今週から企画展「頼山陽と酒」が頼山陽史跡資料館であるとお知らせをいただいていたので、何かのご縁と思い、包装紙を開けてみると、頼山陽の漢詩がありました。

こちらは広島の酒「明魂」
こちらは広島の酒「明魂」

2017・10・14

麻生由紀さん「剣菱」

 

先日、志和のお寺さんから「剣菱」を頂きました。

剣菱と山陽の関係が深いとは知っていましたが、人の目に触れる形で現代に受け継がれていることに感心いたしました。

※左は現在、頼山陽史跡資料館で開催中の企画展「頼山陽と酒」の関連行事「明魂」を味わう会のポスター。10月14日、21日、28日、試飲会(有料)がある。

展示解説会は10月21日、11月4日、11日 いずれも13時30分~

お問い合わせ082(542)7022

 

 


現在の柿の木は2代目で、接ぎ木したものが、広島県竹原市の松阪邸で大切に育てられている。

 

写真はこちら

撮影したのは2015年10月初旬とのこと。

 

ありがとうございます。



2015・10・31

緑川さん「柿衞文庫の山陽柿」

 

「頼山陽ネットワーク」公式ホームページ会員の緑川さんが、呼びかけに応じて、頼山陽遺愛の柿(山陽柿)の写真を送ってくださった。

 

山陽柿があるのは、柿衞文庫(伊丹市)の庭。

 

台柿の一種という。

 

あまりのおいしさに頼山陽が2個目を所望したと伝えられる。

 


実った柿はどなたが召し上がったのでしょうね(笑)一度いただいてみたいものです。



10・29

緑川さん「伊丹市の説明碑」

 

頼山陽ネットワーク公式ホームページ会員の緑川さんが、伊丹市にある頼山陽詩碑の説明碑の写真を送って下さった。

 

紅楓相暎じ酔慈顔

侍得たり帰輿未だ遂に還らず

今歳此遊圧尾に堪えたり

将に佳酒を携えて佳山を看んとす

 

母の西下を送り伊丹を過ぎて遂に箕尾に遊ぶ

        山陽外史

 

自筆詩幅(柿衞文庫蔵)より



なるほど、よくわかりました。

緑川さん、ありがとうございます。

 

2015・10・28 

緑川さん「伊丹市の頼山陽詩碑」

 

「頼山陽ネットワーク」公式ホームページ会員の緑川さんから、頼山陽の詩碑の写真が寄せられた。

 

兵庫県伊丹市中央6丁目の産業道路沿いにあるそうだ。

 

これまで紹介したことのない詩碑である。

 

 

 

 

 

(できれば、右の説明書きのUP写真、建立年月日なども、おわかりでしたら、お願い致します) 

 

書かれている詩は、文政12年10月20日、母 梅颸の4度目にして最後の京遊の終わりに、母を広島に送る道中での作。

 

「頼山陽全書」の詩集には、次のように掲載されている。

 

詩碑の文字は若干、異なっているようだ。

 

紅楓相暎酔慈顔

侍得帰輿未直還

今歳此遊堪圧尾

携将佳酒看佳山

 

  送母西帰 観楓箕面

        山陽外史



 


2015・9・29

白雪と山陽

 

丹醸(伊丹の酒)を好んだ頼山陽は白雪も愛飲した。

 

8年間前になるが、2007年6月、伊丹市にある白雪酒造を訪ねた。

 

二階の資料室には山陽に関する資料が展示されていた。


「白雪」の文字も、キャッチコピーも(一杯白雪…)頼山陽による。


   8年前も飲んでいた(笑)
   8年前も飲んでいた(笑)


すぐ近くの柿衞文庫には、あまりのおいしさに山陽が2個目を所望したという柿の木がある。


どなたか、近くを訪ねた際は情報をお寄せくださいね。







一階のレストランで、白雪とビールの試飲セットを注文。


なにぶん8年前の写真なので、現在レストラン、資料館ともどもどうなっているかは定かではない。



2015・9・8

「頼山陽撰並書

      大塚鳩斎墓碑」

 

匿名さんにお願いして、伊丹市(兵庫県)にある「頼山陽撰並書大塚鳩斎墓碑」の写真を送っていただいた。


 以下。伊丹市のホームページからの転載。

 

「伊丹の銘酒『泉川』を造りだした大塚鳩斎の墓碑で,銘文は頼山陽が撰し,書も彼の筆になります。昭和41年,伊丹市の史跡に指定されました。

   

江戸時代後期の歴史家・漢詩人・文人で『日本外史』を執筆した頼山陽(1780~1832)は,伊丹酒の魅力にひかれてしばしば伊丹を訪れました。柿衞文庫の台柿にまつわるエピソードは有名です。

 

愛飲した酒のひとつ「泉川」を造った大塚鳩斎が文政12年(1829)に亡くなったとき,鳩斎の養子信行からの依頼を引き受けて墓碑銘を記しました」

   写真はいずれも匿名さんからのご提供。一部修正を施している。
   写真はいずれも匿名さんからのご提供。一部修正を施している。

匿名さん、ありがとうございました。


皆様も頼山陽にちなむ史跡をご存じでしたら、お願い致します。


2015・4・24

いただきました

 

ある方から剣菱をいただいた。

 

ちなみに誕生日でも、結婚記念日でもありません。

 

剣菱は、頼山陽が愛飲したことで知られる。

 

箱にも山陽が詠んだ「戯作 摂州歌」が印刷され、写真の下のほうに「伊丹剣菱美如何」の語が見える。

 

剣菱には冊子がついている。価格にかかわらず、一升瓶にはついているのでは。

 

もう少し手頃な剣菱にもついていた記憶がある。

 

日本酒はいろいろ出ているが、こんな冊子がついているのは他にはほないのではないか。けっこう読みごたえがある。

 

宣伝? 剣菱からは何ももらっていませんよ(笑)



山陽が生きていた頃、伊丹の酒は「丹醸」呼ばれる高級酒だった。江戸でも人気を博したため「上り酒」と呼ばれた。


ただ、山陽が愛飲したのは剣菱だけではない。手紙などには白雪、男山、老松などさまざまな銘柄が見える。


その後、時代は流れ、人の手から手に移った酒造会社も少なくない。

剣菱も昭和に入り、神戸市に移っている。



山陽柿は台柿という平たい形状の柿
山陽柿は台柿という平たい形状の柿

2014・9・21

6年半ぶりの「山陽柿」

 

「ひろしまフォト歩き」さんに「無茶ぶり」をしたところ、わざわざ竹原市の街並み保存地区にある松阪邸まで行写真を写しに行ってくださった。

 

 

2008年5月の苗木(下の写真をご参照)から、今は2メートルほどに成長して、実までつけていたそうである。

 

これもお世話する方がいらしての賜物である。

 


伊丹市の皆さん、ご安心ください。

 

そして「ひろしまフォト歩き」さん、ありがとうございました。

 

2008年5月3日「山陽柿」育樹式 松阪邸
2008年5月3日「山陽柿」育樹式 松阪邸

2014・7・25

「山陽柿」苗木が伊丹市から竹原市へ寄贈

 

 柿衛文庫(伊丹市)にある台柿は、山陽がおいしさの余り、二つ目を所望し、「山陽柿」と名づけられた。

 


2008年5月3日、その「山陽柿」の苗木が伊丹市から竹原市に寄贈され、竹原街並み保存地区にある松阪邸の庭に植えられた。

 

いずれ紹介するつもりだったが、リンク先の「ひろしまフォト歩き」さんがUPしていたので、急遽、紹介することに。

 

桃栗3年、柿8年。「ひろしまフォト歩き」さん、機会があれば、その後の「山陽柿」の写真をお願いしますよ。

 

左から元竹原市長、一人おいて中央は元竹原市議会議長、「頼山陽ネットワーク通信」発行人の吉田豊氏、一人おいて右に見延典子。

 

伊丹市周辺には頼山陽関連の史跡が多数ある。

いずれ紹介予定。

 

               写真提供 ひろしまフォト歩き

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

οο 会員募集 οο

 

「頼山陽ネットワーク」の会員になりませんか? 会費は無料。特典があります。

 

 詳しくはこちら