「留春居」は昭和50年代まで竹原にあったが、頼家から下蒲刈島に寄贈、移築された。
「白雪楼」と名前を変えた今も
72歳の頼春風が書いた「天游館」の扁額が掲げられている。
2018・12・10
竹原「留春居」から、
下蒲刈島(呉市)「白雪楼」へ
竹原にあった春水の別荘「留春居」が、呉市蒲刈島に移築され、「白雪楼」として活用されている。
◎下蒲刈島(呉市)の頼山陽詩碑 2014・7・17
呉市広町(左)から安芸灘大橋を渡り、下蒲刈島へ。下蒲刈島側の橋のふもとに白崎園という公園があり、頼山陽詩碑が建っている。
山陽詩碑は平成12年、瀬戸内海を望む位置に建てられた。
竹原に至り秉(へい)甫(ほ)と舟を同じうして廣嶋に赴く
來路遙遙指海暾 來路遙遙海暾(とん)を指し
心期明日見慈尊 心に期す明日慈尊に見(まみ)えんと
朝煙漸散波如織 朝煙漸く散じ波織るが如く
柔櫓揺過猫子門 柔櫓(ろ) 揺れ過ぐる猫子(びょうし)門
竹原に至り秉甫と同じ船で広島に赴く
遙かなる行く手に海の日の出を指し
心はおどる明日母上にお会いできると
朝もやはだんだん散り波は織るが如く
小舟で揺れ過ぎる猫の瀬戸
天保元年(1830)、頼山陽51歳の作。
秉甫は叔父頼春風の養子になった小園のこと。春風は実子の景譲を山陽廃嫡後の嗣子として、春水のもとに養子にやり、秉甫を養子にむかえた。猫の瀬戸はこの付近にある海峡。
写真提供 ひろしまフォト歩き
漢詩解読 進藤多万
この項続く