2021・2・21 月ヶ瀬「梅まつり」
3月に一泊2日で予定していた旅猿ツア一「月ヶ瀬」。コロナ禍の現況を考慮し、断腸の思いで延期を決定したことはすでにお知らせした通り。
ただ、計画を立てるにあたり、梅の開花時期や、周辺の観光情報を教えていただいた月ヶ瀬観光協会の事務員さんとは親しくなり、月ヶ瀬のパンフレットなどを送って下さった。「梅まつり」は予定通り開催されているが、臨時バスが中止になるなど観梅に出かける方はご注意下さい。
2016・2・24
山根兼昭さん「頼山陽の月ヶ瀬探梅」②
ーその3-
清気を帯び将ちてまた家に帰る 眼に在る渓山 玉瑕を絶つ
和州の香 世界を観るに非ずんば この生何ぞ梅花を説く可けんや
(大意)身も心も清い香気を帯びて家に帰る。眼の底には瑕山、白梅、さらに微瑕もない。この大和の国の香世界を見ない間は、どうして梅花を説く資格があろうか。
頼山陽は、深く月ヶ瀬の梅渓を賞し、数十年後には景勝の地として有名になるであろうと予言しております。
この時は終始天候が悪く難儀をしたようですが、それをものともしない山陽の迫力を感じます。推測ですが、2月19日は父春水の15年祭に当たり、その祭事に集った諸名士を月ヶ瀬探梅に誘ったのかと思います。
月ヶ瀬梅林について
奈良市月ヶ瀬の梅林は、江戸から明治にかけ、梅の実を燻製にした烏梅(うばい)が、京で紅花染めの原料や薬として使われたため10万本に及ぶ梅ノ木がありました。その梅が五月川沿い一面に咲く景観は山陽をして「吉野山の桜に勝る」と言わしめたのであります。
月ヶ瀬は京都からも近く、今も山陽の予言どおり日本一の梅の名所となっております。 (了)
2016・2・21
山根兼昭さん「頼山陽の月ヶ瀬探梅」①
頼山陽は1831年(52歳)2月中旬、同人に檄を飛ばして月ヶ瀬探梅を企てました。参集した者は、末広雲華、小石元瑞、細川林谷、浦上春琴、宮原節庵、関藤藤陰などの諸名士で、21日に京を発ち、月ヶ瀬の五月川に達したのが23日でした。終始雨にたたられましたが、、翌24日も蓑笠をつけて梅渓を一見、正午頃には笠置を抜けて、25日には木津川を下り夜に入って帰京しました。
本日2月21日は頼山陽が月ヶ瀬に向けて京を発った日(但し旧暦)。
頼山陽が月ヶ瀬で詠んだ詩を紹介します。
ーその1-
両山あい迫って一渓明らかなり 路断えて游人渡しを呼んで行く
水と梅花と隙地を争い さかしまに涵す万玉 影 斜横
(大意)両方から山が迫り一脈の渓水が澄みきって流れている。路の絶えるところ、渡し守を呼んで川を渡った。水と梅花と寸地を争い、川の流れのほかは尽く梅花である。その万玉の梅花を、さかしまに水にひたして、陰が斜めに横たわっている。
ーその2-
万樹の梅囲んで渓水長し 芳山あに敢て春芳を壇にせんや
東風一様晴雲白し この中の雲 香りあるに孰ぞ
(大意)万樹の梅が、長く流れる渓水をかこんでいる。この美景に接すると、吉野山だけが花の名所をほしいままにすると言う訳には行かぬ。春風の吹くところ、悠々たる白雲の趣は両所とも同じであるが、月ヶ瀬の雲の香りあるに比べれば、さて吉野が勝っているとは言えないのではないか。
2016・2・20
月ヶ瀬観光協会様「月ヶ瀬の写真」
頼山陽ゆかりの地として以前から紹介したいと思っていた奈良県の月ヶ瀬。
思いきって月ヶ瀬観光協会に連絡したところ、なんと事務局(奈良市月ヶ瀬梅の資料館)のご担当者様が写真を送ってくださった。ありがとうございます!
月ヶ瀬観光協会のホームページによれば、場所によって3分先~5分咲き、これからいよいよ見ごろを迎える様子。
皆さんも是非訪れてください。
尚、頼山陽が月ヶ瀬に行った話、頼山陽が月ヶ瀬で詠んだ詩について、おなじみの山根兼昭さんが明日から2回にわたって連載してくださる。お楽しみに。