久保寺辰彦さんから『吉田驛詩」の贋作疑惑のご投稿を続きましたが、

『吉田驛詩』は真筆であるという結論に達しました。

                  これまでの経緯はこちら

2023・11・3

久保寺辰彦さん「安芸高田市歴史民俗博物館に問い合わせました」

                  ⇔ 見延典子「彫師の良心」

見延典子様

忖度のないご意見ありがとうございます。

考えてみたら原本をあたるの筋ですね。

河津氏の摸刻レベルから原本を見なくても違いがハッキリわかるため、原本の印を確認する発想がありませんでした。

 

早速、所蔵する安芸高田市歴史民俗博物館に問い合わせましたが、全体の画像はあっても、落款だけを撮った写真はない、全体写真を拡大しても不鮮明になり、役に立たないだろう、という回答でした。

さらに交渉を続けて行きたいと思います。

                    久保寺辰彦

久保寺辰彦さんへ

 私は河津祐度(なる人物)が、自分の技術を悪用されるのを恐れ、印影部分については意図的に本物とは変えて作ったのではないかとも想像しています。であれば、かなり「良心」のある彫師と思います。

 

 同時に、現在の科学技術はともかく、それ以前でもある程度の技術のある者なら、さほど苦もなく印影を模倣できるということがわかりました。これは今回、久保寺さんから教わった最大の収穫です(笑)

 

 しかしながら、私は『吉田驛詩』の印影が頼山陽の印譜集に載っているものと同じであると確信しています。

 

 安芸高田市歴史民俗博物館さんも、あらぬ疑惑(久保寺さん、ごめんなさいね)をかけられているわけですから、この際、落款(印影)だけを撮った写真を公開して疑惑を晴らしたほうがよいと思います。

 

 久保寺さん、落款(署名)疑惑もお願いいたします。

                        見延典子

 

 

2023・11・2 久保寺辰彦さん『誤解があるようなので」

                  ⇔見延典子「理解に苦しみます」

見延典子様

 

違います。

 

『吉田驛詩』の印影を模した河津祐度という彫り師が作成した

『吉田驛詩帖』の印影が、山陽の印譜集にはなく、他の山陽の作品にも

見当たらないので『吉田驛詩』は贋作の疑いがある ということを

言いたかったのです。

 

ご理解いただけたでしょうか。

          久保寺辰彦

 

久保寺辰彦様

 

 はい、ですから、久保寺さんが山陽の印譜集と比較されているのは、河津祐度という彫り師が作成(模写ならぬ模彫)した印影ですよね

 なぜ実在している頼山陽の書の印影(左)と比較しないのでしょうか。理解に苦しみます。

 実際の印影が入手できない、または入手できづらいから、という理由なら、お話になりません。

 もっとも現在『吉田驛詩』を所有する安芸高田市が、印影に問題があるため鮮明な画像は公開できないといっているなら、話は別ですよ。

 忖度なく書いています。失礼あればお許しのほど。

 とりあえず落款(署名)疑惑もお願いいたします。

          

           見延典子

 


2023・11・2 見延典子「は?」 ⇒ 久保寺辰彦さん

 

久保寺辰彦さんへ

 なんども読み返しました。『吉田驛詩』の印影を模した河津祐度という彫り師の作品が、『吉田驛詩』の印影と異なるので、『吉田驛詩』は贋作の疑いがある、という理解でよろしいでしょうか?

 

 それは、モナリザの模写をしたAという人がいて、Aの模写は本物のモナリザではないとおっしゃっているのと同じではないでしょうか。

 

 印影を比較するなら、まずは安芸高田市が所有する『吉田驛詩』の印影を提示して比較すべきです。第3者が掘った印影を持ち出し、「決定的な証拠」といわれても、「は?」の気分です。

 

 次回の落款(署名)の違いに期待いたします。

                            見延典子

 

2023・11・1 久保寺辰彦さん「贋作と考える決定的証拠」

 

今回は私が考える決定的と思える証拠について述べたいと思います。

それは落款です。特に印は決定的な証拠といえると思います。

人の脳はその認知の仕方に個人差があります。同じ色のはずなのに、人によって青く見えたり金色に見えたりします。錯視の不思議、ドレスは青か金か カギは周囲の光 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

聞こえ方もうそうです。高周波と低周波の聞こえ方は人によって違います。【Infostand海外ITトピックス】全米を二分する騒動に 「Yanny」「Laurel」論争 - クラウド Watch (impress.co.jp)

文字も同じように、真似て書いている字を見極めるのは非常に難しく、人によっては同じように見えるのも当然です。ただ、落款印は真似ようとしても限界があり必ずどこか違う部分が出てきます。だからこそ、本物証明として印を押すのでしょう。

 

それでは『吉田驛詩』の印影(印章)が本物かどうか確認してみましょう。

といっても『吉田驛詩』の印影がはっきりわかる画像がありません。そこで役立つのが『吉田驛詩』を元に作成した『吉田驛詩帖』です。この法帖は、山陽死後16年目の嘉永元年に出版されます。山陽の書が広く世間に知れ渡り、橋本佐内がこれを見て山陽の中でも一番の傑作であると言ったことからもわかるように、人気を高める役割を果たしたと言えるでしょう。驚くのはこの文字を写し取り文字を彫った河津祐度を始めとするこの時代の彫師のレベルの高さです。比較のため『吉田驛詩』と『吉田驛詩帖』の「驛」を並べてみます。

『吉田驛詩』『吉田驛詩帖』そしてその白黒反転の順に画像を並べます。

『吉田驛詩』については画像自体が荒いため、実際の文字は実物大に彫られている『吉田驛詩帖』の方が近いと思われます。では、印影はどれくらい正確に彫られているのか比較します。これらも河津祐度が彫っています。

ただし、以下は『吉田驛詩帖』ではなく天保13年に出版された『連雲帖』からです。

かなり正確に写し取り彫っているように見えます。次に問題の『吉田驛詩帖』です。

見ていただければ一目瞭然で特に左の「頼襄之印」は横幅が実際の印より3mmも大きくなっています。右側の「頼氏子成」は比較的似ていますが、それでも「頼」の「頁」が河津祐度の技術の高さかを考えると違う印影を写し取っていると言わざるを得ません。左上の印は、私は他の作品でも贋作でもまだ見たことがありません。旅先で印がない場合に印譜集にない印を使う事もあることは承知していますが、この「吉田驛詩」は京都で書かれたものだそうです。以上、印の違いが決定的な証拠だと思うのですが如何でしょうか。

次回は落款(署名)の違いについて述べます。

                       久保寺辰彦

 

2023・10・28 

久保寺辰彦さん「『吉田驛詩』と他の作品の字とは形が違う」

         ⇔見延典子「意図的に横長、角張って書いている」

 

見延様

忖度のないご意見ありがとうございます。感覚的なものの感じ方は個人差が大きく説得力に欠けることがよくわかりました。

しかし、前回、似ている字の例を出すと言った手前、山陽の書ではないといえる決定的な根拠は次回までお待ちください。

 

それでは似ていると思われる「東、西、老、黄」などの字を比較してみます。

次の「老、黄」などは、似ているものの少し特徴をデフォルメしすぎのようにも見えます。

並べて比較するとあまり似てませんね。似ているというのは訂正します。

 

改めて感じるのは同じ時期に書かれた山陽の字形は違う作品から抜き出しても安定的に同じであるということです。

「黄」の字も似ていると思っていましたが、実際に抜き出して比較すると私には「吉田驛詩」と他の作品の字とは形が違うように見えます。

 

これまでは字形について述べてきましたが、字形以外でも疑問に思う点があります。

 

次回は、私的には贋作である決定的な証拠と言えるものを示してみようと思います。

                       久保寺

久保寺辰彦さんへ

 

 久保寺さんがいわんとされていることがわからないではありません。ですが、前回も書きましたように『吉田驛詩』の字体が以前のものと異なるのは、紙(スペース)と文字数から割り出したとき、横長かつ角張った字形にしなければ、詩の内容を伝えにくいと考えたからでしょう。

 

 従来のように縦長の文字にしてしまうと、迫力が薄れます。また山陽自身が新しい書き方に挑戦したかったのだと思います。

 

 推敲魔であり、迷うことの多かった山陽が、心を集中させ、一気に書き通せたときの喜びはさぞ大きかったでしょう。この書の最後「頼襄」には山陽の自信、喜び、安堵があふれています。

 

 次回、私の思いこみが打ち消されることを楽しみにしております。

                            見延典子

 

2023・10・25 久保寺辰彦さん

『暗」『河』『眉』『道』『当』『雪』

              ⇔見延典子「違いがわかりません」

 

個々の字の続きです。今回は特に解説も必要ないと思いますので、皆さんの目で違いを感じ取っていただければと思います。まず「暗」からです。

次に「河」です。「吉田驛詩」

比較すると違いがよくわかります。では、なぜ「吉田驛詩」が頼山陽の書に見えるのか。私も初めは頼山陽の書だと思っていました。それは、山陽の特徴的な字が「吉田驛詩」の中にもあるからです。次回は山陽と似ている特徴的な字を比較しながら見ていきます。

 

久保寺辰彦さんへ

 比較しても、残念ながら私には違いがわかりません。山陽は努力の末に何種類もの書き方を体得しているはずです。筆跡鑑定に出せば、同一の人物が書いたとされるレベルではないでしょうか。

 

「吉田驛詩」において、山陽は紙の大きさから割り出して、行間を狭くとり、漢字は横長の四角をイメージして書いているはずです。おそらく筆も柔らかめのものを使っているでしょう。

 

 気になるのは「聲」と「暗」ですが、全体でみれば「聲」は墨がなくなりかけているための工夫、「暗」は末尾に置くため安定感を出したことがわかります。

 

 山陽が瞬間、瞬間どのように判断しながら書いているのか、まさに「ライブ感」がこの書からは伝わってきます。傑作と言われる所以でしょう。

 

 久保寺さんも思うままお書きになり、私も忖度せず書いています。この真贋論争がどのような結末を迎えるか楽しみにしております。

                          見延典子

 

2023・10・24 久保寺さんが贋作疑惑という『吉田驛詩』

 

事務局から

 改めて、久保寺さんが贋作疑惑とおっしゃっている『吉田驛詩』(「山陽乃書風」の「吉田驛詩」をスキャナーでとったもの)を送ってくださったので、掲載します。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

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