見延典子の「頼山陽と戦争国家」のブログです。
2019・9・19
再校が終わる
「頼山陽と戦争国家」の再校(2度目の直し」が終わる。
初校より増えた付箋は、格闘の跡と考えよう💦💦💦 版元の南々社から、帯に入れる文言の提案があり、編集作業は順調に進んでいる。次回、表紙をご紹介できれば…。
2019・9・11
歴史的な写真
『頼山陽と戦争国家』の再校。わかりやすくいうと、2度目のチエック中。でも初校より再校のほうが、付箋の数が多いなんて💦💦💦
想定外といえば…
すでに何千回開いているかわからない『頼山陽全伝』の口絵写真に、昭和6年に広島で開かれた「頼山陽没後100年祭」で総裁を務めた広島藩最後の藩主浅野長勲の、まさに祭文を読んでいる姿が載っていた。
他に確認したいことがあり、思わず手がすべって偶然開いたページに、こんな貴重な一枚が掲載されていたとは…。
2019・8・29
初校の校正が終わる
『頼山陽と戦争国家』の初校の校正が終了。拙稿を版元に渡したときには、これほど修正箇所があるとは思わなかったな💦
文というのは、直せど、直せど、完璧には遠い。頼山陽が生涯をかけて自作の推敲に打ちこんだことがわかる。
初校を版元に送ったあと、再校が待っている。まだ気は抜けない。
2019・8・27
兵藤裕己著
『太平記〈よみ〉の可能性』
同じ「太平記読み」の本でも、兵藤裕己著『太平記〈よみ〉の可能性』はかなり刺激的だった。ここ数年読んだ本の中で、最も面白かった。
「太平記よみの語りは、中世・近世を通じて人びとの意識に浸透し、天皇をめぐる2つの物語を形成する。
その語りのなかで、楠正成は忠臣と異形の者という異なる相貌を見せ、いつしか既存のモラル、イデオロギーを掘り崩してゆく」という帯の文言は、そのまま頼山陽の評価の変遷に重なり、日本が辿った中世から近代までの歩みを想起させる。1996年度サントリー学芸賞受賞作。
2019・8・23
若尾政希著
『「太平記読み」の時代』
「太平記読み」という言葉をご存じだろうか。江戸初期、路傍や門口などで『太平記』を読んで銭をもらうこと。またその芸能者をさす。後の「講釈師」の祖というべき存在だ。
本書で最も刺激的なのは、帯についているキャッチコピーだろう。
若尾政希『「太平記読み」の時代』
(2012年、平凡社)
「江戸期の政治秩序を支えたのは朱子学ではない、『太平記読み』の思想である!――忘れられた大流行の注釈書『太平記秘伝理尽鈔』に着目し、近世思想史の流れを付け替えた傑作」
頼山陽を調べている人なら、必ず立ち止まるであろう「朱子学」という言葉。その観念を吹き飛ばすような強烈なコピーだ。但し、内容はしごく真っ当で、期待したほどのインパクトはない。
2019・8・22
鹽谷温著『頼山陽と日本精神』
鹽谷温著『頼山陽と日本精神』は1940年(昭和15)「日本精神叢書15」として教学局から出版された。初めは思想局から出されたが、思想局が廃止されたため、装丁の異なる2種がある。
ちなみに思想局、教学局とも、学校や社会教育団体における思想上の指導・監督および調査など事務をつかさどり、思想対策の強化を図る目的で文部省に設置された。
「日本精神」という語の説明として、『頼山陽と日本精神』の中に「日本精神とは要するに『我が国国体に即したる精神』に他ならず、国体は日本書記に載せられたる天孫降臨の神勅に尽きている」とある。
また『日本外史』については「抑々山陽が『日本外史』を編述した大旨は、国体明徴と勤王論の精神に在つた。されば政治の権が武門に帰したるを憤き、之を天皇親政の正しき国体本義に復さんとて、皇室の式微を嘆じ、王権回復の徴意を随処に文字章句の間に閃かしてゐる。故に之を読んでいけば、不知不識の間に、勤王論にひつけられて感慨奮起するに至るのである」
敗戦直前の、これが国家の容認する『日本外史』の捉え方である。
2019・8・1
「頼山陽文徳殿」ゆかりの資料を
掲載予定
10月末刊行予定の『頼山陽と戦争国家』(南々社)では、昭和6年(1931)頼山陽没後100年を記念して建設が決まり、広島市に現存する「頼山陽文徳殿」がどのようにして建てられたか、経緯を記した資料を全文掲載予定である。
資料の1点目は「山陽文徳殿建設の由来」、2点目は「山陽文徳殿建設ノ経過及概要」。いずれも戦前に書かれたもので、公益財団法人頼山陽記念文化財団の所蔵品。
20年以上前、頼山陽史跡資料館の開館を準備しているころ、光本乾という方から寄贈されたものという。頼山陽文徳殿建設に尽力した光本鳳伏氏のご子孫のようである。
これまでほとんど注目されず、一般に公開されるのは初めて。
ご期待ください。
『頼山陽と戦争国家』のゲラが版元から届く。細かい直しが必要。こういう作業は、雨の日のほうが進む。
2019・7・19
ゲラが届く
昨夜から今朝にかけ、激しい雨が降った。ここまでの雨は苦手だけど、しとしと雨はわりと好き。
2019・7・6
「戦争」と「平和」と
先日の石村代表のブログを読んで、公的な施設の名称に「戦争」という言葉を入れては、許可が下りないことがわかった。
それが広島市に限った話なのかは知らないが、もしそうであれば「国際平和都市ヒロシマ」のイメージダウンを恐れてであろうか。
早ければ10月末に店頭に並ぶ予定の拙著のタイトルは、『頼山陽と戦争国家』。以上を踏まえれば、なかなかに挑発的なタイトルではないか。いや、タイトルだけでない。内容もなかなかのもんなのである。
というわけで、久しぶりに夜の街へ(笑)
2019・6・21
脱稿
昨年の初めから書いていた『頼山陽と戦争国家』を脱稿する。
この解放感がよい!