恭しく「蔵元封緘之証」とある。

2016・12・15

大分麦焼酎「擲筆峰」

 

耶馬渓といえば「あの方」から大分麦焼酎「擲筆峰」が届いた。

頼山陽が耶馬渓と名づけたいわれも書かれている。ありがとうございます。いただきます…じゃなくて、いただいていまーす!

 

 


2016・8・26

中津のオッサンが講師に

 

9月2日~4日に開催される第13回「『川』のオープンカレッジin山国川」で、中津のオッサンこと近砂敦さんが講演を行う。


中津のオッサンは「深く考えなく、簡単に引き受けました。手元に届いた資料を見てビックリ。講師の方々を見ると九大、立命大、宮大の先生方ばっかりやん」と自身のブログで綴っている。

 

お申込みは九州河川協力団体連絡会議のフェイスブック

 

 


『白き甕』藤沢周平著
『白き甕』藤沢周平著

2016・8・19

歌人長塚節も「耶馬渓」へ

 

藤沢周平著『白き甕―小説長塚節』を読んでいたら、長塚節が明治42年7月に耶馬渓を訪れる場面が描かれていた。 以下、その行程。

 

7月5日、中津から耶馬渓の奥まで乗合馬車に乗る。耶馬渓の景色を眺めながら山国川に沿う8里の道を行き、終点の三郷村中摩で一泊。


7月6日、雨の中、山国川の源流に沿う奥耶馬渓を見ながら英彦山に向かう。歩きにくい道を3里も歩き、英彦山北麓の槻木につき、木賃宿で休んだあと薬師峠を越える。

 

7月7日も雨だったが、小僧を案内人で英彦山に登る。雨がやまないので宿にしている天満屋に戻り、2日間は無為に過ごす。

 

7月10日、まだ雨が降る中、下山して中摩へ行き、乗り合い馬車に乗り、柿坂まで戻って1泊。

 

7月11日、山移側に沿う新耶馬渓の見物に出かけ、美しさに驚く。

 

7月12日、柿坂まで戻り、乗り合い馬車で青まで下り、跡田川に沿う羅漢寺を訪ねる。

 

7月13日、青の洞門を見て中津に戻り、池大雅の書画を多数所蔵している自性寺を訪ねる。

 

※「耶馬渓」といっても「本耶馬渓」「深耶馬渓」「奥耶馬渓」「新耶馬渓」などがあるようだ。

近砂敦著『耶馬渓』でも耶馬渓を訪れた著名人の項がある。
近砂敦著『耶馬渓』でも耶馬渓を訪れた著名人の項がある。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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