見延和靖選手の先祖と、見延典子の先祖は、現在の福井県越前市にある同じ集落で暮らしていた一族であることがわかりました。
皆様もいっしょに見延和靖選手を応援してください。
2016・8・9 見延選手 決勝までのスケジュール
皆様、ご声援のほどお願い申し上げます。
8月9日(火)
初戦(男子エペ個人2回戦)夜23時15分~
8月10日(水)
3回戦 午前0時30分
準々決勝 1時45分
準決勝 4時
決勝 5時15分
※録画(BS1) 8月10日 朝7時30分~8時20分
(録画放送はこの他にもあります)
2016・8・7 見延選手のコメント
日本オリンピック委員会は、日本代表選手団の開幕に寄せるコメントを一斉配信。見延選手のコメントを紹介する。
■フェンシング
見延和靖
「今はワクワクしていて、早く試合がしたいです。目標は表彰台の一番大会ところに立つことです。そのためにも試合に向けてピークを合わせることと、守りに入らないで攻撃的な姿勢で試合に臨めるように精神状態を整えていきたいと思います」
日本選手団の入場。その中に…。
出場選手全員の名前がテロップでながれる。もちろん「見延和靖」の名前も(下の写真の上方)
2016・8・7
開会式に見延選手
8月6日、リオデジャネイロオリンピックの開会式が行われた。
見延選手の姿をキャッチ!!
見延選手は会場全体を見渡し、感動を噛みしめているように見えた。実際にはどのような思いが去来したのであろうか。
参考 世界ランキング
見延選手9位
マルコ・フィケラ選手36位
2016・8・6
見延選手の初戦相手と試合時間
見延選手の初戦相手はマルコ・フィケラ選手。試合時間は下記の通り。
見延選手の初戦
(男子エペ個人2回戦)
8月9日(火)23時15分~
2016・8・4
見延選手、リオ入り
報道によれば、8月2日(日本時間)見延選手を含む日本フェンシングチームはニューヨークでの直前合宿を終え、リオデジャネイロに入った模様である。
2016・7・31
フェンシングエペってどんな競技?
フェンシングエペってどんな競技?
そんな疑問をもっている視聴者のためにNHKが楽しく解説してくれている。
ここをクリックして、3つ並んでいる映像の左端「100コマフエンシング」へ。
5分でモヤモヤが晴れます。
2016・7・28
見延選手の試合、放送日時
見延選手が出場するフエンシング男子エペの試合は8月9日(火)に行われるが、テレビの放送日時は次の通り。
8月10日(水)朝7時30分~8時20分
BS1(録画)
パソコンなどでLIVE中継が見られると思われる。
わかり次第ご報告します。
2016・7・25
見延選手、リオ五輪へ出発
7月24日、見延和靖選手がリオデジャネイロ五輪に出場するため成田空港から出発した。
搭乗前のセレモニーで、見延選手は「五輪を楽しみたい。帰ってくる時は注目されるように頑張りたい」と笑顔を見せた。
(産経フォトより。写真も)
2016・7・23
7月24日、日本を発つ予定
書き忘れていたが、見延選手は7月15日、29歳の誕生日を迎えた。おめでとうございます。
関係者に伺ったところでは、24日に日本を発ち、アメリカで時差の調整をするとか。
米寿になる母に、見延和靖選手の写真が載っている「anan」を見せ、越前市で皆さんに親切にしていただいたことを伝えたところ、祖父の松吉(母にとっては舅)について意外な話が出てきた。長身だった祖父は若い頃は「役者にしてもおかしくない」といわれるほど男前だったというのである。
そうこうするうち、母が「整理をしていたら、へその緒が出てきたよ」という。茶色がかった小さな袋には「見延小児」とあり、私の生年月日と病院名が書かれている。
2016・7・13
へその緒
函館で「齊藤家来道400年を祝う会」に出席した後、札幌の実家まで足を延ばした。
イケメンの見延和靖選手と一族なのは間違いないと笑い合った。
袋を開けてみれば、小さな紙に朱色の足紋。初めて見る生まれた直後の私の足紋だ。
とり間違いを防ぐためにつけられていたと思われる「見延小児」と書かれた木製タグ。そして油紙に包まれたへその緒も。
「祝御出産」という朱色のスタンプを見ながら、自分が祝福されてこの世に生まれてきたことを今さらのよう感じる。ルーツ探しの意味もこのあたりにあるのかもしれない。
2016・7・8 「見延」のルーツ探し 完結編
もう一人の「見延さん」が持ってこられた戸籍を見て気づいたこと。
それは亡父の残した戸籍の写しと比べて、「見延重右エ門」の妻の名前が違うということだ。
亡父の残した戸籍の写しをよく見れば、重右エ門の妻は「梅吉」を生んだ3年後に亡くなっているような記述がある。ということは「竹次郎」は後妻との間の子か? であれば、梅吉が長男でありながら、北海道に渡った理由もなんとなくわかる気がするのだが、ここで新たな疑問。
今回のルーツ探しでは、血縁関係にこだわった書き方になってしまったが、実際に越前市「国中」を訪ね、そこで今も暮らされている「見延」姓の皆さん、そのお仲間とお会いして、人と人とのつながりの強さを改めて感じた。
親、兄弟でさえ、時に反目し合う場合があるというのに、そして実際にはいろいろなことがあったであろうに、知恵と勇気で長い歳月を乗り越えてこられた皆さん、そして我々の先祖にも敬意を表したい。
戸籍に書かれている、後妻かもしれない「そて」の生年月日が、前妻と全く同じなのである。戸籍に誤りがあるとは考えにくく、亡父の写し間違いと思われるが、これ以上は別の角度からの戸籍でもなければ、お手上げである。
もっとも仮に妻が2人いたにしろ、もう一人の見延さんとは重右ェ門を同じ高祖とすることに変わりない。
越前市を訪れる機会を与えてくださった越前市の皆様、多くのことを教えてくれた長宝寺のご住職、長谷川さんはじめ、皆様に御礼申しあげます。
見延和靖選手、オリンピック、さらに続くであろう競技人生でのご活躍を期待しています。
見延清左エ門さん、お会いした時には申し上げませんでしたが、清左エ門さんの「辛口」は一族である何よりの証であると思います(笑)
今回、お会いした「見延」姓をもつ皆さん、かつて同じ「国中」の集落に住んでいた、同じ「見延」姓をもつ一族ということで、今後ともよろしくお願い申し上げます。
(旧)見延和靖選手と見延典子に血縁関係があるかは今のところわかりません。同じ姓をもつということで、勝手に応援しております.
↓ ↓
(改)見延和靖選手の先祖と、見延典子の先祖は、現在の福井県越前市にある同じ集落で暮らしていた一族であることがわかりました。
皆様もいっしょに見延和靖選手を応援してください。
※「ルーツ」については一区切りとしますが、新たな発見、気づきがあれば書いていきたいと思っています。
2016・7・7
見延選手ananの表紙に
見延和靖選手が発売されたばかりの「anan SPECIAL オリンピック男子」(マガジンハウスMOOK)
の表紙を飾っている。
紹介されている実力アスリートは22名。表紙に選ばれたのは5名。
すばらしい!
見延一族の誇り(笑)
「オリンピック男子」のみならず、「オリンピック女子」も日本の誇りとなるべく、ベストを尽くしてくださいね。
戸籍には戸主として「見延梅吉」の名がある。私の曽祖父だ。「梅吉」の父(前戸主)は「見延重右ェ門」、弟は「竹治郎」。
この「竹治郎」こそもう一人の「見延さん」の曽祖父にあたる。
2016・7・6
「見延」のルーツ探し⑤
「見延」のルーツ探し「最強調査チーム」の一員・もう一人の「見延さん」はわざわざ戸籍をとって参加してくださった。その一部が以下である。
もうおわかりであろう、もう一人の「見延さん」は私と同じく「見延重右ェ門」を高祖父とする血縁者だったのである。
もう一人の「見延さん」は、私の祖父松吉が墓参りのため「国中」を訪れていたことや、祖父の営む梅月堂から菓子が送られてきたことを記憶されていた。なんと!!
ここで、もう一人の「見延さん」とガッチリ握手(笑)
ご住職によれば、次男、3男ならまだしも、長男である「梅吉」が故郷を離れ、北海道に渡ったのはよほどの事情ー生きていくためにやむを得ない時代背景があったのだろう、という。
長宝寺での「調査」を終えたあと、もう一人の「見延さん」の運転で、北陸本線JR鯖江駅まで送っていただく。見ず知らずでありながら、血縁があるというのは、なんだかとても不思議な感じであった。
ところで…。
その夜、自宅に帰りついてから、もう一度、先ほどの戸籍を見直すうちに、あることに気づいた。
まだ続きます。何しろ長編タイプなもんで…(汗)
2016・7・5
「見延」のルーツ探し ④
長宝寺のご住職のご案内で「卯立の工芸館」を見学したあと、見延選手のご尊父の運転で、国中にある長宝寺へ。
ここで見延清左門さん、郷土史にくわしい長谷川さん、もう一人の「見延さん」と合流。今回の「見延」のルーツ探しにご協力くださる「最強調査チーム」(笑)である。
皆さんのお話から、国中の「見延」にはいくつかの系列があることを知る。見延選手の系列A、見延清左エ門さんの系列B、そして私の重右ェ門系列など。
結論からいえば、私の高祖父の重右ェ門(5代前)まで遡っても、重右ェ門系列が系列A、系列Bと接点をもつことは確認できない。
ということは見延選手と私とは単に姓が同じというだけのつながりか…と落胆しかけたが、ここで「ごんぼ講」の話が出てくる。
「ごんぼ講」は国中で300年以上続く行事。1年ごとに「当番」の家が変わり、その当番の家について記録した「宿帳」が残っている。
「宿帳」に「見延重右ェ門」が初めて記されるのはペリー来航の4年前、嘉永2年(1849)で、今から157年前。系列A、系列Bより遅いものの、戸数が限られた集落(現在は50軒程度、昔はもっと少なかったという)にまったくの他人が移り住むということは考えにくい。「重右ェ門」系列は一族から派生した系列ではなかろうか。
しかも3系列は「家紋」が同じであることが判明。5代前より上でつながっていると思いたい。
ところで、「最強調査チーム」に加わってくださったもう一人の「見延さん」。その「見延さん」はわざわざ戸籍をとって参加してくださった。その戸籍によって思いがけない血縁が判明することになる。
結局、終わらず、続くことになります(汗)
選手数は2008年の北京五輪以来2大会ぶりに300人を超える見通しという。
フェンシングチームの皆さん、頑張ってくださいね。
2016・7・4
日本選手団の結団式
7月3日、8月のリオデジャネイロ五輪に出場する日本選手団の結団式が国立代々木競技場(東京都渋谷区)であった。
また江戸中期の紙漉き家屋を利用した「卯立の工芸館」があり、紙漉きの様子を見学できる。
明治初めに出された太政官札も越前和紙で作られた。
具体的には、毎年2月17日、「国中」の男性たちが紋付き袴の正装で集まり、神事の後、山盛りのゴボウを食べるという。
2016・7・2
「見延」のルーツ探し③
紹介を忘れていたが、「国中」の近くには第27代継体天皇が幼少期を過ごしたゆかり地がある。
同じ姿勢のまま、最終工程の塵をとる作業をもくもくと続けている女性の姿が印象的。
ご住職によれば、和紙、打刃物、漆器などは朝鮮から技術者がこの地に移り住み、伝えたという。
さて話を「見延」に戻そう。
「見延」姓が多い「国中」は300年以上続く「ごんぼ講」という行事があるそうだ。
話がとりとめもない方向に向かっているように思われるかもしれない。
しかしこの「ごんぼ講」が「見延」のルーツ探しの大きなポイントになるのだ。
次回、完結の予定。
2016・7・1
宇津志さん
「見延和靖選手 すごい展開に」
同じ姓ということから「見延和靖」選手を応援~ という記事に興味を持っていましたが、すごい展開になりましたねー
見延和靖選手の壮行会(しかも越前市の)に出席され、和靖選手のお隣席、ツーショット撮影(本当にイケメンの方)
そして、
見延さんが一番興味を持っていらしたであろう ”見延姓ルーツさがし”
福井から北海道への移住の歴史があったこと・・・
なんと「見延」姓の集落があるという「国中」へ行かれることになる。
この時点で見延さん! こころ踊りましたね・・?
ご尊父が書き残されていた「戸籍の写し」高祖父(5代前)
「見延重右衛門」さんの本籍地をご自身の目で確認することができ、
まぁ~~ 胸高鳴ったことでしょうー
あなたの行動力のなせる結果ですが、感動が伝わってまいります。
わくわくするお話でした。 (*^_^*)
ご住職からは、福井県立博物館発行の「北海道移住」の冊子をいただく。福井からは明治20年代から30年代にかけ、北海道への移住が盛んに行われたという。
そうこうするうちに、車は「国中」に入る。ひときわ大きな周辺地図が立っていて、集落の中に「見延」姓が散見しているのを確認できる
亡父が書き残した「戸籍の写し」には高祖父「見延重右エ門」(私の5代)の本籍が記されていたが、私が車窓から眺めているのは、まさにその地なのである。亡父が知ったらどんなに喜んだことか。
続きます。
2016・7・1
「見延」のルーツ探し②
いよいよ「見延」姓の集落があるという「国中」へ。案内してくださるのはなんと見延和靖選手のご尊父と、集落にある長宝寺のご住職。
同誌には「北海道移住手引草」「北海道移住案内」といった珍しい資料(写真左)や開拓の様子(写真下)も掲載されている。
車は細い上り坂を進む。そのときご住職が一軒の家を指差し「ここが見延さんの戸籍で、最初に書かれていた場所です」と教えてくださった。
越前和紙、越前打刃物、越前箪笥が有名で、これら伝統産業を後世に伝えるべく、模索が続く。
また蕎麦、特に「おろし蕎麦」は必ず蕎麦屋のメニューの最初に載るほど。地元の皆さんに愛されている。
一瞬「苦い」と感じるのは大根おろしの苦み。実はこの「苦み」がポイントで、病みつきになる。苦みの強い大根も栽培されているそうだ。
昼食のあと、市職員の嶋川さんが「紫式部公園」に案内してくださる。短い期間だが、紫式部は父親の赴任に伴い、この地の滞在していたことがあるという。公園から望む「越前富士」が美しい。
このあといよいよ「見延の里」へ。
ルーツが明らかになる?
2016・6・29
「見延」のルーツ探し①
「越前市」は2005年、武生市と今立郡今立町が合併してできた。大化の改新以降は越前国の国府が置かれていた歴史のある地だという。
「おろし蕎麦」の食べ方=蕎麦についている薬味と汁を蕎麦にかける。
とろろ昆布をまぶした「おにぎり」もいただく。西日本では「おむすび」というが、越前市では「おにぎり」。実は私の故郷北海道も「おにぎり」という。うどんより、蕎麦を食べる文化も北海道と同じ。しかも汁の色が黒っぽいのもいっしょ。
見延選手、佐藤選手の入場のあと、セレモニーは続く
ようやく席についた見延選手。見れば隣のテーブルではないか。もはや行くしかない!!
「追っかけ」の血が騒いで(笑)、ツーショットもお願いする。
見延選手は全身からものすごいオーラを放ち、まぶしいくらい輝いている。
2016・6・28
見延選手の壮行会 激励会②
壮行会から激励会の会場へ。いたるところに応援の幟やメッセージ。
壇上を下りたあとも、見延選手の元には参加者が駆け寄り、激励の言葉をかけたり、写真撮影が続く.
やったー!! ついに言葉を交わし、写真をお願いする。
見延選手は私の参加をご存じだった様子で、快く応じてくださる。
決戦の日は8月9日。見延選手にとって忘れられない一日になるだろう。ベストを尽くしてほしい。
翌日は「見延のルーツ」探しの旅に行くことに。
続きます。
会場はJR北陸本線武生駅から車で約3分の「JA越前たけふ会館」
参加者は200名以上。立錐の余地もない。定刻通り、見延選手がやはり越前市出身で、女子のフエンシングエペでオリンピックに出場する佐藤希望選手と入場。
2016・6・27
見延選手の壮行会 激励会①
そういうわけで、26日、見延和靖選手の壮行会 激励会に出席するため福井県越前市へ向かう。
会場についてみれば、私の席はなんと見延選手のご家族席の隣り。
お二人は前日も公的な行事に参加されているはずだが、終始さわやかな笑顔を浮かべている。
実際の見延選手は写真で見るよりもっとイケメン。
おそらく私との血縁関係はないと思われるが(笑)、せっかくの機会なので、接近を試みることに。
続きます。
2016・6・25
父が遺したもの
私の母方のルーツについては「私のルーツ」で書いているが、父方のルーツについては父が戸籍をとりよせてまとめたものが、現在、私の手元にある。6・14付けで書いた「戸籍の写し」である。
父は亡くなる直前、かなり熱心に自分のルーツを調べていたが、途中でやめてしまった。知りたくないことを知ってしまったためらしい。
ルーツを調べていけば、とうぜん知りたくないこと、知らなくていいことに直面する場合もある。もっとも父にとって知りたくなかったことは、小説を書く私にとって格好のネタなので、いずれ作品で明らかにできればと思っている(笑)
いろんな思いを抱え、26日、越前市へ行って参ります!
2016・6・21 見延和靖選手が会見「メダルを」
19日、日本フエンシング総会とリオオリンピックの壮行会が東京都内で行われ、見延和靖選手が橋本寛監督ととも会見を開いたという。
報道によれば、見延選手は「前に出る攻撃的なフェンシングで必ずメダルを取りたい」と意気込みを語ったようである。
この日の午前、見延選手はロシア合宿から帰国。26日、故郷越前市での壮行会、激励パーティに臨む予定と思われる。
2016・6・17 見延和靖選手の壮行会・激励パーティ
連日、見延和靖選手と見延典子のルーツについて書いているが、6月26日、見延和靖選手の壮行会・激励パーティが以下の通り行われ、見延典子も参加することになった。このホームページが縁である。
リオデジャネイロオリンピック出場
見延和靖選手 壮行会・激励パーティについて
日時 | 2016年6月26日(日) 17:00-20:00 |
---|---|
場所 | 壮行会:JA越前たけふ会館 3階 会議室/激励会:JA越前たけふ会館 4階 大ホール |
問合先 | 壮行会:越前市/激励パーティ:福井県フェンシング協会他発起人 |
TEL | 0778-22-7463 |
2016・6・16
祖父 見延松吉は福耳
見延和靖選手との関係について、その後、見延清左エ門さんとのやりとりで、ある接点が見つかった。血縁があるかまでは不明だが、いずれご報告できればと思っている。
祖父について、思い出したことがある。いわゆる「福耳」だったこと。和靖選手も写真で拝見する限り、特徴のある耳の形をされている。
2016・6・15
見延清左エ門さん「必勝祈願祭」
先日の6月11日 当地の国中神社にて越前市市長同席の下 国中区民一同 必勝祈願祭を行いました。また次の26日には越前市主催の必勝激励会が催される予定です。
なお 試合当日(日本時間 8月9日午後9時)には当地芸術館にて
パブリュックビューでの応援という計画です。また千羽鶴、日の丸の寄せ書きも作成し 全町一丸となっての応援体制です。広島からも負けず劣らずの応援お願いします。
2016・6・14 見延清左エ門さん「広島からの応援団うれしく」
見延典子さんのブログ 当地出身のリオ/オリンピック出場選手 見延和靖君を応援します とのブログを読ませていただきました。当地だけではなく 広島からの応援団がおられることに大変うれしく思っています。
なお、今回メールさせていただくのは 同じ「見延」性のルーツに関心をもっておられる様子。全国広しといえども この「見延」性の発祥の地は当地からしかありません。明治/大正時代も 多くの人が北海道に移住し 現に多くの従妹、ハトコが居り親戚付き合いをしております。今回のイベントを機会に ルーツを共有出来たらと思っております。連絡/返信頂けたら幸いであり、和靖選手およびその家族にもいの一番にその旨知らせたいと思っております。
見延清左エ門さんへ
こちらこそご連絡いただき、ありがとうございます。
私の父方の祖父「見延松吉」は菓子職人で、札幌市の円山で「梅月堂」という店を開いておりました。背が高く、お酒は一滴も飲まず、信心深い人でした。老年になってからも福井県に墓参りに帰っていたと聞いておりますが、詳しいことはわかりません。ただ、戸籍の写しがあります。「見延」姓が御地発祥であれば、どこかでつながる可能性がありますね。
同じ姓をもつ者として、いっしょに見延和靖選手を応援していきたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
見延典子
2016・6・6 パブリックビューイングの開催決定
リオデジャネイロ・オリンピック、フェンシング個人エペに出場する見延和靖選手を地元越前市から応援するパブリックビューイングの開催が決定した。
日時:平成26年8月9日(火) 午後9時(日本時間)~
会場:いまだて芸術館
詳しくはこちらへ
また地元越前市は、見延和靖選手とともに佐藤希望選手両選手を激励し、更なる活躍を願い、壮行会等を行うにあたり、激励費や会場使用料などの補正予算を専決した。
詳しくはこちらへ
2016・5・20
「ふくいの力2016」で
福井ブロック協議会賞を受賞
5月14日、見延和靖選手が「ふくいの力2016」で福井ブロック協議会賞を受賞した。
人から評価されることはとてもむずかしい。おめでとうございます。
同賞は公益社団法人日本青年会議所 北陸村越地区福井ブロック協議会が主催しているようである。
2016・5・10
見延和靖選手、五輪初出場決定!
5月9日、リオ五輪・フェンシング日本代表選手が決定し、見延和靖選手の五輪初出場が正式に決まった。
おめでとうございます。
今後も応援致します。
詳しくは「しゃぼん玉ニュース」をご覧下さい。
見延和靖(みのべかずやす)選手のプロフィール
1987年7月15日生まれ(28歳)
福井県越前市出身
177cm 75kg
法政大学出身五輪出場種目 エペ個人
世界ランキング エペ9位
主な戦績
2016年アジ選手権個人3位
2016年グランプリ大会(ブタペスト)個人10位
2016・4・22
見延和靖選手が銅メダル
ご紹介が遅れてしまったが、4月14日中国の無錫市でフエイシングの2016アジア選手権が行われ、男子エペでリオデジャネイロ五輪代表の見延和靖(ネクサス)が銅メダルを獲得した。
リオデジャネイロ五輪でもメダルが期待できる。
ガンバレ 見延!!
2016・4・6 見延和靖選手を応援します
4月5日、日本フエイシング協会はリオデジャネイロオリンピック競技大会の出場選手を発表。その中に「男子エペ 見延和靖選手(NEXUS株式会社)」という名前があった。
エペ? 正直、聞きなれない言葉だが、その後に続く「見延」に注目。
同じ「みのべ」でも「美濃部」という姓はたまに目にするが、「見延」
と表記する姓をもつ著名人は少ない。
気になって、インターネットで調べてみれば、福井県越前市出身とある。ちなみに同じく「見延」姓をもつ私の父方の祖父も福井県出身。
うーん、よくわからないけれど、どこかでつながっているかもしれない。しかもなかなかイケメン(笑)
そういうわけで、とうぶんの間、見延和靖選手を応援します。
(写真は日本フエイシング協会ホームページより)