2024年9月25日~26日に行なわれた「旅猿ツアー」に関するページです
「地元発の刊行誌 魅力まるごと申義堂~高砂の豪商岸本吉兵衛と姫路藩家老河合寸翁」
2025・4・24
和田雅樹さん(兵庫県高砂市)
(「魅力!まるごと申義堂」刊行
「魅力!まるごと申義堂」(地元発の観光誌)という冊子が完成しました。これは我々の仲間(一般社団法人高砂市観光交流ビューロー)が執筆し、発刊した冊子で、「高砂神社」「十輪寺」に続く第3弾です。また菅野白華についての記述のある「高砂町ゆかりの人物・39人展」も同梱させていただきます。
「旅猿ツアー姫路高砂」ご参加の皆様&「頼山陽サロン」ご参加の皆様
兵庫県高砂市で案内をしてくださった和田さんから2冊の御本が届きました。
「旅猿ツアー姫路高砂」のご参加の皆様で回覧したあと、「頼山陽サロン」にご参加の皆様にも貸し出しします。ご希望の方はご連絡をお願い致します。
事務局
2025・2・2
青山浩子さん「鞆の浦に工楽松右衛門の足跡を訪ねる」
昨年9月の姫路高砂の旅猿ツアーでは高砂市内を散策しましたが、工楽松右衛門の屋敷は素通りしてしまいました。機会があり、広島県鞆の浦に残る工楽松右衛門の足跡を訪ねました。
最晩年には鞆の浦の湾整備事業を指揮し、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』にも登場します。今も残る大波止については、菅茶山の『鞆浦石塘記」にも記録されています。
工楽松右衛門は(1743~1812)は日本の近代帆布の生みの親で、発明家、実業家として活躍しました。
エトロフ島の埠頭や箱館のドッグも築造しました。
2025・2・1
はじめさん「新幹線から石の宝殿」
広島から新幹線で大阪方面へ、姫路駅を過ぎて2〜3分、左手に昨年9月訪ねた「石の宝殿」らしきものが見えてきます。「生石神社」の屋根らしきものと、山頂近くに大正天皇行幸の碑らしきものも、一瞬ですが見えます。
文政2年(1819)山陽が母の梅颸と共に訪ねた「石の宝殿」(高砂市)。近くの「生石神社」は「おうしこ」と読む。下は昨年髱猿ツアーで訪ねた折の写真