頼家関連の投稿ページです。

2025・4・16 山根兼昭さん「頼山陽の漢詩 草稿発見②」

 

中日新聞の担当記者より電話を頂きました。

今回のニュースソースである古美術商店については、企業秘密とのことです。

又新聞紙上での漢詩の紹介は1首でしたが、実際には2首あり、近日中に新聞記事になるそうです。

記事の感想として「頼山陽をよく勉強しましたね。」と言ったら「見延さんの本を何冊も読みました。」とのこと。一度お会いすることを約束しました。

 

2025・4・16

山根兼昭さん

「頼山陽の漢詩 草稿発見」

 

4月15日付中日新聞に「頼山陽の漢詩 草稿発見、弟子・太乙の保証添え書き」 の記事が掲載されました。村瀬太乙は美濃・村瀬籐城の従兄弟。現物は名古屋市の古美術店にあるとのことですので、新聞社に照会中です。新しい情報が得られればお知らせします。

写真はすべて⒋月15日付中日新聞のデジタル版からお借りしました。


運甓居(広島市のHP)
運甓居(広島市のHP)

2025・4・6

石村良子相談役

「三次の火災現場で」②

 

 運は、近所の方々が茅葺き屋根に水を掛け続けて、被害を受けないようにしてくださったそうです。

 ただ、延焼被害を受けた中村さん宅は火のまわりが早く全焼し、何も持ち出せなかったそうです。


 混乱の中にあっても、中村さんは何より運居を守らなくてはと思われたそうです。近所の人も「中村さん、安心しんさい我々が守るよ」と声をかけてくださって嬉しかったと言っておられました。

※荒廃が進んでいた運居を、中村さんご夫婦は私財を投じて再建された経緯がある(事務辱)

 

2025・4・5

石村良子相談役「三次の火災現場で」

 

 広島県三次市の火災のニュースは広島県内では広く報道されたので、すぐ三次にかけつけました。運居への延焼は免れましたが、運居の保存に私財を投じらてこられた中村さん宅は全焼で、かける言葉もございません。ご夫妻とも無事なのは何よりでした。

 

全焼した自宅を見上げる中村さん
全焼した自宅を見上げる中村さん

地元のニュースから
地元のニュースから

2025・4・5

匿名さん「三次の運甓居近くで火事」

 

 広島県三次市の頼杏坪の役宅「運甓居」近くで火災があり、「運甓居」は住民の力で守られましたが、3軒の民家が全焼したそうです。

 


2025・4・3 滝谷節子さん

「祝生誕200年 

 頼三樹三郎が旅した新潟県村上市」

         ⇔ 見延典子 

 

 新潟県村上市から2025年「頼三樹三郎生誕200年」を一人祝しています。

  

 僭越ですが 真実の頼三樹三郎をもっと知っていただきたい。私は木崎好尚氏『頼三樹伝』(昭和18年発刊)をバイブルとして学びました。

 

 昭和539月に「頼新氏」をお迎えし 揮毫の碑『笹川流れ』を建てお祝いしました。日本海の景勝地です。その時安藤英男氏の著書持参?と。

新潟県村上市の笹川の流れ。澄み切った碧い海は日本屈指の透明度を誇る。11km続く海岸では日本海の荒波の浸食により奇岩、岩礁や洞窟など変化に富んだ風景が広がり、豪壮な景観は国指定の名勝及び天然記念物になっている。

        写真と説明文はネットより


(当地 旧新潟県岩船郡山北町、国・名勝及び天然記念物指定昭和295日)

 

 足掛け8か月、若き華のときの三樹がいます。村松浜「平野家」をベースキャンプに、越後を各地の足跡があります。

 

写真はネットより
写真はネットより

滝谷節子様

 初めてのご投稿をありがとうございます。御地新潟県の名勝「笹川の流れ」については『頼山陽史跡詩碑めぐり』(2023年刊)で紹介していますが、実際に訪ねたことはありません。

 連載中『はるかなる蝦夷地』では、これから江差滞在を終えた頼三樹三郎が津軽から日本海側を南下し、京都に帰る場面を描く予定です。


 奇しくも木崎好尚著『頼三樹伝』と向き合う日々です。ただ、土地勘や知識もなく、不安を抱えながらの執筆になります。何卒お力添えいただきますよう、よろしくお願い致します。

                            見延典子