『頼山陽と戦争国家』のその他の感想は以下でも紹介しています。

   感想②  感想④

 

2019・11・28 やすさん

        「『日本外史』『日本政記』執筆の思惑と受容史と」

 

 著者の眼目は、虚像の頼山陽がひとり歩きして国家神道に組み入れられてゆく過程を、地元広島の地域資料を通じて明らかにし、戦前の「戦争国家」がすすめたとする文徳殿の建設や没後百年祭を弾劾する「第二部」にあったやうですが、後半は戦後史観にとらはれすぎてをり、大切な記録とは思ふものの論旨としての新しさは感じられませんでした。

 むしろ前半「第一部」において、数多ある論文が読み込まれ、先行する考察が丁寧に抄出されてをり、頼山陽本人の思惑や初期の受容史(幕府内権力闘争と朱子学との関係、『太平記秘伝理尽鈔』の影響、歴代天皇への視点等)が分かりやすくまとめられてゐることに注目しました。実像の頼山陽が、「多くの日本の歴史書を精査した上で天皇に君主としてのあるべき姿を求め、道を逸する天皇に対しては容赦なく筆誅を加え117p」「穏当にしてその中道を得た96p」立論をなしたといふこと。
 その「天皇」を「頼山陽像」に置き換へれば、そのまま著者に対してもあてはまるのではないでしょうか。すなはち、多くの先行論文を精査した上で頼山陽の実像の姿を求め、道を逸する頼山陽像に対しては容赦なく筆誅を加へ、穏当にしてその中道を得た評論がなされてゐると感じました。

  ※アマゾンのレビューに掲載されたものを転載しました(事務局)

 

2019・11・27

澤井繁男さん②「推理小説のように面白かったです」

 

(11・26の続き)

明治~昭和の敗戦にいたるまでの山陽の評価の起伏もきちんと描出されていて、推理小説のように面白かったです。とくに昭和天皇の玉音放送の〃声〃にたいする所感は、なるほど、と思ったしだい。

その他、フセンを貼った頁一97頁の〃太平記読み〃が江戸の秩序であるという大胆な解釈、192頁の〃満州事変の勃発〃の項目のすべて。226頁の〃消される山陽〃のすべて。228~9頁の〃頼山陽の再評価へ〃のすべて一とくに、これは山陽以外にもあてはまりますが、「著作をありのままに受け入れて読むところから、山陽の再評価の道は開けていく」の部分。〃終わりに〃で、「源氏」「足利氏」「徳川氏」に「新田氏」を加えたところに山陽の歴史観がある一これは卓見です。ふつう「新田氏」は見逃されてしまいますから。

「長かった私の山陽をめぐる旅をひとまず終えたい」一そうですが、これから出発の気もしますが。ご貢献されましたね。

 

2019・11・26

澤井繁男さん①「ルビがほしい。内容的には良書」

 

『頼山陽と戦争国家』を拝読いたしました。まず、日頃目にしない漢字がたくさん出てきて、ルビが振られておらず、歯がゆい思いをしました。いちいち挙げませんが、ルビ以外にも「論賛」などの言葉の場合、論賛(この場合は論評の意味)くらいの注がほしかったです。歴史がからんでくる図書だけにご留意したいただきたかった。「閏」という字も慣れぬ者には至難と思いました。

内容的には右寄り、左寄りの人々に目配りよく、著者自身は中立の立場を保ち、良書でした。117頁の末尾「山陽の史書は江戸後期までに出された多くの日本の歴史書を精査した上で、天皇に君主としてのあるべき姿を求め、道を逸する天皇に対しては容赦なく筆誅を加ええるものだった。山陽の、これが真の姿である」ここが一番秀逸な文章で、後半の伏線になっていて、加速度的に読書がはやくなりました。(続きます)

 

2019・11・25

匿名さん「RCCラジオを聴きました」

 

23日、RCCラジオを聴きました。『頼山陽と戦争国家』を読んでみたくなりました。

 

2019・11・19 

23日、RCCラジオ「一文字弥太郎の週末ナチュラリスト」に出演

 

11月23日(土)RCCラジオ「一文字弥太郎の週末ナチュラリスト」に、見延典子が電話出演します。

午前7時15分ころから10分間程度。

内容は新刊『頼山陽と戦争国家』について。

 

※RCCラジオは広島の放送局です。パソコンやスマートフォンなどでもお聴きいただけますが、登録が必要で、有料の場合が大半のようです。

 

2019・11・13

グランマさん「見延先生の山陽論にはかねてから賛同!」

 

御著「頼山陽と戦争国家」を、早々に手にしておきながら所用に追われ

まだ読めておりませんが、お礼の一言を・・・

私はたいてい本を選ぶときも、作者の後文(まとめ)から拝見します。

今回も、”終わりに”から読み始めました。

見延先生の山陽論にはかねてから賛同!

頼山陽は、本当に真面目な・・・ 考え出したら、まじめな故に止まらないところがあるのだろうと思います。

凡人の私にはそれが魅力で、胸騒ぎがする。

しかし、山陽をとりまく頼家の教育、交遊、書画を学ぶかぎり、本当にバランス感覚が伺えます。(同感です)

そこが、頼山陽に好感をもつ所以です。

テーマの重い御著ですが、じっくり拝読させていただきます

 

2019・11・12 匿名さん(84歳)

    「通読、一気呵成、すばらしい濃厚な味、簡潔明瞭にして…」

 

大作をご出版されましたこと心から敬意を表します。装丁等もご立派で驚きました。通読、一気呵成、すばらしい濃厚な味、簡潔明瞭にして大変興味深く読ませていただきました。何れ時間をおいて、さらにゆっくり読ませていただきます。山陽の見方、文徳殿については再再度読みたいです。

 

2019・11・11

産経新聞に

  『頼山陽と戦争国家』の書評

 

すでにお伝えのように、10日付産経新聞(朝刊)読書欄に『頼山陽と戦争国家』の書評が掲載された。


 幕末最大のベストセラーといわれる「日本外史」。頼山陽が著した歴史書で、尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。その山陽は、明治に入ると天皇中心の国家づくりに結びつけられ、昭和6年には没後100年の催しが首相出席のもとで盛大に開かれる。
 本書は、戦争への道を進む近代日本の歩みの中で、山陽の評価の変遷を丹念に掘り起こした頼山陽論。そこに浮かび上がるのは、時の政治に翻弄される姿だ。
 山陽と、彼が称賛した楠木正成に関する指摘も興味深い。両者は戦時国家の国威発揚に利用された末、戦後は消し去られてしまうのである。(南々社・2700円+税)

                   同日付 産経ニュ一スより

2019・11・10

山下幸太郎さん「産経新聞の書評を読みました」

 

本日付の産経新聞の書評を読みました。

紙面を割かず、コンパクトにまとめられていてよかったと思いました。

分量が多いとインパクトがあって目に付きやすいので、後者を期待していました。

頼山陽のように政治に翻弄された人物や事象は多いと思います。

政治や時代によって消された人物もまた多いと思います。

 

 11・9  匿名さん「どんどん惹き込まれる魔術にかかった…」

 

「頼山陽と戦争国家」を読み終えました。もっとゆっくり読むつもりでしたが私の知らない歴史が次から次へと書かれ、また読めない漢字もたくさん出てきました。けれども、それは私の場合仕方がないと諦めて次々と頁がめくられました。つまりどんどんと惹き込まれる魔術にかかってしまったようです。

「日本政記」を読んでいませんが、先生の本により読んでみたくなりました。題目の「戦争国家」の意味がこの鈍い頭でやっと分かりました。

 

匿名さんへ

『頼山陽と戦争国家』を読んでくださり、ありがとうございます。

読書は、自分の興味のあるところから読む、もしくは自分の興味のあるところ「だけ」読む、ということでよいと思います。

そこから気になるところがあれば、読む範囲を広げ、最終的に通読するという感じです。『頼山陽と戦争国家』はこの読み方が合うと思います。

投稿者の中には「第二部」から読み始めたという方がいらっしゃいましたが、なるほど、と思いました。

                        見延典子

 

2019・11・7

11月10日(日)産経新聞に『頼山陽と戦争国家』の書評掲載予定

 

11月10日(日)産経新聞に『頼山陽と戦争国家』の書評が掲載されることになった。同紙をご購読の方はチェックしてください。

 

2019・11・3

中国新聞に広告

 

11月3日付 中国新聞第一面
11月3日付 中国新聞第一面

11月3日付中国新聞第一面下に、版元の南々社の広告が打たれた。

さて、反響のほどは。

 


『頼山陽と戦争国家』は紀伊国屋札幌店でも、取り扱っていただいている。売り場は2階の「東洋思想(近世)」のコ一ナ一。

お隣は『明治思想史』、隣の隣は福沢諭吉『学問のすすめ』。こうしてみると、格調の高い本のように思えてくる(笑)

 

2019・11・1

紀伊国屋札幌店にも

 


2019・10・29

匿名さん「頼山陽を学ぶ上での羅針盤」

 

『頼山陽と戦争国家』を手にして、「そこが聞きたかった」というのが第一印象です。見延さんの長年にわたる頼山陽研究の奥深さに感じ入りました。山陽のことを学び続ける上での羅針盤として、これから熟読、活用していきたいと思います。

 

最上段の一番右に『頼山陽と戦争国家』
最上段の一番右に『頼山陽と戦争国家』

広島県内の書店、全国の主要都市の一部書店で『頼山陽と戦争国家』の発売が始まった。

 

フタバ図書GIGA五日市店 でも、新刊コ一ナ一、最上段の右端という良いポジションに置かれている。

 

2019・10・28

書店での発売開始

 


2019・10・27

田辺良平さん「広島市立袋町小学校校歌の楽譜」

 

広島市立袋町小学校の楽譜を送ります。

2019・10・24

田辺良平さん「袋町小学校の校歌から『頼山陽』が排除された理由」

 

『頼山陽と戦争国家』(P226)にある「広島市立袋町小学校」の校歌から「頼山陽」が消された理由について、田辺良平さんから情報のご提供がありました。

 

広島市立袋町小学校の件ですが、戦後歌われなくなった経緯の概要は次の通りです。

戦後GHQの指令で、軍国主義につながるようなことは、排除することとなり、校歌の2番が、それに該当するようだとの判断で排除されたようです。

加藤友三郎銅像建立を契機に、校歌の復活を学校に申し入れたら、袋町小学校からの返答は、「戦後、広島県教育委員会の指示で排除されたので、当校で勝手に復活させるには問題があり、ましてや、広島県教職員組合との判断もあり難しい」との見解でした。

広島県教育委員会に照会したら、戦後のことで県教委の組織や所属も代わっており、市立の小学校は現在は市の教育委員会の所管となっているので、県教委としては、いかように扱ってよいのか判断できない、というような意向でした。

当時、県会議長は新田篤実さんで、袋町小学校同窓会の会長でした。新田さんとしても、県教職員組合との問題もあり、どの様に対処してよいのか、判断に迷っておられました。

戦後、広島県は特に日教組の影響の強い所でしたから、県も市も及び腰で、「触らぬ神にたたりなし」のような態度だったように、私は感じました。以上のような次第です。

 

田辺良平さんへ

「広島市立袋町小学校」の古い歌詞を教えてくださった上に、現在に至る経緯についてまでご教示くださり、ありがとうございます。

拙著でも書いたように、戦前まで「校歌」は国民教化策の一つとして重要視され、道徳教育の教材にもなっていました。

袋町小学校の校歌の「加藤友三郎、頼山陽の削除問題」は戦前、戦後、現在に至る国家の在りようや教育界を映す鏡といえそうですね。

                          見延典子

 

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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