2025・6・18
札幌の日程終了
6月12日から札幌に行き、「鈴木煉瓦製造場シンポジウム」にかかわるさまざまな行事に参加。17日夜帰広。
13日の白石区民まつり前夜祭の会場は月寒のアサヒビールハマナス館。私が子ども時代を過ごした白石のエリア内にあるためか、札幌市長、宮城県白石市長、函館市長らお歴々の挨拶の後、大泉恒彦さん(タレント大泉洋のご尊父)とともに記念講演を頼まれ、幼稚園、小、中学校の思い出など語る。
13日は白石区民まつり前夜祭に招かれ、14日はシンポジウムの開催、15日は白石の町歩きに参加。
大好きなジンギスカン、ビールもご馳走になる。運営に関わったすべての皆様ありがとうございました!!
2025・6・17
セントポーリア
実家の温室にあったセントポーリアの鉢植え。しかし段差があって、老母は以前のように下りていけない。そこで居間の手の届きやすいところに移動させる。これなら日々手入れできる。
企画運営の白崎邦彦さん、閉会の辞の阿部高さん、パネラーの大泉恒彦さん、鈴木清春さん、杉浦正人さん、見延典子、さらに大泉さんと鈴木さんの奥様もご参加され、シンポジウムでは話し切れなかったことを大いに話し合った。長濵さん、ご馳走さまでした。
2025・6・15
シンポジウム打ち上げ食事会
6月14日、鈴木煉瓦製造場シンポジウムが終了後、長濵好博さん主催による食事会が開かれた。
ミニ解説 明治期に「白石87番地(現札幌市白石区本通9丁目南)を購入した大泉家、大泉家から87番地を買って鈴木煉瓦製造場を建てた鈴木家、鈴木煉瓦工場でレンガを焼いた長濵家。87番地でつながる3家の交流である。
左から大泉ご夫妻 阿部さん、挨拶する長濵さん、鈴木ご夫妻(札幌グランドホテルにて)
2025・6・13
札幌へ
札幌の実家へ。妹夫婦が手入れしている季節の花々が出迎えてくれる。
96歳の老母もまずまず元気。
2025・6・11 島博三、頼家三代コレクション
白牡丹の祝賀会場ロビーには、現社長の曽祖父島博三がコレクションした頼家三代(春水、山陽、聿庵)の書軸も惜しげなく展示されていた。
これまで展示したことはなかった、というようなお話であった。内容についてはいずれ調査し、ご紹介したいと考えている。(掲載のご許可を得ております)
2025・6・10
夏目漱石と白牡丹
白牡丹の祝賀会場ロビーには、横山大観の白牡丹の絵に、夏目漱石が一句認めた軸も展示されていた。
白牡丹の縁者が漱石と同級生だった関係で書いてもらったそうである。
白牡丹李白が顔に崩れけり 漱石
(許可をいただいて掲載)
招待客は200名余り。見延が招かれたのは、350年記念の社史に「白牡丹、350年の歴史」を執筆している縁からである。
350年前の6月7日に建てられた「延宝蔵」に棲む菌から醸された350年記念限定酒。
2025・6・9
白牡丹350周年祝賀会
6月7日、東広島市の白牡丹株式会社が創業350周年を迎え、広島市内のホテルで盛大に祝賀会が開かれた。
「白牡丹」の名のいわれになった「鷹司家」御当主やご子息ご夫妻が東京からご列席、白牡丹のロゴ、版画を作成した棟方志功のお孫さんとも歓談できた。創業の古さは広島県内で「ベスト10」に入るという。長く経営を続けられた秘訣を参加者のお話から伺うことができて、大いに参考になった。
2025・6・3
竹の子
竹の子のシーズンに皮付きの縦の子をどっさりいただいた。竹の子は大好きだが、下処理に手間がかかる。皮を剥いて、米のとぎ汁で茹でて、剥いた皮をゴミ袋に入れて、やれやれと思っていたら、なんと、また竹の子が届いた。一句詠み、句会に提出した。
竹の子を茹でて一日終はりけり 典鳥
2025・5・31
山本和宏監督
句会があって、大ヒット映画『104歳、哲代さんの一人暮らし』の山本和宏監督(37歳)が参加された。
山本監督は、学生時代から私たちの句会に参加されていた。『104歳、哲代さんの一人暮らし』は広島で先行上映されたあと、全国の70以上の映画館で上映され、観客動員数は47、000名を越えているという。舞台挨拶など忙しく飛び回っているそうだ。さらなる飛躍をお祈りします!
2025・5・30
米がなければ②
なんども書いているように、私の母方の祖母長濵カツヱ(旧姓中山)の祖父、父は四国徳島から屯田兵として札幌郊外の篠路兵村に入植した。1889年(明治22)春である。
入植した日、入植者220名(大人、子ども含め)は炊きたての白いご飯でもてなされた、と何かで読んだ記憶がある。徳島でも食べられなかった白飯を、食べ盛りの子らにお腹いっぱい食べさせられるというのは、親にとっての大きな喜びだったであろう。先祖が屯田兵を志願した理由の一つはそこのあったのだろうと、子孫の私は考えている。
そして入植した屯田兵がまずやることは、そばの種を蒔くことであった。そもそも当時札幌近郊で米は収穫できなかった。そばであれば、多少土壌の悪い土地でも実をつけてくれる。米がなければ、そばがあるのだ。
米がなければ、イモがある。新じゃがを軽くチンしたあと、油で低温から揚げる。粗塩をパラパラ。美味!
2025・5・29
米がなければ
米が高騰した背景、理由がわかってきた。なるほど。石破さんも「米を買ったことのない」あの方も、何の策を講じることなく、国民のお金が流れていく様子を眺めていたわけである。
2025・5・24
米、価格高騰の理由
5㎏4、300円(税込)の米を買う。売り場にあった一番安い国産米だ。来月初旬には「2、000円」で買えるという。ふうん。
2025・5・19
ラッキョ
あれこれやらなければならないことがあるのに、スーパーでラッキョを見かけると購入。市販のラッキョ酢は買わず砂糖、塩、味醂などつくるところがやや手間か。でもそのラッキョ酢にラッキョを漬けこむだけだ。味噌造りに比べ、なんと簡単な作業だろう。
2025・5・9
葱坊主
薬味として利用してきたネギも、葱坊主になってしまった。しかしネットによれば、葱坊主だけを切り取って株の部分を植え替えれば、秋にはまた収穫ができると書かれている。
葱坊主になったらおしまいと思っていたので、得したような気分になる。さっそく早速葱坊主だけ取り除く。あとで植え替えてみよう。
2025・5・8
春菊
冬のあいだ、ときどき摘んでは料理に使っていた春菊。もともと米山農園から一株ほどいただいてきたものをプランターに植えたもの。
春の到来とともに茎の部分がぐんぐん上に伸び出し、蕾をつけたと思ったら、写真のようにかわいらしい黄色の花を咲かせた。
「春に咲く菊のような花」だから「春菊」という名称がついたのだろうか。
台湾米は5㎏4000円くらい。こちらは日本の米と同じ種類の品種らしい。とりあえず台湾米を購入。
政府が本気で米の値段を下げるつもりがないことがわかってきた。
2025・5・6
輸入米
スーパーの米売り場の棚はガランとしたまま。隅に置かれているのは5㎏5000円くらいの米ばかり。
代わって輸入米を見かけるようになってきた。カルフオル二ア米なら5㎏3200円くらい。それでも昨年までの価格を考えれば、十分高い。
2025・5・5
押し絵の兜
写真の「押し絵の兜」は母が作ってくれたもので、子どもの日になると毎年載せていると思う。
母は手先が器用で、押し絵以外にも多くの趣味をもっていたが、96歳の今は本人曰く「生きるのに精一杯」の状態になってしまった。とはいえ幸い包丁は持てるので、毎日台所に立って食事を作り、食べている。
2025・5・4
竹原市の「頼山陽まつり」②
「賴山陽まつり」で、お煎茶をいただいた。そばには「頼山陽像」が飾られている。
会場にあったものを見つけ、せっかくだからと飾ったのだという。
このような賴山陽像はこれまでにも数体見たことがある。賴山陽がもてはやされた戦前に、かなりに数作られたのだろうか。
特徴的なのは、どことなくいかめしい感じのお顔と膝の上に置かれた両手。病没する直前の肖像画をもとに作られたことがわかる。
主催は竹原賴山陽顕彰会(竹鶴壽夫会長)。神事に続き、同会会員による「不識庵機山を撃つの図に題す」の吟詠が行なわれる。「べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる~」である。この吟を聴くと「頼山陽まつり」にきたという実感がわいてくる。事務局長の大歳英子さんともお話できた。
頼山陽ネットワークからは石村良子相談役、尾崎和則代表、見延典子事務局長が参列した。3人がそれぞれ玉串奉天を行ない、神事のあと5名が挨拶し、見延もそのうちの一人。
2025・5・3
竹原市の「頼山陽まつり」①
GWの最中の5月3日、竹原市で行なわれた「頼山陽まつり」に参加した。山陽道は大渋滞。遅刻してご迷惑をおかけするのではと危惧したが、50分遅れでなんとか間に合う。
「賴山陽まつり」は竹原市の「竹まつり」の一環として行なわれているため、竹原市長らも出席されている。
右下の写真/左から石村良子頼山陽ネットワーク相談役、尾崎和則同代表。
竹鶴壽夫竹原賴山陽顕彰会会長、見延典子 竹原市の頼山陽広場にて。2025/5/3