2015・4・4

頼梨影の生誕地


彦根城を訪ねたあと、頼山陽の後妻になった頼梨影の生誕地である滋賀県の三津屋を訪ねた。



路線バスに揺られるうち、不意に琵琶湖が見えてきた。

 

梨影の故郷が、琵琶湖のほとりにあることに、感激した。

 

なぜ? 


理由などない。ただ、感激したのだ。


そして思った。


たぶん、頼山陽もそのことに惹かれて、梨影と再婚したのではないのか、と。


帰りのバスの時間を気にしつつ、周辺を散策しているときだった。偶然にも梨影のご子孫にあたる男性に出会った。これはもう奇跡としかいいようがない。そしてこの地を再訪することになるのだ。


                 続きます。



2015・3・27 彦根城

 

頼山陽は天保3年(1832)5月、53歳の時、彦根藩に招かれ、講義をしている。

 

この年の9月に没するから最晩年だ。

 

山陽が招かれた彦根藩藩校の建物は現在、非公開ながら現存している。

 

その写真もいずれ紹介したいと思う。

 

彦根城といえば、思い出すのは、第13代彦根藩主にして、大老にまでのぼりつめた井伊直弼だ。

 

山陽が彦根藩で講義をした頃、よもや自分の没後、息子の三樹が、安政の大獄で捕縛され、江戸に送られて処刑されるとは想像もしていなかったろう。

 


右の写真は、直弼が不遇の15年を過ごした「埋木舎(うもれぎのや)」


門を入ると、独特の雰囲気が漂っていて、ここもよくロケに使われるそうである。

彦根城周辺は江戸時代の風情が残り、数々の映画やテレビドラマのロケ地ともなっている。


私が山陽に足跡を追って、彦根城を最初に訪れたのは大垣、関ヶ原の帰りの2008年3月。1年半前の2006年に公開された映画「武士の一分」では、この付近でキムタクが撮影したそうだ。



ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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