申しあげます。

 


2024・4・8

部品代は・・・

 

 プリンタの修理担当者から電話。まず保証期間外と告げられ、交換が必要な部品代は130円、と。

 安いと思ったのも束の間、技術料金だの運搬料だの請求金額は「0」の数が違う。チーン。

 修理はメンテナンスと考えるべきか?
 修理はメンテナンスと考えるべきか?

 考えれば、自宅 ⇒1オペレーター⇒ 2中継地点までのドライバー(小柄な女性) ⇒ 3修理工場までのドライバー ⇒ 4修理担当者 ⇒5発送を電話する人 ⇒ 6中継地点までのドライバー ⇒ 7自宅までのドライバー ⇒ 自宅、という具合に、私が把握するだけでも最低7人が関わっている。人件費にお金を払っているということか。

 

印刷はストップ
印刷はストップ

 いろいろ試みるも万事休す。やむを得ず修理に出すことに。

2024・4・6

印刷開始・・・のはずが

 

 長濵好博さんによる校正が終わり、一気呵成に印刷開始のはずが、プリンタが動かなくなった。

 ひきとりにやってきたのは小柄な女性。そのまま持っていこうとするので「梱包は?」と訊くと、思い出したように車から箱を持ってくる。20キロもあるプリンタをなんとか箱に収め、ひきずるように車の荷台まで持っていったが、さてさて無事に戻ってくるかなあ。

 


2023・2・21

見本誌の完成

 

 自分で両面印刷したものを製本して、見本誌の完成。A4版、250ページの大部。といっても非売品なので、確認用というところかな。

 見返しもブルーにして、能登を北海道をつなぐ海と空を表現した。

 


2024・1・30

『私たちのルーツ』表紙、決定!

 

『私たちのルーツ』用に描いた装画で、装丁してみた。

裏表紙は草を食む牛の母子
裏表紙は草を食む牛の母子
荒波は葛飾北斎風(笑)
荒波は葛飾北斎風(笑)

 能登からはるか北海道を目指した海の「青」をベースに、煉瓦にちなむ「赤茶」、牧場をイメージする「緑」も入れて。明るい仕上がりに。我ながらGOOD!

 


2023・1・12

能登半島地震、下水道に支援要請

 

 元旦に発生した能登半島地震は、被害の深刻さを伝える報道が続いている。寒さに加え、道路の寸断、上下水道の被害が甚大なようだ。

 長濵好博さんからの情報によれば、好博さんの勤務先が所属する日本下水道管路管理業協会に支援要請があり、全国から11班が現地に向かうという。北海道からは1班、5社7名、車両は5台が、週末金沢に向けてフエリーで向かうそうだ。

 

父祖の地「石川県羽咋市滝谷」は妙成寺の門前町。住宅に大きな被害はなかったが、1月8日時点で水道は使えず、井戸水を分けてもらっているという話であった。写真は2022年10月28日


昨年末の紅白歌合戦で「あの空に立つ塔のように」を歌う大泉洋。ネットより

北海道百年記念塔 札幌市厚別区の道立自然公園野幌森林公園内に建てられた、高さ100mの記念塔。1968年に北海道百年記念事業の主要事業の一つとして着工され、1971年4月より一般公開され、2023年老朽化を理由に解体された。

 老朽化に伴い、北海道庁は解体を決め、反対する人々と裁判になっていたところまでは知っていたが、改めて調べて、すでに解体されたことを知った。ショックである。

2023・1・7

大泉洋の「北海道百年記念塔」の歌

 

 昨年末のNHK紅白歌合戦で、大泉洋の「あの空に立つ塔のように」を聴いたとき、「北海道開拓百年記念塔」について歌っていることに気づいた。私も高校1年のとき(一般公開された1971年)亡父の運転する車で同級生と訪ねた思い出がある。また帰省する際、高層ビルの展望台からしばしば眺めた。札幌市民なら知らない人はいない塔である。

 記念塔設計者の声 ネットから
 記念塔設計者の声 ネットから

 大泉洋の曽祖父または高祖父の大泉安定と、私の曽祖父の長濵久松は同時期に札幌の白石村議会議員を務めていたことは以前書いたかと思う。大泉家は現在の宮城県にあった白石藩の重臣で、札幌市白石区の白石中央を中心とした開墾に関わっている。

 大泉洋の略歴をみると、江別市で生まれ、小学生のとき札幌市に移っている。自ら作詞した歌は記念塔の思い出を歌っているというより、先祖への思いが反映されているように思えるが、いかがであろうか。尚、この曲の作曲者は北海道旭川出身の玉置浩二である。

 

「あの空に立つ塔のように」作詞大泉洋 作曲玉置浩二

 

空が広く見える街で 僕らは出会った 高く古い塔が見守ってた

あれはポプラの影が伸びる道 秋風に二人 互いに手を取り 夢語り合った 

Good bye days Good bye dream あの日歩いた道

帰れない 戻れない あの日君に聞かせたあの夢は

今も胸に棘になり刺さって あの空に立つ古い塔のように

踏ん張って 真っ直ぐ立っていたい

「愛してる?」といつも 君は確かめた 「側にいて」といつも頬寄せた

あれは2人であった最後の夜 雪が降るホーム うつむいたままの 君を抱きしめた

笑って 見つめて その声を聞かせて

本当は 本当は お互い分かってたんだ

これが最後になるって それでも それでも いつか もう1度会えたら

笑って その手離さない 今はもう無い あの高く古い塔

雨だって 雪だって 嬉し涙も悔し涙も いつもあの空で見てた

Good bye days Good bye dream 変わり続ける未来

no more cry no more cry あの日君に聞かせたあの夢を

いつか叶えるその日がくるまで あの空に立つ古い塔のように

踏ん張って 真っ直ぐ立っていたい

 

2024年1月2日の妙成寺 ネットより
2024年1月2日の妙成寺 ネットより

 ネットのニュースによれば、本堂や五重塔など10棟の重要文化財のある妙成寺(石川県羽咋市)では、堂内の仏像や仏具が多く倒れるなどしたが、建物に大きな被害はなく、人的被害もなかったという。

 2024年1月2日羽咋駅 ネットより
 2024年1月2日羽咋駅 ネットより

2024・1・6

石川県羽咋市の妙成寺

 

 能登半島地震は、現在も行方不明者が多くいらっしゃり、復旧が見通せない状態が続いている。

2022年10月28日 妙成寺の見延  妙成寺の塔中である善住寺が先祖の菩提寺
2022年10月28日 妙成寺の見延  妙成寺の塔中である善住寺が先祖の菩提寺
2022年10月28日羽咋駅 見延が写す
2022年10月28日羽咋駅 見延が写す

 しかし寺院については、珠洲市、輪島市、七尾市などで甚大な被害が出ているようだ。長濵好博さんからの情報では、富山県氷見市にある、私たちの縁者の寺も被害にあっているという。

 

 震度7だった志賀町は羽咋市と隣接している。北前船の寄港地で、日本最古の木製灯台のある福良港も志賀町にあり、職員さんが案内してくれた。近くに志賀原子力発電所があり、その広い敷地が印象的だった。

福良港は北前船の寄港地2023年5月   二従兄弟の長濵好博さんと
福良港は北前船の寄港地2023年5月  二従兄弟の長濵好博さんと
渚ドライブウエイ 2023年5月
渚ドライブウエイ 2023年5月

2024・1・2

令和6年能登半島地震 大津波警報

 

 2024年元旦に発生した令和6年能登半島地震。一昨年秋と昨春、ルーツを探しに父祖の地「羽咋市」を訪ね、多くの方々にお世話になったことを思い出す。

石川県志賀町福良港 日本最古の木製灯台 2025月5月
石川県志賀町福良港 日本最古の木製灯台 2025月5月

 羽咋市の渚ドライブウエイは、日本で唯一砂浜を車で走ることができる観光道路。朝日や夕陽を眺められる人気スポットでもある。

渚ドライブウエイ 羽咋市ホームページより
渚ドライブウエイ 羽咋市ホームページより

「海」を観光資源にしている市町村が多い土地柄。皆様、どのように過ごされているだろうか。


ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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