「日本肖像画図録」(京都大学文学部博物館図録、思文閣19914月発行 )掲載の頼山陽の肖像画が贋作であることを検証したコーナー。見延典子が書いています。

2025・9・13 山根兼昭さん「肖像画まで贋作・さすが頼山陽」

 

頼山陽の肖像画と言えば、山陽が自らの寿命を感じた晩年、東山義亮に書かせた数枚の肖像画の一枚に自賛文を書いた、という理解をしておりましたが、これほど贋作があることに驚きました。


これもネットワークの探求心の賜物であり、頼山陽の奥深さを感じました。

興味深く拝読させていただきました。  

 

2025・9・12 

西村嘉郞さん「髭が濃い!」

          ⇔ 見延典子

 

「頼襄像」で気になっていることがあります。それは髭が濃い!ということです。

1、山陽のような方が髭を伸ばしたままのような絵姿を好むか?

 というか、そもそも

2、頬の髭が濃い人だったのか?

 ということがあります。


 頬に髭が生えるかどうかは人それぞれで、私などは剃ろうが剃ろまいが、そもそも頬に髭は生えてきません。一方で私の友人にもいますが、髭の濃いといわれる人は頬にも髭が生えてくる人が多いです。原因はよくわかっていないみたいですが、男性ホルモンや遺伝などらしいです。

 見延さんのお話に加え、頬の髭をみても私には贋作ではないかと思えました。

 

 西村嘉郞さん

  男性ならではのご感想と思います。頼山陽に関して「髭が濃かった」という

 記載は読んだ記憶はありません。この贋作師は、黒々とした(通常は青々した

 でしょうか)髭跡、しかも白い髭も混じっていないことで、壮年期の頼山陽を 

 描こうと狙ったのかもしれません。

  しかし『贋作「頼襄像」』でも書いたように、おとがい部分に白い〇のような

 ものを二つ描いたため、顎の幅を感じさせてしまい、結果として「ゴリラ顔」

 みたいになったかな、とも考えます。

                            見延典子

『贋作頼襄像」』(1冊1、000円、送料無料)をご希望の方は、メールでご連絡くだされば、入手方法をお伝え致します。

メモ: * は入力必須項目です

山根兼昭さんの篤志により作成しました。
山根兼昭さんの篤志により作成しました。

2025・9・11

『贋作「頼襄像」』をお分けします。

 

『贋作「頼襄像」』は頼山陽ネットワーク会員の交流を促し、頼山陽の理解を深める目的で作成しました。ご希望の方にはお分けします。

 全37ページ、フルカラー、ホチキス止め、1冊1、000円(送料込み)

 


目次

はじめに 真贋調査を開始するまで・・・・・・・・・6

「頼襄像」について調べ始めるまで 突然開いた記憶の扉

第一章 「頼襄像」の出典・・・・・・・・・・・・・・・7   

  出典は『日本肖像画図録』 伝播していく「頼襄像」

第二章「帆足杏雨の肖像画」部分 ・・・・・・・・・・9

帆足杏雨について 「まるに蔦」の紋 浦上春琴筆の頼山陽 肖像画もあった? 着物に現われる時代性 三本の歯 伝谷文晁の肖像画 「頼襄像」の落款 落款印章について 『帆足杏雨展図録』から帆足杏雨の落款

第三章「広瀬旭荘の賛」の部分・・・・・・・・・・・・18

広瀬旭荘の賛 広瀬旭荘の落款 「荘」「謙」の字形が異な

る 「姓名印」「雅号印」が逆 

第四章 他の肖像画との比較 ・・・・・・・・・・・・・22

  肖像画と賛のバランス 同じ画家が後年再び描く 作者不明の肖像画 膝の位置 肖像画の模写 ニュアンスが異なる模写作品 肖像画、西洋の影響 肖像画の比較 「頼襄像」の口の描き方は疑問

第五章 描かれる頼山陽・・・・・・・・・・・・・・・29

  安藤英男の「頼山陽画像と自讃文に関する一考察」 田能村竹田筆「山陽肖像」? 生前の山陽を写したのは義亮の肖像画だけか? 義亮の肖像画には「襦袢」が描かれていない 贋作「頼襄像」の要点

終わりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36

  それぞれのあとがき プロフィール

 

残業にも弱音をはかないプリン太くん
残業にも弱音をはかないプリン太くん

 会員の久保寺辰彦さん、山﨑和富さんには的確なご指摘や検索や校正でお世話になりました。おかげさまで、頼山陽ネットワークの活動を記録として残すことができました。

 

2025・9・10

印刷中

 

『贋作「頼襄像」印刷中です。


2025・9・3

贋作「頼襄像」』久保寺さん、山﨑さんのご協力で校正中

 

 頼山陽の命日9月23日の発行を考えて作成していた「贋作『頼襄像』」。久保寺辰彦さん、山﨑和富さんのご協力により校正作業も順調に進み、予定より早く発行できそうです。

 このホームページ上での議論以外にも、新たな気づきがあり、加筆しています。「頼山陽ネットワーク」だからこそ作れた一冊と自画自賛しています。

 表紙も少々手を加え、最終的に左のように決定しました。過激ですかね?