広瀬旭荘の墓は統国寺(大阪市天王寺区茶臼山町1-31)にあります。

『贋作「頼襄像」』と推しウチワ持参!

2025・9・12

久保寺辰彦さん「大阪 広瀬旭荘の墓」

 

 頼山陽ゆかりの地をめぐる大阪の旅、次は「頼襄像」に賛を書いたとして使われている広瀬旭荘の墓所です。

広瀬旭荘(1807~1863)は大分県日田に生まれた。兄は広瀬淡窓。はじめ兄の学塾、咸宜園の経営を助けたが、天保7年(183630歳のとき大阪に出て、堺に開塾した。一時期江戸にも居住し、しばしば旅に出たが、終生大坂を根拠に活躍した。著述にはげみ、詩にすぐれ、詩文の指導には規範を強いず、個性を尊重した。とくに27歳のときから、死の5日前まで書きつづけた日記「日間瑣事備忘」は、旭荘と当時を伝える貴重な資料となっている。(大阪市のホームページより抜粋)

左/統国寺にあるベルリンの壁の前で、旅行中の久保寺辰彦さん。

 


 阿波の商人が海難に遭わないようにと寄進した石灯籠。なんらかのいつながりから山陽が書いたと考えられる。

別の角度から。手前です。
別の角度から。手前です。

2025・9・10

久保寺辰彦さん

「大阪 頼山陽ゆかりの地めぐり

 住吉大社」

 

 大阪に行く機会があり、『頼山陽史跡詩碑めぐり』を片手に、頼山陽ゆかりの地を巡りました。まずは住吉大社にある頼山陽筆の石灯籠へ。

 「推しウチワ」と
 「推しウチワ」と