2025年6月19日(木)、20日(金)催行

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2025・5・18 「第17回旅猿ツアー桑名、津」10名で催行します。

 

 香川県のキクご夫妻(初参加)からご参加申し込みがあり、6月19日に8名、6月20日に2名が加わり、10名での催行予定です。

三重県津市 津図書館
三重県津市 津図書館

  ご参加の皆様は香川県、千葉県、愛知県、広島県から来られます。2009年に全国の皆さんと交流を持つ目的で頼山陽ネットワークを立ち上げました。あれから16年たち、目標に近づいていることに感慨を覚えます。

 津図書館で『日本外史』の写本を拝見するのに人数の申請をしなければなりません。ご参加を検討されている方は早めのご連絡をお願い申しあげます。

           「第17回旅猿ツアー桑名、津」 お世話係 見延典子    

 

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2025・5・17

「第17回旅猿ツアー桑名、津」 6・19(木)~20(金)の行程

 

「第17回旅猿ツアー桑名、津 6・19(木)~20(金)」は以下の通り催行します。交通費、食事代、入場料、宿泊代は参加者のご負担です。ホテルは自分で予約下さい(ご相談下さい)。途中からご参加、途中離脱でもかまいません。

ご参加を検討されている方はメールを下さい。詳しい行程表をお送りします。

 

「第17回旅猿ツアー桑名、津」行程概略

6月19日(木)三重県津市

11時35分 JR津(関西本線)、又は近鉄津駅(駅舎は同じ)集合。

 昼食後、以下を巡ります。

 斎藤拙堂頌徳碑(頼山陽の名が刻される)、頼山陽と論争した猪飼敬所の墓所(土饅頭)、天保年間の『日本外史』の写本を拝見(津図書館)。桑名で宿泊

6月20日(金)三重県桑名市

 頼山陽が松平楽翁に献呈した『日本外史』(桑名市博物館で拝見予定)、頼山陽の漢詩「舟大垣を発し桑名に赴く」で下船したと思われる「七里の渡し」付近を見学、東海道などの町歩き。自由解散。

2025・5・16

 「第17回旅猿ツアー桑名、津

6・19(木)~20(金)」催行決定!

 

「第17回旅猿ツアー桑名、津、

 6・19(木)~20(金)」の催行が正式に決定しました。

 頼山陽ゆかりの三重県桑名市、津市を巡る旅で、現在、7名様(尾崎和則代表、見延典子事務局長を含む)からお申し込みをいただいております。

参考/頼山陽直筆の『日本外史』桑名市博物館蔵


 ご興味のある方はメールを下されば日程表、訪問地など詳細をお送りします。よろしくお願い致します。

 

三重県津市、龍津寺の門の左にある「猪飼敬所先鋭墓所」の案内碑。三重県HPより。

2025・5・13

三重県津市 猪飼敬所の墓

 

  津市の龍津寺に江戸後期の儒者猪飼敬所(1761~1845)の墓がある。

 三重県総合博物館蔵、敬所の書のようだ。

 敬所は京都出身。頼山陽が亡くなる直前、南朝正統論を主張する山陽と、北朝正統論を主張する敬所のあいだで大激論が交わされた。


 敬所は津藩主の藤堂高に招かれて津に赴く途中、山陽を見舞ったのだった。それから13年後、敬所は津藩で亡くなる。京都にも墓があるが、亡骸が収められているのは津藩の墓という。実は津の墓は珍しい土饅頭型をしており、ネットに写真も掲載されているが、転載禁ということでここでは紹介できない。

 

2025・5・11

三重県津市 斎藤拙堂顕彰碑に頼山陽

 

 三重県津市に建つ「斎藤拙堂顕彰碑」に頼山陽の名前が刻まれている。

 原文は漢文。その部分の訳文。(斎藤拙堂顕彰会のホームページより)

二十四歳の時、京都に行き頼山陽を訪ねた。山陽ははじめは拙堂を書生として応対した。ところがその文章を見て非常に驚き、すぐに拙堂を上座に招き、その後は友人として待遇した」

斎藤拙堂顕彰碑。拙堂は津出身。  写真は斎藤拙堂顕彰会HP。
斎藤拙堂顕彰碑。拙堂は津出身。  写真は斎藤拙堂顕彰会HP。

 頼山陽ネットワークでは、2023年3月10日「第15回旅猿ツアー月ヶ瀬」で月ヶ瀬を訪れ、山陽が拙堂の『月ヶ瀬記勝」に触発されて月ヶ瀬に赴いたという解説を行なった。山陽は拙堂の『月ヶ瀬記勝』(正確には梅谿遊記」(一~九)と「梅谿十律」)の添削を行なっており、『月ヶ瀬記勝」の販売拡大、並びに拙堂の名声に寄与したのだった。

 斎藤拙堂顕彰碑に刻された原文については、6月に催行が検討されている「第17回旅猿ツアー桑名」で写真に収めてくる予定である。