2022・8・11
頼山陽の「北条時政論②
(頼山陽『日本政記』安藤忠男訳を、見延典子が要約しています。)
北条時政が実朝を廃して平賀朝雅を将軍に立てようとしたのはどういうわけだろう。外孫の頼家を殺し、やはり外孫の実朝も廃し、その後を婿の朝雅に与えようとする。頼家や実朝は先妻につながり、朝雅は後妻につながる。後妻を愛したということか。
だが婿というなら畠山重忠も同じ婿であるのに、殺したのはなぜか。ここでも婿に嫁いだ娘の出生が先妻か後妻かの違いによるというのか。この心のありようが迂闊で、筋が通っていない。
朝雅が将軍に立っていたら、政子によって北条氏の台頭を許した源頼朝と同じになったところだった。それより実朝を残しておいて、外祖父として重位に拠ったほうがよかろうに、なんと耄碌して、思慮が浅いことか。奸智を使い果たして、馬鹿にかえったのだろうか。
2022・8・7
頼山陽の「北条時政論」①
(頼山陽『日本政記』安藤忠男訳を、見延典子が要約しています。)
北条時政は比企能員を殺し、将軍源頼家を幽閉して殺した。
時政の後妻牧氏は腹黒い女だった。牧氏の生んだ娘は平賀朝雅の妻で、時政の先妻の生んだ娘は畠山重忠の娘であった。
あるとき、重忠の子と朝雅が酒を飲んで喧嘩した。それを聞いた牧氏は怒り、重忠が謀反を企てていると時政に讒言して、畠山一族を滅ぼした上に、女婿の朝雅を将軍にしようとした。その願いを聞いた時政は孫の実朝をなきものにしようとしたが、事が露見し、娘の政子によって伊豆に流され、代って息子の義時が執権になった。
頼山陽が思うに、時政は姦邪で、狡猾だが、一方で本心のわからないところがある。頼家が危篤になったとき、天下を頼家の一幡(兄)と弟に与えようとしたのは、能員の権力を弱めようとしたからだが、これに能員が反発し、頼家と北条氏討伐の密議をしたときには、事態は逼迫していた。だから能員を誘殺し、頼家を伊豆に幽閉したのはわかるにしろ、頼家を殺すとはあまりに残酷である。これは曾孫の一幡を殺したことで、頼家からつけ狙われるのを恐れたからと、いっているようなものである。