2026・6・21 久保寺辰彦さん「大津と房総①」
今年の旅猿ツアーは滋賀県の大津でしたが、私の住む千葉県の南部と大津は意外と縁が深い。大津といえば天智天皇が667年に飛鳥から遷都した都、大津京で有名だが、天智天皇の跡継ぎで壬申の乱で敗れた大友の皇子(弘文天皇)が亡くなった地でもある。その弘文天皇陵も大津市歴史博物館から移動中に市役所近くで少しだけ見えた。
私の住む千葉県南部には弘文天皇が房総まで落ち延びたという伝説がある。弘文天皇陵だと言われる古墳も存在する。詳しくはこちらを参照
弘文天皇は、この地も追われ最終的には現在私が住んでいる鴨川市の田原地区に来たと言われている。その名残が地名として残っている。私の住むすぐ近くに大里(だいり)という字がある。これが内裏を表しているとか。神のみぞ知る歴史ロマンである。
2025・8・20
山﨑和富さん「頼山陽の西遊時の山口県内の行程に新発見」
会員のみなさま
先月、(公財)頼山陽記念文化財団発行の『頼山陽遺墨選』を購入したところ、なんと新出資料が掲載されており、頼山陽の西遊時の山口県内の行程(岩国~下関広江家まで)が判明しましたので、報告させていただきます。(すでに御存知の方におかれては御放念ください。)
新出資料は同図録P120の82頼山陽書簡(頼梅颸宛)です。山陽が下関に到着して初めて梅颸あてに送った手紙(3/17付)になります。
それによると、下関の廣江家到着までの行程は次の通りです。
3/8岩国 錦帯橋観光~花岡(下松市)宿泊 ⇒3/9台道(防府市)上田堂山宅で宿泊(延齢松の話し)⇒3/10 上田堂山宅を出立~山中駅(宇部市)⇒3/11 長府(下関市)小田南陔宅到着 伊丹の酒で歓待宿泊 ⇒3/12 赤間関へ先触れを遣わす(小田宅宿泊)⇒3/13 赤間関の者が迎えに来る(小田宅宿泊) ⇒ 3/14 長府小田宅を出立~西細江町(下関市)廣江殿峰宅に到着
これまで長府の儒学者小田南陔を訪問したのは4月とされていました(頼山陽全伝)が、この手紙により、3月に長府の南陔宅を訪れたことが分かりました。
また、南陔宅で歓待を受けた際、伊丹の酒が振舞われていたことも分かり、山陽が初めて伊丹酒を口にしたのが南陔宅であったことも新発見です。(これまでは、広江家で初めて伊丹酒「鶴」を飲んで虜になったというのが定説。図録『頼山陽と酒』)
山口県下関市 山﨑和富
