2017・2・26

麻生由紀さん

「千光寺の絵葉書に頼山陽の漢詩」

 

「尾道千光寺山展望」という古い絵葉書に頼山陽の「登千光寺」の漢詩が載っていました。広島県立文書館所蔵。作成年は不明です。

 

 


千光寺山の玉の岩かげに、雨風にさらされながら、見るも無残な状態になっている」頼山陽の親友田能村竹田が書いた碑がある(写真右)「えい」の漢字が難しずぎて、パソコンでは出てこない。内容に関してはすでに頼山陽ネットワーク事務局の進藤さんが解読をすませており、いずれ論文として発表する予定。

田能村竹下像と進藤多万さん 2015・4・6千光寺公園
田能村竹下像と進藤多万さん 2015・4・6千光寺公園

尾道にある頼山陽、または頼山陽ゆかり文人の詩碑、銅像、文化財を探しています。掲載可能な写真をお持ちの方はご一報ください。よろしくお願い致します。

 

2017・1・21

頼山陽 尾道の足跡②

 

第6回旅猿ツアー「尾道文人茶会」が行われたのは2015年4月6日。千光寺公園は満開の桜で、多くの花見客でにぎわっていた。

 右から「えいこうのひ」
 右から「えいこうのひ」

尾道市の浄泉寺には頼山陽の筆による「離垢」と刻された水盤がある。文政7年、山陽45歳の時。


右の写真。「爽籟軒庭園」は尾道の豪商橋本家の別荘だったところで、頼山陽も天保2年の仲冬に訪れている。この時、山陽52歳。橋本竹下のために『日本楽府』68闕を揮毫。翌年、京都で没した。

頼山陽も訪れたろう2畳の明喜庵山陽も好んだ煎茶をいただく
頼山陽も訪れたろう2畳の明喜庵山陽も好んだ煎茶をいただく

2017・1・17

頼山陽 尾道の足跡①

 

ご紹介が遅れていた「頼山陽 尾道の足跡」。頼山陽ネットワーク通信第15号(2015年7月発行)から再掲する。

 

まず左の写真は千光寺公園に建つ頼山陽之像(橋本次郎作)と詩碑。

詩碑の内容については…「多万さん、読んでいたら、至急お願いします!」(最近、ホームページは伝言板と化しているが、読者の皆様、ご高察を願います)

2015年4月6日 爽籟軒の前で
2015年4月6日 爽籟軒の前で

「爽籟軒庭園」内には茶室「明喜庵(みょうきあん)」(写真左)がある。京都山崎にある国宝の「妙喜庵待庵」を写したもの。

2007年「爽籟軒庭園」は尾道市の名勝に、茶室明喜庵は尾道市重要文化財に指定された。

 

 


2017・1・15

麻生由紀さん

「頼山陽の往来安全灯籠」②

 

「頼山陽の往来安全灯籠」についてもう少し拡大した写真をお願いしたところ、麻生由紀さんから、再び灯籠だけを写した写真が寄せられた。なるほど、どっしりした印象の灯籠である。

頼山陽が生きていた200年ほど前は、瀬戸内海でも海難事故が多かった。そのことに心を痛めた頼山陽が海の安全を祈願して書いたのであろうか。

 

 


右下に「往来安全灯籠」が見える。
右下に「往来安全灯籠」が見える。

2017・1・14

麻生由紀さん

「頼山陽の往来安全灯籠」

 

広島県立尾道東高等学校を卒業された麻生さんから、同校に「頼山陽遺墨の往来安全灯籠」があるという情報が寄せられた。


最晩年の頼山陽が尾道を訪ねた際、筆を揮ったもので表に「為往来安全」裏に「内海自得建立」と書かれている。当初同校下の防地川添いに建てられていたものを、ずいぶん前に同校の敷地内に移し、平成21年同学校百周年記念事業の一環としてさらに現在の場所に移した。

説明板
説明板

江戸時代」に建てられた「交通安全標識」としては日本最古のものという。

 

※写真は広島県立尾道東高等学校、広島県立主道東女学校同窓会「浦曙会」のホームページに掲載のものをお借りしました。「往来安全灯籠」の詳しい写真をお持ちの方はご連絡ください。

また尾道における頼山陽の足跡については、ご紹介が遅れておりました。今後充実させていく予定ですので、皆様も何か情報があれば引き続きよろしくお願い申し上げます。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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