2015・12・16  大河ドラマ史上 ワースト1

 

12月13日「花燃ゆ」が最終回を迎え、平均視聴率が大河ドラマ史上最低の12パーセントだったという。

 

以前も書いたが、2010年の「竜馬伝」以降、大河ドラマは原作本を用いていない。「オリジナル台本」などという耳障りのいい言葉をつかったところで、歴史を知らず、知ろうともしないスタッフの「驕りと無知」が視聴者から見限られた形である。

 

正直、12パーセントでも高すぎると思う。なんとなくNHKをつけている人々に支えられているような気がする。

 

もう一つ考えられる敗因は、女性の描き方だ。「○○の母」、「○○の妻」、まして「○○の妹」など誰かに追随するような人生なんて、おそらく視聴者の6、7割を占めるであろう女性は見たくないのだ。

 

その点でいえば、職業を持ち、自立する女性の生涯を描き続けている朝ドラが高視聴率をキープしているのは納得。

 

途中でギブアップした身で、あれこれ書くなといわれそうだが、ギブアップした理由には政治臭の強さもあった。

 

大河ドラマに、ここまであからさまにプロパガンダがもちこまれたのは前例がないのではないか。

 

これ以上、頼山陽を道連れにするのはやめてください。

 

そういう意味でも記憶に残るワースト1であった。

 

 

2015・11・9  ついに不倫ドラマに…


11月8日、久しぶりに「花燃ゆ」を見た。


11月10日に迫った旅猿ツアー「頼亨翁 錦帯橋の旅」では、月性記念館に寄るので、石村代表から、月性と三樹の関係について少しだけ話してくださいと頼まれた。


月性は幕末の尊王攘夷派の僧侶で、梁川星巌、梅田雲浜と交流。頼三樹とも親しかったと思われる。(注 月照とは別の人物)


そこで月性顕彰会のホームページを覗くと、「花燃ゆ」でとりあげてもらいたいというようなことが書かれていて、「花燃ゆ」を思い出したのだ。


私が見たのは、放送の最後の15分くらいであった。そして驚いた。


主人公の文改め美和と、小田村伊之助改め楫取素彦に帰れない事情が生じ、なんと同じ宿の、同じ部屋で泊まり、布団を二つ並べて寝るというシーンが放映されたのだ。


再婚したのか、と思ったが、美和のお姉さんが病床に伏している場面があった。私にも義兄はいるが、仮に同じような状況になっても、同じ部屋で、布団を並べて寝たりはしないだろう。


姉が子どもを残して亡くなった場合、未婚の妹が義兄にあたる男性と結婚して子供を育てる、という話は珍しくない。私の周囲でもそんな話はあった。まして家制度が残っていた時代には自然に行われていただろう。


いうなれば、とくだん珍しくもない家、家族の歴史だ。プロデューサーも脚本家も、歴史を知らず、知ろうともしないものだから、義兄と妹が不倫もどきの行為に及ぶというシーンを描いてしまう。


無知とは恥ずかしい。



2015・9・18

吉田松陰せんべい

 

萩を訪れたララ姉からお土産が届いた。

 

吉田松陰の顔がカラープリントされたせんべい。

 

袋には「今日の読書こそ、真の学問である。吉田松陰」

 

8枚入り。


新しいことに挑戦しているように見えて、食べてみれば、なんのことはない薄味で、軽ーい感じ。


ちょっとだけ話のタネにはなるけど、後には何も残らない。


いえ、せんべいの話ですよ(笑)



2015・9・14

萩の「花燃ゆ大河ドラマ館」


萩の「花燃ゆ大河ドラマ館」の写真が届いた。


送ってくれたのはララ姉。


ララ姉? 頼山陽シスターズのルルの姉か(想像)と思われる人物だ。


訪ねたのは13日(日)午後という。でもあらら…、人影がない。

 

なぜか「花燃ゆ」放映と時を同じくして世界遺産に登録された松下村塾(写真上と右)

 

      松陰神社(萩市)
      松陰神社(萩市)


松陰神社のほうには多くの参拝客が訪れていたことが写真で確認できる(写真左)

 

ララ姉さん、情報をありがとう。

 

というか…

 

ララ姉さん、あなたはいったい何者なんですか(笑)

 

 

 

 


2015・9・7

「花燃ゆ」の時代考証者の講演会


9月5日(土)広島市市民交流プラザで「頼山陽と幕末」という講演会があった。


講師は「花燃ゆ」の時代考証をされている広島大学名誉教授三宅紹宣氏。


講演は頼山陽と吉田松陰と伊藤博文の話を中心に進められた。

 

会場に「花燃ゆ」のパネルが展示されていたが、主人公への言及はほとんどなかった。

 

「花燃ゆ」は大正時代まで描かれるといい、何気なくいわれた「ドラマこれから地味になると思う」という言葉が印象に残った。

 

 


2015・8・22

「花燃ゆ」小道具展&パネル展

 

広島市中区にある頼山陽史跡資料館のロビーで「花燃ゆ」の小道具展が始まった。

 

展示されているのは、主人公が実際に着用したという着物と、これも実際に使われたという小道具の書籍類。

 

せっかくなのだから、実際に使われた『日本外史』『日本政記』を公開してほしかった。


   旧日本銀行は被爆建物
   旧日本銀行は被爆建物

 

時期を同じくして、頼山陽史跡資料館の隣のある旧日本銀行でも、『花燃ゆ』のパネル展が開かれている。


  小道具展もパネル展も入場無料
  小道具展もパネル展も入場無料


どうして今の時期、これらの会場で、これらの展示が行われることになったのか、事情は知らない。


NHK広島放送局が徒歩2分のところにあるからか(笑)


小道具展とパネル展を見て思ったこと。


「お金がかかってるなー」


頼山陽史跡資料館のface book




2015・8・3 こんなブログを見つけた

 

こんなブログを見つけた。

 

日本の旧聞

 

「花燃ゆ」は5月以来、まったく視聴していないが、さらにひどい展開になっているらしい。

 

 

2015・5・27 ツイッター大河


昨日、あれから考えた。


あの「飛んでいく」感覚。

そうだ、と気づいた。


ツイッターだ。


短文で呟く。

その分野に興味がなくなると、別のところに飛んでいって呟く。


一貫性があると思っているのは本人だけ。

実は世の中の流行を追っているだけ。


そうなんだ。

このドラマ、つまるところ「ツイッター大河」


 

2015・5・26 「えええ、なんだ~」の世界

 

ひとまず幕を下ろしははずのこのコーナー。

久しぶりに見てみた。恋しくなった?

 

そういうわけではないのだが、ともかく見た。

5月24日の放送だ。

 

ほぼ、一カ月ぶりに見て思ったこと。

ますますわけがわからなくなっている。

 

久坂玄瑞が下関に行った理由。

高杉晋作が剃髪した理由。

 

さっぽりわからないまま、話が飛んでいく。

進むのではなく、飛んでいくのだ。

 

松坂慶子との対面も、「えええ、なんだ~」の世界。

 

見てしまった私がいうのもなんだけど、こんなもん、いったい誰が見ているんだろう。

 

案の掟、吉田松陰の美化が始まっている。

 

吉田松陰が復権したのは、南紀派に代わって一橋派が政権を握ったから。安政の大獄で処罰された一橋派は、井伊大老の死後、権力を盛り返して、吉田松陰はそのおこぼれにあずかっただけだよ。

 

話を楽なほうへ、楽なほうへと飛ばそうとする。そんな人たちが作っているから、テロリストを美化して、平気なんだろう。

 

もっと汗を流しな。

 

 

 

2015・4・29 このコーナー、ひとまず幕を下ろします

 

26日の放送。

吉田松陰の最期。

 

番組的には盛りあがる場面だったのかもしれないが、これまでの過程からも、「アレ」で盛りあがれというほうが無理。

 

一連の「安政の大獄」の描き方で、脚本家が「安政の大獄」をほとんど知らず、知ろうともせずに描いているという姿勢が見えた。

もちろん、責任はNHKにある。

 

私としては3月22日の放送でこの番組には見切りをつけていた。

ただ、頼山陽の著作が2作も出され、しかも頼三樹が「安政の大獄」で処刑されていることもあり、ともかく「安政の大獄」までは、という気持ちで視聴を続けてきた。

 

だがもはや限界だ。

真剣に向き合うのがバカバカしい。

 

大河ドラマの視聴を途中でやめるのは「江」以来だ。

せっかく立ち上げたコーナーではあるが、私の良識(笑)が続けることを許さない。

 

もしこのコーナーを楽しみにしてくださっている方がいらしたら、ごめんなさい。

 

最後に書いておきます。

 

吉田松陰の存在に意義があるとすれば、「幕府に殺された」というところだけでしょう。

 

 

2015・4・20 ついに吉田松陰まで脱がせてしまった。

 

19日の放送。

前回で視聴率10%を割ったそうだ。

 

窮鼠猫を食む。

ついに吉田松陰まで脱がせてしまった。

笑いたいところではあったけど、伊勢谷友介の痩せた褌姿を見たら、こんな駄作に駆り出された不運を思い、気の毒になった。

お願いだから、井上真央は脱がせないでね。

 

吉田松陰は「自由を求める」というような言葉を口にしていたけど、じゅうぶん自由に行動しているように見える。

 

野山獄にはいろんな人が「自由」に出入りして、「自由」に差し入れをする。松陰は門番の同情から、自宅に「自由」に帰って入浴もできる。しかも江戸に護送される途中、藤丸籠から「自由」に出て、景色を眺めることもできる。

 

こんなに「自由」を謳歌して、何が不服なのか。さっぱり伝わらない。まして共感するなんて無理。

 

 

2015・4・13 久坂玄瑞を「脱がせた」ところだけは笑った。


12日の放送。


1度見ただけでは理解できず、2度見た。

こんなに熱心に大河ドラマを見たのは初めてだ(笑)


久坂玄瑞を「脱がせた」ところだけは笑った。


大河ドラマがどうのというより、そもそもドラマの体をなしていない。

逆に大河ドラマだから、打ち切られずにすんでいるというレベル。


期せずして、吉田松陰という人物の危険性があぶりだされたのは、収穫といえば収穫。


師が弟子に暗殺を命じるというこのドラマを見て、「学園ドラマ」だと思う視聴者がいるのだろうか。


オ×××××の麻×××を思い出すのは私一人だけだろうか。


もう一度書く。


NHKはテロを計画し、塾生を煽動した吉田松陰にいかなる「正義」を与えるつもりなのだろうか。



 

2015・4・7 吉田松陰より井伊直弼のほうが「まとも」

 

井伊直弼が断行した「安政の大獄」が描かれるというので視聴した。死刑8名。頼山陽の息子の頼三樹も処刑された。

 

幕末史が血なまぐさくなったのは「安政の大獄」からだが、井伊直弼には井伊直弼なりの考え、言い分があったのだろう。

 

少なくとも、5日の放送分を見る限り、吉田松陰より井伊直弼のほうが「まとも」に思える。

 

吉田松陰が口にした「間部詮勝を暗殺する」の一言。

 

あんな場面でいったかどうかわからないけれど、吉田松陰が間部詮勝の暗殺を計画したのは事実である。たまには事実にそくしたことを描くのだと久しぶりに感心。

 

だが今後、NHKはテロを計画し、塾生を煽動した吉田松陰にいかなる「正義」を与えるつもりなのだろうか。

 

よもや「実際には殺さなかったからよかった」なんていうオチをつけるつもりではないでしょうね?



2015・3・30 どこかで聞いたような話


29日、裏番組で、1995年に起きた国松浩次警察庁長官狙撃事件の真犯人の証言を検証する番組が放送されていた。


身勝手な理由から警察庁のトップの殺害を計画するテロリスト。

どこかで聞いたような話だ。



2015・3・24 どうしてこんなに幼稚になったのだろうか?

 

3月22日の放送は、ドラマの途中で視聴をやめてしまった。視聴に耐えられなかったからだ。

 

大河ドラマはどうしてこんなに幼稚になったのだろうか?

 

考えられるのは、原作を用いず、オリジナル脚本になったこと。大河ドラマは「龍馬伝」以降、オリジナル脚本を使用する傾向が顕著で、並行するように視聴率は下降している。

 

オリジナル脚本が悪いとはいわない。ただ、歴史と向き合い、勉強してほしい。最低、作家くらいは(汗)

 

悲しいというか、悔しいのは、こんな駄作に頼山陽の著作を使われたことである。

 

かつて頼山陽は長州に道ずれにされた末、忘れ去られた。こんどはNHKに道連れにされるのだろうか。

 

 

 

番組の一場面。吉田松陰(左)と前原一誠
番組の一場面。吉田松陰(左)と前原一誠

2015・3・18

表面だけさらっと

 

3月15日の放送を見た。

 

NHKが目指すホームドラマにも、学園ドラマにもなっていないと思う。

 

 

ホームドラマとは「マッサン」のような番組をさすのだろうが、「マッサン」は時代を映し、それぞれの心の中に踏み込もうと努めている。

 

然るに「花燃ゆ」は幕末の感じがまったくせず、登場人物の誰にも感情移入できない。

 

野山獄から出て日も浅い兄 吉田松陰の命令で妹 文の嫁ぎ先が決まるなんて、そのとき両親は何をしていたのだろう。

 

フィクションがあってもいい。いや、ドラマなんてそもそもフィクションだ。もっと上手な嘘をついてほしい。

 

小道具さんが頑張って作ったのか。あるいは本物か、というくらいしか興味のもっていきようがない場面。
小道具さんが頑張って作ったのか。あるいは本物か、というくらいしか興味のもっていきようがない場面。

そういうわけで、匙を投げたい気分なのだが、『日本政記』が出てきたので、これについても論評しないわけにはいかない。

 

いうまでもなく『日本政記』は頼山陽の著作。このホームページにアクセスしてくださる皆さんは、ご存じであろう。

 

ところがドラマでは著者名も、どんな内容の書物かも説明されなかった。しかも全12巻(冊)なのに、わずが3冊ですますというのは、以前の『日本外史』の省略と同じ(笑)

 

おーい、なんのために『日本政記』を出したのか?

少しは説明してくださいよー

 

わかっているけど、あえて説明しなかったのか、それともほんとうに知らないのか。

 

NHKが用意した資料の中にはあったのだけれど、脚本家がチンプンカンプンで、それでもプロデューサーが「これは今後のために出しておいたほうがいい」と判断して場面に加えた……というのはフィクション。

 

表面だけさらっと描いて、それで終わりにしようとする、まさにこのドラマ全体の描き方を象徴する場面であった。

 

何を描きたいのかさえよくわからないこのドラマは、究極の「ミステリー」かもしれない。

 

 

2015・3・10 

幕末の学園ドラマ


NHKが一般に配布している「花燃ゆ」のパンフレットを入手した。


そこには「『花燃ゆ』には4つのドラマがある」として、次のように書かれている。


「幕末のホームドラマ」

「幕末の学園ドラマ」

「女たちの戦いのドラマ」

「男たちの命懸けのドラマ」



ホームドラマ? 学園ドラマ?


どおりで、幕末というのに、まったく緊張感のないお話が続くと思った。


ホームドラマや学園ドラマを否定するつもりはない。


だが幕末の萩を舞台に、ホームドラマとか学園ドラマというのは、いかがなものか。



2015・3・2 「史実」と「事実」

 

依然として低調な内容であった。

 

高杉晋作が登場したのだから、このあたりで視聴率をとらなければならないであろうに、主人公の文がいないほうが、ドラマとしてよほどスッキリするだろうに、などと思わせてしまうあたり、先行きを暗示しているように思われる。

 

ところで、今さら書くのもなんであるが、なぜ「辛口評」なのか。

 

実は私は幕末、明治にかけての薩長がつくった歴史観に疑問を持つ一人である。

 

『敗れざる幕末』は幕末を敗者の側から描いた物語。『頼山陽』の続編です。
『敗れざる幕末』は幕末を敗者の側から描いた物語。『頼山陽』の続編です。

私たちが日本史で教わったことは、どこまで事実なのか。

 

これは拙著『敗れざる幕末』を書いたとき、繰り返し考えたことだ。

 

たとえば「倒幕=薩長=頼山陽」というようなイメージがある。

 

これを「史実」を呼ぶのであれば、「事実」は異なる。

 

山陽の遺志をもっとも継いだであろう弟子の関藤藤陰は、倒される側の福山藩の阿部家の側用人まで務めた人物で、終生、阿部家のために仕えた。

 

つまり「倒幕=薩長=頼山陽」ではない。

 

これが「事実」なのだ。

 

詳しくは『敗れざる幕末』をご一読ください。

 

「花燃ゆ」が従来のイメージを踏襲するだけの内容であれば、この「辛口評」はますます辛くなっていきます(笑)

 

 

 

2015・2・22 やはり松陰が主人公という感じ

 

なんというか、軸がどこにあるのかわからない。

 

主人公、「文」の立場を通して描いているのはわかるけれど、心理面までは描けていない。耳の不自由な弟との関係、父母と姉との関係の描き方も一般論で終わっている。

 

やはり松陰が主人公という感じ。

 

それより弘安の役、文永の役の話が出ていた。今、このホームページで話題にあがっている「蒙古襲来」である。

 

幕末、蒙古襲来は攘夷思想の高揚とともに注目された。この話は「関連書物と評価」のコーナーで改めて書きたい。

 

 

2015・2・10 大河ドラマは『日本外史』が大好き

 

「生きては帰れぬ野山獄」といっていたはずなのに、吉田松陰の妹があんなに自由に獄に出入りしてよいのだろうか。

 

むしろ高須家に入れてもらうほうが難しいとは。

 

しかしありがたいことに、突っ込みどころはあった。

松陰が読んだ書物を調べる過程で、出てきた『日本外史』

 

大河ドラマは『日本外史』が大好きだ。「新選組」「天璋院篤姫」「竜馬伝」と幕末ものには必ず出てくる。

 

もっとも『日本外史』は全22巻(=22冊)なのに、ドラマで映ったのは数冊だけ。この辺りもリアリティが希薄である。

 

それとも松陰は22冊中、数冊しか読まなかったのかなあ。

 

 

2015・2・2 恩義を忘れるにもほどがある

 

内容は相変わらず低調であったが、今回は見逃しがたい場面が描かれていた。

 

江戸で、大沢たかお(この人の役名はまだ覚えられない)と桂小五郎が飲んでいるとき、阿部伊勢守の家中の者たちが絡んでくる場面。

 

大沢たかおが、阿部伊勢守の家中から「吉田寅次郎はご公儀にたてつく愚かな跳ね者。大ばか者」といわれたことに対して、ペリー艦隊への阿部伊勢守の対応を「弱腰」とののしり、「時流を読めない大ばか者はどっちじゃ」といいかえしたという場面。

 

阿部伊勢守とは当時老中首座であった阿部正弘。備後福山藩(現在の広島県福山市)藩主でもあった人物だ。

 

実は前回の放送分から気になっていたことがある。

 

このドラマの脚本家は吉田松陰の命を救ったのはペリーだと思い込んでいるらしい。そんなわけがあろうはずもない。吉田松陰の若気の至りの行動(密航を企てたこと)を不問に処したのは誰あろう、阿部正弘にほかならない。

 

正確にいえば、ペリー艦隊への対応に追われ、些末なことには目をつぶったといったほうがいいだろう。吉田松陰を野山獄に入れると決めたのは、ドラマにもあった通り、長州藩なのだ。

 

命を救ってくれた恩義を忘れ、逆に喧嘩を吹っかけるとは、失礼にもほどがある。こういうのを逆恨みというのだ。それとも兵学を学ぶと、こんなふうに攻撃的になるということか。

 

阿部正弘は人命を大切にする人であった。

 

現にペリー艦隊に大砲を向けらる場面にあっても、日本とアメリカの両国に一人の死者も出していない。阿部正弘が39歳で病死せず、もっと長生きしていれば、日本の歴史は変わっていたろう。少なくとも日本人同士が戦いあうようなことにはならなかったであろう。

 

このことからも吉田松陰は、いや、長州藩は福山藩に足を向けられないはずなのだ。だから長州藩は戊辰戦争直前、福山城を攻めきれなかったのではないのか。

 

このあたりは、拙著『敗れざる幕末』で書いている。


      

2015・1・27 吉田松陰は「おしゃべり」

 

第4話はドラマとしては可もなく不可もなくという内容だった。ドラマの中心軸が松陰になるだろうというのも予測されたこと。

 

ほとんど関心のない、無名カップルのなれそめを見せられるよりはましかもしれない。

 

それより今回もまたも感心したことがあった。

 

松陰は実は「おしゃべり」ということが正しく描かれていた点だ。

 

密航を企て、浦和奉行で取り調べを受けた際、松陰は訊かれもしないことを自白した。

 

松陰は訊かれもしないのに、ペラペラしゃべって、墓穴を掘るタイプなのだ。

 

これは後の安政の大獄で捕まった時も同じだ。

 

精神が高揚しているから? それもないではないだろう。おそらく弁護しようとする人はいくらでも理由を並べられるだろう。

 

だが私はそこに未熟な若さを感じてしまう。だから38歳の伊勢谷友介では違和感があるのだ。

 

 

2015・1・20 吉田松陰は兵学者

 

第1回目で書くのを忘れていた。

 

吉田松陰は山鹿流兵学師範である。

そのことがしっかり描かれていたのは感心した。

 

兵学とは戦争に絡む戦術や戦略などを学ぶ学問である。昨年放映された「軍師官兵衛」の「軍師」というのも、あの時代でいえば、兵学師範か、それ以上の意味があったのかもしれない。

 

ところでときどき吉田松陰と頼山陽を同一線上で比べようとする方がいる。そのこと自体、無理がある。

 

そもそもまったく分野が違う。

 

そのことが書きたかっただけ。

 

吉田松陰が兵学者であったことは、良い意味でも、悪い意味でもその後の長州藩のみならずや日本の行方に多大な影響を与えたと思う。

 

 

 

2015・1・12 井上真央は「脇役顔」

 

11日、第2話が放映された。

 

先週に引き続き、大河ドラマ史上、「最も無名なカップル」のなれそめが描かれていた。

 

主人公の杉文なんて知らなかった。その2番目の夫になるらしい大沢たかお演じる男性など、名前すら浮かんでこない。ええと、なんていう名前だったかな…

 

今回は主人公の文役の女優が初登場。ええと…、この女優の名前も浮かんでこない。そうそう、井上真央だったか。

 

この女優について、予備知識はまったくない。

 

ただ、パッと見、「脇役顔」と思った。陰気で、底意地の悪い役が似合いそうだ。

 

けれど、後半、泣いた場面はよかった。

 

そういえば、高視聴率をマークした「天璋院篤姫」を演じた宮崎あおいは当初「女中顔」と呼ばれたが、よい意味で期待を裏切ってくれた。

 

井上真央も主役に抜擢されるくらいなのだから、演技力はあるのだろう。彼女が「主役顔」になっていく変化をドラマで確かめていきたい。

 

 

 

2015・1・9  俳優選びに異議あり!

 

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が始まった。

そこで始める「頼山陽と大河ドラマ『花燃ゆ』」

 

なんでも頼山陽をつければいいというわけはないが(笑)、あくまで「頼山陽ネットワーク」的な切り口で迫りたい。

 

さて報道によれば、大河ドラマ史上3番目に低い視聴率でのスタートだったとか。それでも16パーセントはある。

 

放送を見てまず思ったことは、「大河ドラマの始まりは似たり寄ったりだな」ということ。主人公を演じる子役が出てきて家庭環境や家族が紹介され、主人公が何かしら特別なものを備えているということが語られる。今回の主人公文は「人と人を出会わす力がある」だったかな。

 

まあ、そのへんはいいとしよう。

 

違和感があったのは吉田松陰役の伊勢谷友介だ。ネットによれば伊勢谷友介は現在38歳。

 

現在描かれているのはまだ十代の頃。松陰が亡くなるのは満29歳だ。昔の人が老成していたとしても、まだ若者、というより若造の部類に入るだろう。

 

ここでこそ、松陰役にはNHKが大好きなジャニーズを使ってほしかった。長州藩士も全員ジャニーズだ。しかも40代に入りつつあるSMAPやお疲れモードの嵐ではなく、西国訛りを話せそうな関ジャニあたり。

 

そうすれば、若者が備えている熱量とか無軌道さと、友情とか正義とかがもっと伝わるのではないか。

 

でもジャニーズは使わなかった。

ジャニーズを使えない理由でもあるのだろうか。

 吉田松陰役はジャニーズではだめなのだろうか?

 

                  もちろん続きます。

 

 

 

 

 

ホームページ編集人  見延典子
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「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

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