中津市萱津町の倉庫に並べられた唐獅子や龍など豪華な装飾が施された米町の祇園車の部材。(文、写真とも西日本新聞より)

2019・11・7

近砂敦さん「中津市米町の祇園車を文化財に復元するプロジェクト」

 

仲間とはじめた「遊び」が、西日本新聞で紹介されました。


600年の伝統を誇る中津市の中津祇園(県指定無形民俗文化財)に40年近く参加していない米町の祇園車を文化財として復元するプロジェクトが、祇園有志によって始まった。ただ屋根などの部材が散逸し漆も一部はげていることから、復元には約1千万円かかる見込み。関係者は「市民への募金活動なども行い、3年をめどに往時の姿に戻し、祭りにも参加させたい」と意気込んでいる。

 中津祇園は15世紀前半に始まった下小路浦(現在の下正路町、角木町、龍王町など海岸沿いの地域)の村祭りが起源と伝わる。明治、大正期の製糸・紡績業の興隆による中津経済の発展とともに規模が拡大し、昭和初期までは博多祇園山笠(福岡市)と小倉祇園(北九州市)と並び「九州三大祇園」と称された。

 米町総代の研俊勝さん(76)などによると、初代の車は1783年に建造され、1910年に大改修されたという。唐獅子や龍の彫り物と螺鈿(らでん)細工の柱などその豪華さで有名だった米町だったが、少子高齢化で83年を最後に出していなかった。貴重な車が米町に眠っていることを知った祇園有志らでつくるNPO法人中津地方文化研究所が「このまま朽ち果てるのはしのびない」と支援を買ってでた。

 3日、米町に近い萱津町にある倉庫へ運び出し、点検すると、屋根や車輪など重要部品がなくなっていることが判明。副所長の近砂敦さん(66)は「米町の特長である豪華な彫り物や螺鈿細工、欄間などは往時のままだった。復元は可能だ」と胸をなで下ろす。研さんは「わが町の祇園車が中津の町を走る姿がまた見られるとは思わなかった。夢のようだ」と感謝した。

 同研究所では協賛金を募る。1口5千円(何口でも可)、第1期は12月31日まで。(吉川文敬)

 

2019・10・20

米山俊哉さん

『影の宰相小早川隆景』を出版➁

 

「梅庵」という呼称で、当ホ一ムページではお馴染みの米山俊哉さん

出版された『影の宰相小早川隆景』を手にする米山俊哉さん
出版された『影の宰相小早川隆景』を手にする米山俊哉さん

 

おやおや、ご本の表紙が変更になったようで。

 

 


2019・10・18

米山俊哉さん

『影の宰相小早川隆景』を出版

 

10月24日、毛利元就の三男で、広島・三原の領主として知られる小早川隆景の生涯と活躍を描く歴史ノンフィクション。『影の宰相小早川隆景』(南々社)を出版します。


前半では隆景の生涯を振り返り、秀吉から「日本一の賢人」と言われるなど、高く評価された理由を探る。後半は、毛利氏と織田信長の戦争から本能寺の変につながる過程を描き、「小早川隆景が本能寺の変を動かした」という説を提起。
本能寺の変は明智光秀が突発的に起こし、その仇を討った豊臣秀吉はヒーローとなった」という通説を覆すような、戦国史に一石を投じる一冊。

 

米山 俊哉(よねやま としや)
広島市生まれ、修道高校、大阪大学人間科学部卒業後、株式会社リクルート入社、広島市に2009年Uターン、
広島大学大学院社会科学研究科マネジメント専攻博士課程前期修了。
歴史資源を生かした地域振興に携わり、米作りにも挑戦中。

「梅庵」として本ホ一ムページでもおなじみ。

 

お問い合わせは 南々社 info@nannanbook.com  ☎082-261-8243 

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

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