2023・7・12
近砂敦さん(大分県中津市在住)
「山陽さんの隈川遊覧」②
小冊子の漢詩は淡窓と五岳がほとんどですが、頼山陽の「隈川舟遊」「淡窓訪問」が載っております。
2023・7・9
近砂敦さん(大分県中津市在住)
「山陽さんの隈川遊覧」
先日求めました「日田の栞」(大正5年発行)の巻頭のグラビアに、山陽さんと淡窓さんの会見の書画(左)、見たことのない山陽さんの隈川遊覧の書があるではありませんか。何か得した気分になり、お送り致します。
右を拡大したものが下。
2023・6・10 近砂敦さん「頼山陽の肖像画について」
⇔ 見延典子
先日、求めました『耶馬渓遊覧詳説』(大正5年発行、鴛海正海著)を見ていましたら、山陽さんがいたる箇所で登場なさっています。
巻頭の画像に山陽さんの初見の画像と現在不明の雲華本と思われる「耶馬渓図」巻の画像がありました。山陽さんの画像はどこが所蔵し、おいくつの頃かわかりましたら教えてください。
近砂敦さんへ
この肖像画は私も初めて拝見するものです。おそらく『耶馬渓遊覧詳説』を出すとき、なんらかの事情で肖像画が入手できないため、どなたかが想像で描いたものではないでしょうか。ご覧の方で、ご意見があれば、お寄せください。
見延典子
最初の画像の左のページ下段の書状について、宛先である中里真清は当時、耶馬渓鉄道社長で耶馬渓鉄道敷設と耶馬渓観光開発に尽力し、昭和4年には二代目中津市長になられた方です。キャプションに「頼山陽先生の子孫橋本氏の書状」とあります。
近砂敦さんへ
頼山陽の子孫という「橋本氏」に心当たりはございません。尾道の橋本竹下の御子孫でしょうか? 書かれている内容から精査する必要があるでしょう。
見延典子
日田の絵葉書は大正初期の三隈川と鍋屋(森家)の蔵がならんでいる画像です。思っていたより、大きかったことがわかります。
インターネットで調べると、涼庭は山陽より7歳年下の1887年(天明7)生まれ。1810年(文化)7月長崎へ勉強に行く途中、神辺で山陽に会っているようです。また1822年(文政5)山紫水明処に招かれてるようです。小石元瑞と共に「京都二代医家」と呼ばれ、篠崎松竹、田能村竹田とも交流しました。順正書院を建てたのは山陽没後の1839年(天保10)です。
2023・6・5
匿名さん「頼山陽と新宮涼庭の順正書院」
『 #頼山陽 史跡詩碑めぐりに』に掲載されていなかったので投稿します。京都の南禅寺には丹後国由良(京都府宮津)出身の蘭方医新宮涼庭が建てた順正書院があります。今は湯豆腐屋になっていいまして、当時のままかどうかはわかりませんが、庭が残っています。
2023・6・1 石村良子代表「京都宇治『萬碧楼』」
京都宇治の「萬碧楼」に行って来ました。
兎道朝暾図うじちょうとんず
青木木米画、左宇治橋奥朝日山左平等院
2階からの宇治川の眺めは素晴らしく対岸の朝日山も緑に映えておりました。
こちらの山にも山陽命名の料亭「鑑水楼」があったという事です。
宇治駅下車宇治橋まで行き平等院の参道すぐの所にある中村藤吉宇治支店が江戸時代のきくや旅館、山陽命名「萬碧楼」の有った場所です
敷地内伊藤博文公の別荘の有った所を喫茶店に改装しています
2023・5・9 ひろしまフォト歩きさん「朝日山山頂」
朝日山(竹原市)の山頂には展望台、観音堂、東屋が設置されていて、東屋には「頼山陽九歳の時に詠んだ歌『朝日山』」が説明文とともに掲出されていて、驚きました。
2023・4・6 チヅPさん「4月16日 杏坪ゆかりの神社で馬神事」
頼杏坪の碑がある広島県庄原市の日吉神社で、4月16日、4年ぶりに馬神事が開催されるそうです。
山王社(現在の日吉神社)にある杏坪の充糧碑。代官だった杏坪は飢饉に備え、柿を植えさせた。また周辺19箇所の村から70歳以上の老人127名を集め、敬老会を催した。 写真/ひろしまフオト歩き