特に記載がない場合は見延典子が書いています。
「三谷春之図」(下)の賛の部分
林雅君清囑壬寅人日前□日□
於廣島之寓居秋蓬写
*1902年(明治35)1月7日
□は判読できない文字(石村代表)
2020・2・13
「頼山陽ネットワーク」の
思いがけないご縁
石村良子代表から、思いがけない話を伺う。三谷春の林家所蔵「三谷春春之図」を描いた古川秋蓬は、「頼山陽ネットワーク」前代表の故古川隆次郎先生の縁戚というのである。
古川先生は広島の絵師が描いた作品の熱心なコレクターで、生前、ご自宅で多くの作品を見せていただいたが、残念ながら古川秋蓬という名も、作品も私の記憶にはない。おそらく古川先生もこの作品の存在はご存じなかったのではないか。
それしても古川秋蓬が竹原の竹鶴と浅からず縁があるとは(下の略歴)。「頼山陽ネットワーク」の結成は必然であったのかもしれない。
古川秋蓬(1851-1926)
嘉永4年、賀茂郡河内町上河内生れ。庄屋・古川四三郎の二男。名は宗篤、通称は韶一郎。幼い頃から画を好み、明治9年家族の反対を押し切り兄嫁の里・竹原の酒醸業竹鶴家の援助を受けて上京。安田老山に師事。千葉地方に遊び研鑽を積み、明治26年、広島に戻る。大正5年、広島県美術展覧会の第1回展から出品し、里見雲嶺、和田華岳らとともに広島画壇における指導的立場だった。昭和元年76歳で死去。
先週の木曜日には「広島・倉橋島名医の蔵SP貴重なお宝大公開」と題して、三谷春の林英紀先生が登場されました。
高島礼子とその道の専門家が蔵の中を鑑定すると言う番組で、先ずは林先生が助手席に高島礼子を乗せ、ロールスロイスを運転し島内をドライブ。その後、豪邸に帰り、婚礼衣装や頼家三代の書も鑑定。蔵の中に入ると言う番組でした。
2019・7・8
ひろしまフオト歩きさん
「三谷春のお宝がTV放映」
BS-TBSで、毎週木曜日よる9時~9時54分まで、「高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?」と言う番組があります。
本コ一ナ一「2016・11・20三谷春を訪ねて②」で紹介した軸類
てんぐの簪はあんなにきれいに保存されて実際に使っていただいていることに感激しました。虫食いの鼈甲や壊れた簪などは残っているのですが、あんなに美しい簪はてんぐにも残っていません。お客様のもとで愛用され続けてこその宝飾品だと想いを新たにしました。旅のあれこれに気を配っていただいて本当に有難うございました。
「宝石のてんぐ」について
元和5年(1619) 9月に和歌山より浅野家入部の折に随従して来広。398年の老舗宝石店。6月の旅猿ツアーで、てんぐが作成した簪を三谷春蔵元令夫人がつけているという偶然があり、参加者一同で感動を分かち合った。
2017・6・20
てんぐさん「てんぐの簪に感動」
旅猿ツアー「三谷春訪問」(2017年6月15日)ではいろいろお世話になりました。またさっそく写真をお送りいただきましてありがとうございました。
いろんなことにびっくりの旅でした。主人も楽しんだようでした。
同じく聿庵によるもっと大きな屏風もある(写真右)。紙にくるまれているのをご当主が見つけ、屏風に仕立てたのだという。
見どころ満載の「三谷春」。だが残念ながら、屏風や軸に何が書かれているかわからない、という方のために、2017年夏ころ、講師の解説付き「三谷春」を訪ねる〃旅猿ツアー〃(人数限定、会員様優先)を計画中。
ご期待ください!
2016・11・20
「三谷春」を訪ねて②
さて、ご当主のピアノ演奏に耳を傾けつつ、その奥に目を転じれば、屏風がある。見覚えのある字体。頼山陽の子の聿庵のものだろう。
「林」の文字が入っている。酔って書いても、義理は欠かさない。
さらに頼春水や山陽の軸も。
(写真左、下)
ご当主が出迎えてくださり、母屋へ。ご当主が庭師といっしょにつくったというお庭には池があり、錦鯉が優雅に泳いでいる。
「三谷春」とは、付近に三つの谷があったことから名づけられたという。正確なことはわからないが、阪井虎山と聿庵は「三谷春」を訪れたことがあるのではなかろうか。
2016・11・18
「三谷春」を訪ねて①
広島県倉橋島にある造り酒屋「三谷春」(林酒造)に、頼家ゆかりの書軸が多数あるというので出かけた。倉橋島は、広島市内中心部から車で約1時間半のところにある。
まず目をひくのは「三谷春」の扁額。広島藩の儒者阪井虎山が命名した「三谷春」を、頼山陽の子の聿庵が書き、銘酒「三谷春」のロゴとして使用されているそうだ。
さらに意外な展開が。なんとご当主がピアノでショパンの「ノクターン」の演奏をはじめられたのである。