2018・10・17 「雲華上人の俳句」③

           湯谷祐三さん「これは連句だと思います」

 

これは「連句」だと思います。古くは「俳諧の連歌」といい、複数の参加者が「5・7・5」と「7・7」を交互に付け合うものです。以下のような形をとります。

 

Aさん 5・7・5(発句)

Bさん 7・7(脇句)

Cさん 5・7・5

(以下同様につづく)

?さん 7・7(挙句)

 

つまり、雲華の「暮れにけり…」は、連句の第一の句、すなわち発句(ほっく)であって、それに誰かが「露けき空に…」とつけたわけです。作品としては、これらすべて(通常は36句、歌仙という)で一つの作品とみなします。おそらく、連句作品の雲華の句だけを抜き出したため、575の句と77の句が混在して、わけのわからないことになったのでしょう。連句作品の一部を抜き出す場合は、その前の句と共に抜き出すのが通例です。なぜなら、連句では、前の句に対する「つけ味」を見ることが鑑賞の第一歩だからです。

 

ちなみに江戸時代に「俳諧」というのは連句のことです。現在通行している「俳句」という言葉は、明治になって正岡子規が創作したもので、「俳諧の発句」を短縮したものです。江戸時代には「俳句」という言葉は存在しませんので御注意ください。芭蕉の言葉として、「発句ではわしよりすぐれた弟子がいるかもしれないが、俳諧では誰にも負けないぞ」という言葉があります。

 

2018・10・16 「雲華上人の俳句」➁

中津のオッサン🔁

       湯谷祐三さん「貴重な情報をありがとうございます」

     

貴重な情報をありがとうございます。小生が知っていたのは「暮れにけり…」のみで、雲華の句がこれほど残っていたとは驚きです。雲華は晩年に和歌をたしなんでおりましたが、俳句もやっていたようですね。今後この方面にも気を付けておきます

 

中津のオッサン🔁

       見延典子「和歌も混じっているのでは?」

 

『扇城俳壇史話』という本を実際に拝見していないので、どのように記載されているのかわかりませんが、中津のオッサンがお示しの、特に中盤以降は「5・7・5」と「7・7」が混在していますね。

 

たとえば「暮れにけり加茂の川つら年の波」と「残る寒さに氷る紅梅」とをつなぐと、和歌一首になります。

 

その下「賀のいはひ」と題してとし、「花も咲う松のみとりの幾返り」と「露けきそらに雁音の文」とをつなぐと、はやり和歌一首になります。

 

いずれも強引ですけど(笑)

雲華上人が俳句を詠んでいたのは事実として、雲華研究家の湯谷さんによれば、和歌も嗜んでいたとのこと。『扇城俳壇史話』でとりあげている雲華上人の作品が、俳句や和歌になる前の控えであるかどうか、原本にあたる必要があるのではないか、と。

 

この指摘がいくらかでも当っていることを願いますが、あるいいつもながらの思いこみとして皆さんに呆れられるだけかもしれません(汗)

 

 

2018・10・15 中津のオッサン「雲華上人の俳句」

 

雲華上人は趣味として俳句をたしなんでいたことがわかりました。

 

中津市の俳人・松垣昧々(まいまい)氏=本名・重敬、1892~1977年、層雲」の荻原井泉水門下で同門の種田山頭火とも親交が深く、山頭火は中津市船場にあった松垣昧々邸を訪問し逗留しています。松垣昧々氏は俳句創作にいそしみながら、中津の俳句の歴史研究をしています。彼が1966年(昭和41年)「扇城俳壇史話」を出版しています。  この「扇城俳壇史話」によると

 

広沢の池に月なし秋の色   枳東

 

この句は京都広沢の池の秋色を詠じたもので、枳東の号をもちいています。

 

雲華上人は1833年(天保4年)京都六条東街に寓居とし枳東園と称されていましたのでもちいたと考えられます。

 

岡崎や法の御跡の池の月   雲化

 

親鸞聖人が庵室を構えた岡崎岡崎別院(親鸞屋敷跡)京都市左京区岡崎天王町 26の旧跡で詠んだ句であり、雲化の号を使用しています。俳句では雲化の号を使用したこと事が多いので注意すべきです。

 

名にゑらん松三本に後の月      後の月見にひく杖や草の露

 

動くもの川はかりなり雪の朝     犬鳴いて板橋しろし霜の花

 

青縄のしらぬ道あり欄の花     あなすすし雲間を出る月

 

あの雪に寝た夏もあり春の富士

 

富士山の句は1836年(天保7年)江戸への旅の途上中に詠まれた句であり、かつて、彼は富士山に登坂し、追懐した句と解説されています。

 

あなかしこ七六粒年の豆      日の出ぬ日はなれども今朝の春

 

暮にけり加茂の川つら年の波    屈託のない句が見受けられます。

 

残る寒さに氷る紅梅       大含

 

賀のいはひ   花も咲う松のみとりの幾返り

 

露けきそらに雁音の文      枳東

 

俳句に親しんだのは晩年で中津市東浜の寿鶴宗匠とはたがいに交流をし、号は砂波庵と号し、美濃派に属し、井上伸助といい正行寺の檀家であり雲華上人の真蹟が残されているとの記載があります。

 

 

 

2018・9・26

中津のオッサン「英彦山と変わった理由」

 

お尋ねの「英彦山」の名称ですが、古くは「日子山」→「彦山」→「英彦山」と変わっています。

「日子山」→「彦山」の変わった時期と理由はつかめていません。

 

 

英彦山(ひこさん) 福岡県庁HPより
英彦山(ひこさん) 福岡県庁HPより

『本書は始め英彦山、求菩提山、日田、耶馬渓、万年山、杖立地方国立公園編入促進運動のため、昭和24年12月25日日、日田市に於いて大分県、福岡県当局並びに各地元関係者に集まって頂き、国立公園資料作成打合会を開催し英彦山、求菩提

山、日田、耶馬渓、万年山、杖立地

2018・9・25

中津のオッサン

「頼山陽が国定公園の選定に」

       🔁 見延典子

 

図書館で手にした『耶馬・日田・英彦山国定公園 昭和25年9月 大分県・福岡県・熊本県編纂』

別の角度から眺める英彦山 福岡県庁HP
別の角度から眺める英彦山 福岡県庁HP

区国立公園候補地資料刊行の決議されたものである。

…幸なるかな昭和25年7月29日日本国立公園候補地は国立公園準用規定による国定公園と決定され名称も「耶馬、日田、英彦山」と決定を見たのでここに本公園の紹介を兼ねて刊行したものである。

本書が此の国定公園地域の探勝に際し何等かの参考資料ともなれば望外の幸である。』

国定公園選定になって記念に刊行された小冊子だとわかりました。なんと、英彦山紹介の詩歌の中に「英彦山には古くから文人墨客の訪れ遊ぶものが多く、それ等のものせる詩歌はかなり多数に上っている。

今その中より傑出したものを二、三あげると、

 

広瀬淡窓

彦山高き處望み氤氳たり     木未の楼臺晴れて始めて分かつ

日暮れて天壇人去りつくし    香烟は散じて数峯の雲となる

 

頼山陽

彦山は眞に秀彦なり       馬耳人面を迎ふ

唯路の高低の為に        双尖隠れて還見ゆ

 

伊藤仁斎

彦山の神祠天下に伝はる     今に到って香花四時虔(つつし)しむ 

霊蹤高く起る二千丈       威験遥かに流る幾百年

 

日子の山 色なき露に染む 紅葉        千代女

 

こだまして山ほとどきす ほしいまま      久女

 

此の山に 棲むと云ふなる天狗共あらば 出て舞え 吾酔いにけり  

                             小杉放庵

 英彦山 百岳千竹 はろばろと みはるかしつつ 物思ふなり   

                             吉井勇

 

が書かれております。なんと、昭和、戦後の御代になっても淡窓さんも山陽さんも国定公園選定で活躍しているのにビックリしました。  

ところで山陽さんは英彦山には行っていなく、中津市山国町守実から遠くから望んだだけで、これだけの漢詩が…。

 

中津のオッサンへ

 

「耶馬日田英彦山国定公園」と「英彦山(ひこさん)」の漢字を当てていますが、江戸時代の広瀬淡窓や頼山陽らは素直に「彦山」と書いていますね。なぜ「英彦山」と書くようになったのか、ご存じでしたら教えてください。

                         見延典子

 

 

2018・9・6

中津のオッサン「新聞連載順調」

 

中津のオッサンこと地方史研究家近砂敦さんが西日本新聞に「なかつ今昔こぼれ話」を隔週で好評連載中。第5回では頼山陽に辛辣な目を向ける夏目漱石や森鴎外、徳冨蘇峰などが耶馬渓を訪問した際の興味深いエピソードが記されている。丹念な取材に基づくわかりやすい文章で、地元中津で大きな反響を呼んでいる。

大分県中津市の歴史を掘り起こしてきた近砂敦氏ならではの連載である。反響も大きい。
大分県中津市の歴史を掘り起こしてきた近砂敦氏ならではの連載である。反響も大きい。

   ※近砂敦さんは長年中津の古い資料を収集し、発信を続けてきた。

    その熱意と活動を知った西日本新聞社が連載を依頼した。

 

今朝も、開店時間9時30分には一番乗りお客さんが足を止め、熱心に見てくれています(写真右).担当者といっしょに喜んでいます。

 

原本が行方不明である現在では、原本を忠実に写している復刻版は貴重ではないかと思っています。

 

中津のオッサンへ

会期延長おめでとうございます。

2018・7・17

中津のオッサン 🔁 見延典子

「『遠き日の耶馬渓』会期延長と

耶馬渓図巻(雲華本)」

 

ゆめタウン中津で開催中の「遠き日の耶馬渓」展は大好評で開催期間が8月3日まで延長になりました。

ところで先日、ある経緯から「耶馬溪図巻(雲華本)」(昭和7年写真製版)を入手しました。


また「耶馬渓図巻」のご入手、写真復刻版とはいいながら、御地にあってこその品かと。広く皆様の目に触れる機会が得られることを祈りつつ、私もどのようなものなのか、いちど拝見したいと願っております。

                          見延典子

 

明治期の青の洞門。軍用道路として拡張後と思われ、人力車の姿もある。
明治期の青の洞門。軍用道路として拡張後と思われ、人力車の姿もある。

ゆめタウン中津3階で、22日まで

入場無料。ぜひご来場ください。

 

 

2018・7・12

中津のオッサン

「西日本新聞に掲載」

 

仲間と開催した「遠き日の耶馬渓」展が、今朝(7月12日付)の西日本新聞に大きく掲載されました。詳しくはここをクリックしてください。

 

頼山陽が名付けた「耶馬渓」だが、一般に広く知られるようになったのは、大正から戦前にかけて活躍した絵師吉田初三郎が描いた鳥瞰図によるという。


本邦初公開の大正4年発行吉田初三郎作の「耶馬渓鳥瞰図」、大正14年発行「耶馬渓観光案内図」、大正10年の「中津耶馬渓地図」など拡大し、耶馬渓の明治、大正、昭和初期の古写真50枚の展示しています。

2018・6・30

中津のオッサン

「遠き日の耶馬渓展」はじまる

 

今日から、ゆめタウン中津3階で『遠き日の耶馬渓』展が仲間達の

 手助けで無事に開催できました。


いけばなの免許を持っている女性の先輩がこの時とばかり協力すると、入り口に小原流のいけばなを活け、飾ってくれています。想定していたよりも多くの見学者が多く、ガードマンの方が驚いています。

 

展示の一例・明治後期の耶馬渓競秀峰全景
展示の一例・明治後期の耶馬渓競秀峰全景

2018・5・18

中津のオッサン

「遠き日の耶馬渓ー明治・大正・昭和初期 耶馬渓景観写真展」

 

6月30日よりゆめタウン中津(大分県中津市)で開催される「遠き日の耶馬渓」の概要が決まりました。


昨年、耶馬渓は「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道ゆく」として日本遺産に選定されました。

耶馬渓の原風景、約120年前の明治時代、約100年前の大正時代、約80年前の昭和初期を絵地図と豊富な写真で紹介します。

 「耶馬渓一望」 昭和初期、小杉放庵の画
 「耶馬渓一望」 昭和初期、小杉放庵の画

 

「遠き日の耶馬渓」 明治・大正・昭和初期耶馬渓景観写真展

1818年(文政元年)に頼山陽が訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが耶馬渓という名前の起こりです。

1916年(大正5年)に日本新三景の一つに選ばれ、

1923年(大正12年)には名勝に指定されます。

1950年(昭和25年)に一帯が耶馬日田英彦山国定公園に指定されました。

2017年(平成29年)には「やばけい遊覧大地に描いた山水絵巻の道をゆく」として日本遺産に選定されました。

明治維新をへて、近代という時代を迎え、耶馬渓は自然が作る環境は鉄道、道路、橋などの土木建造物によって大きく変貌していきます。

約120年前、約100年前、約80年前の写真で近代へ向かう耶馬溪を紹介します。

 

期間:平成30年6月30日(土曜日)~7月22日(日曜日)

場所:ゆめタウン中津 中津市蛭子町3丁目99・電話番号: 0979-23-6000

主催:私立・中津耶馬溪史料室  協力:玖珠町 久留島武彦記念館

後援:中津市、中津商工会議所、中津市しもげ商工会、ゆめタウン中津、

   公益社団法中津法人会、西日本新聞、朝日新聞、大分合同新聞

展示内容:大正4年製作「耶馬溪観光」吉田初三郎画、鳥瞰図(絵地図)

     昭和初期製作・「耶馬溪一覧」小杉未醒(小杉放庵)画、絵地図

     B4サイズ写真50枚、DVD製作による映像放映(約7分間)

告知方法-中津市市報、フリーペーパー「スマイル」、ノースFM等

問い合わせ先-私立・中津耶馬溪史料室、担当ちかすな(090-2504-2200

 

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ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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