2020・6・17 会員希望Aさん、Bさん

    「頼山陽ネットワーク通信18号が読みたいので、会員に」

 

会員希望Aさん

貴ホームページ「問い合わせ」欄の「2020・6・15中嶋康博さんー頼山陽ネットワーク通信18号が読みたい」に名前が記されています者です。私も同通信を拝見したく、ご配慮をお願いいたします。

 

会員希望Bさん

先日,入会した岐阜の中嶋君と同行して、如亭墓移転法要に参加した者です。同じ理由で18号を拝読したい事と、今後も山陽に関して詳しく知りたいゆえ,入会を希望します。先日ようやく見延氏の三巻本「山陽」を入手しました。ゆっくり拝読します。

 

2020・6・15 中嶋康博さん

          「頼山陽ネットワーク通信18号が読みたい」

 

3月の半ば、大きく騒がれる直前の頃に京都に出向き、長楽寺の山陽墓碑ほかの古刹に漢詩人の墓参を敢行。さらに大阪の天徳寺へ、此度の資料紹介論文の発表に伴ひ、宿願となってをりました、後藤松陰先生の墓前報告に行って参りました。
ところで旅の大きな目的で永観堂の柏木如亭の墓碑移動の法要があったのですが、移動したさきに「詩僧稀鈍之墓」なるものがあって、気に留めなかったのですが、御一緒した清水寺学芸員の坂井輝久様よりの御指摘にて山陽とのつながりを御教示頂き、ネット検索しましたところ、貴HPの「2016・6・1湯谷祐三さん「詩僧稀鈍の墓」の記事にゆきあたりました。
過去の通信文ですが「頼山陽ネットワーク通信 第18号」を私が読むことはできますでしょうか。

中嶋康博さんへ

ご連絡の件、会員登録をされていらっしゃいますので、お読みいただけます。登録のアドレスにお送り致します。

引き続き、頼山陽ネットワークをよろしくお願いいたします。

                  頼山陽ネットワーク事務局

 

2020・4・21 見延典子 ⇒ 湯谷祐三さん

                 頼山陽書簡のデ一タべ一ス化」➁

 

そういえば、雲華上人研究家の湯谷祐三さんが「頼山陽書簡集」に掲載されていた雲華上人宛ての書簡をすべてデータベース化したという話をされたいた記憶がありますが、自信がありません。

湯谷祐三さん、もし読んでいたなら、教えてくださ~い。

 

2020・4・18 久保寺辰彦さん「頼山陽書簡のデ一タべ一ス化」

 

いつも返信ありがとうございます。

徳富蘇峰共編の「頼山陽書簡集」は1300通あまりの活字化された山陽の書簡があるので、これを丸ごとエクセルデータベース化できないか考えています。もし、データベース化してしまえば、いろいろな事が瞬時に検索できるようになります。

例えは、以前にも質問させていただいた「時遣働」や「為持上申候」が他の書簡で

どう使われているか、検索ワードに入れれば使用されている個所が瞬時にわかります。そうすれば、読み方や意味をとらえる上で参考になると思います。

ちなみに「為持上申候」ですが、見延先生の読み方の「持上げさせ」で検索することも石村代表の「持ち上げられ」で検索することも可能ですので、どういう結果に

なるかも楽しみです。

ただ、データ量が多いので、入力するのにどれくらい時間がかかるのかわかりません。入力後の間違い探しも大変そうです。それ以前に昭和2年発行の書簡集には巻末の「補正」が数多くあり、ここをまず訂正しなくてはならなくなりそうです。

 

2020・4・15  見延典子 ⇒ 久保寺辰彦さん

              「バランスを欠いている『竹』」➃

 

頼山陽が篠崎小竹宛て書簡で用いる敬称の変遷、とても面白いですね!

この着眼、切り口での研究は見たことがないので、お時間が許せば、ぜひまとめていただきたいと思います。

石村代表もお書きになっていたように、山陽の字体は年代によって異なります。またさまざまな字体を書き分けることもできたでしょう。書家としての頼山陽の魅力を再認識できました。ありがとうございます。

 

2020・4・14 久保寺辰彦さん ⇒ 見延典子

              「バランスを欠いている『竹』」③

 

千葉の久保寺です。いつもご指摘ありがとうございます。今回、先生が言われたことがきっかけで篠崎小竹宛ての書簡をもう一度確認してみました。

ただ、真筆となる書簡そのものが少ないので、小竹宛ての書簡に「老兄」という敬称を使うようになったのはいつごろからかを調べてみました。調べたのは頼山陽書簡集上・下・続と頼山陽名著全集7巻の書簡集の合わせて106通です。

その結果、文化3年、山陽27歳の時に出した小竹宛ての書簡「承弼足下」に始まり、承弼兄、長左衛門様、小竹君、承弼仁兄、小竹兄、篠崎蝶左衛門様、小竹仁兄、承弼老兄、篠兄、承弼様、承弼盟兄を経て、やっと単独で「小竹老兄」と出てきたのは文政8年46歳の書簡でした。

同一人物の宛名ひとつでも、これだけの種類があり、時代によって変化していったのがよくわかりました。

また、山陽の書簡も書いた年代によって字体そのものが変化していく様子も知ることができました。        

                       (事務局注 映像はこちらをご覧ください)

 

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 石村良子代表の編集

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「頼山陽と戦争国家

感想② 感想③

感想④

南々社
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 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

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