江戸時代、梅颸もすなる「追っかけ」というものを

              われもしてみんとてすなり

 

              注 梅颸(ばいし)とは頼山陽の母

 

古典芸能編

公演について書く以前に、観客のマナーが気になった。

観劇マナーも幼稚化。
観劇マナーも幼稚化。

2016・10・8

市川海老蔵&中村獅童

 

10月6日、広島市内で行われた市川海老蔵&中村獅童による「特別公演」に行く。

この日は2回公演。公演の合間、陽のよくあたる場所に衣装らしきものが干されていた。
この日は2回公演。公演の合間、陽のよくあたる場所に衣装らしきものが干されていた。

舞踊が始まっているのに、携帯で話し続ける広島弁全開の男性。


市川海老蔵&中村獅童が登場しても、私語がとまらない女性。暗闇の中、スマホを見続けて、係り員から注意される女性。場面が盛り上がりはじめているのに、入ってくる女性、出て行く女性。声の感じや容姿から全員、5、60代と思われる。

 

集中できなかった…。

 

 

 

2015・11・3  平幹二郎主演「女王メディア」

 

平幹二郎主演による「女王メディア」を観た。ギリシャ神話に基づく復讐劇。有名な作品で、平幹二郎の評価も定まっている。実際、期待を裏切らない演技であった。

 

出演者はすべて男性。

 

本来は、「母による子殺し」を考察する内容であろうが、男性による「女性とは何か?」の答えを求める内容にも思える。

 

女性の嫉妬は、自分を裏切った男性ではなく相手の女性に向くという。

 

なるほど。吹石一恵さんを思い出す(笑)

 

だが妻の目の前で、(妻の不倫相手らしい)男性弁護士の局部をハサミで切断した格闘家はどうなのか?

 

男性の嫉妬もまた男性に向くのである。

 

 

2015・7・25

独断と偏見「獅童、中車、玉三郎、海老蔵、猿之助」実力番付


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2015・7・24 七月大歌舞伎

 

歌舞伎座正面玄関脇のポスター。


歌舞伎に興味がないという方でも、この顔ぶれを見れば、豪華さがわかるだろう。

昼の部。ほぼ満席か。

 

見慣れた光景ではあるが、女性客が9割というところ。

 

男性と女性の文化度は開いていくばかり。

幕間には、緞帳が次々変わるサービスもある。

新しくなった歌舞伎座を訪れたのは初めて。

 

このくらいの広さだと、役者との距離もまずまず近く感じられる。

 

座席もゆったりしている。


緞帳にはスポンサー企業の名前が入っている。


ただ、残念なのは女子トイレには長い列ができていること。女子トイレはもっと広くすべきだ。

 

おそらく日本一地価の高いトイレになるんだろうけど(笑)

 

                 続きます。

 

 

 

   皇居のお堀 ランニングしている人さえいる
   皇居のお堀 ランニングしている人さえいる

2015・7・23

歌舞伎座へ

 

連休中の東京都心は暑かった。

 

大都会独特の熱風のような暑さだ。

   おなじみの楠正成像
   おなじみの楠正成像
  なぜか中国人が多い二重橋周辺
  なぜか中国人が多い二重橋周辺

そんな中、目指すは東銀座。

 

歌舞伎座である。


あまりの暑さに地下に潜ることに。

 

歌舞伎関係のグッズ売り場があり、着物を召した女性の姿が目につく。

 

ここは「木挽町広場」と呼ばれ、なつかしいスタンプもある(写真右)

 

        続きます。

 

 

 

 

みんなカメラやスマホを上に向け、シャッターを切っている。


2015・7・22

〃出待ち〃に遭遇

 

連休は東京に行ってきた。

 

梅雨も明けたようである。

 


東京をぶらぶらしていると、まず人の多さに圧倒される。


しかも暑い。


日陰を求めて歩いていると…



パトカーに挟まれた高級車が停まっている。覆面パトカーと私服警官の姿も見える。


でも運転手は降りようとしない。なんだ、なんだ?


近くにいる警備員さんに「この人たちはなんですか?」と訊くと「〃出待ち〃です」

 左の劇場から「スター」が出てきた
 左の劇場から「スター」が出てきた

夜になってもまだ暑い。

 

さらにぶらぶら歩いていると、人垣に遭遇。3、400名はいるか。しかも女性ばかり。

東京の宝塚劇場前で、出待ちする女性たち
東京の宝塚劇場前で、出待ちする女性たち

ほどなく、宝塚劇場から「スター」らしき人物が出てきた。

 

だが出待ちの女性たちは歓声を一切あげない。


白シャツの「スター」。右の黒いバックを持った女性は一般人ではなく、つき人と思われるが、定かではない。
白シャツの「スター」。右の黒いバックを持った女性は一般人ではなく、つき人と思われるが、定かではない。

 

彼女たちは無言で、前列は座り、後列は立ったまま「スター」を見送る。

 

と思ったとき、「スター」が足をとめ、人垣に向かい、何やら静かに語りかけはじめた。お礼の言葉らしい。

 

 

 

その間も辺りは静まり返ったまま。たぶん周辺への騒音の配慮なのだろうけど。

 

「お言葉」を終えたあと、「スター」は通りに出て、ごく普通にタクシーを拾い、何処かへ消えていった。

 

「スター」が何人いるのかは知らないが、その後も同じような光景が繰り返された。

 

ふーん、追っかけの中には、こんなふうに儀式化しているものがあるのか。

 

                   続きます。

 

  2015・3・7 講演のチラシ
  2015・3・7 講演のチラシ

2015・3・9

文楽 平成27年3月地方公演

 

3月7日(土)広島アステールプラザ中ホールで開かれた「文楽 平成27年3月地方公演」を鑑賞した。

 

公演は昼の部と夜の部があり、昼の部は満席だったようだが、私が行った夜の部はいくぶん空席があった。

 

昼の部の「曽根崎心中」「義経千本桜」はよくある演目なので、夜の部の「菅原伝授手習鑑」「釣女」のほうを選んだ。

 

 公演前には自由に写真がとれるサービスも
 公演前には自由に写真がとれるサービスも

早くに申し込んだので、最前列。文楽でもライブでも、見るならやっぱり最前列だ(笑)

 

人形の大きさ、動きに圧倒される。

 

「菅原伝授手習鑑」の一時間にわたる竹本千歳大夫の語りは迫力があった。

 

文楽には珍しいくらい三、四十代(と思われる)の観客が多かった。小学生の姿もあった。

 


ただ、「菅原伝授手習鑑」では忠義のための子殺しが、「釣女」では〃おかめ顔〃の女性への蔑みが描かれている。

 

泣くに泣けず、笑うに笑えない。正直、現代では通用しにくくなっている演目かもしれない。

 

伝統を継承する難しさを感じる。

 

 

2014・9・16

松竹大歌舞伎  於福山リーデンローズ


松竹大歌舞伎に行ってきた。会場は福山市のリーデンローズ。

 

平成24年に始まった市川猿之助、市川中車の襲名披露もいよいよ掉尾である。

 

演目(夜の部)は以下の通り。

 

義経千本桜(猿之助)

襲名披露口上(猿之助、中車)

小栗栖の長兵衛(中車)




  愛用のマグカップ
  愛用のマグカップ
  裏(表?)はこんな感じ
  裏(表?)はこんな感じ

市川猿之助を初めて知ったのは亀治郎時代、大河ドラマ「風林火山」で武田信玄役を見てから。

当初はどうということもなく見ていたが、回を重ねるごとに信玄になりきって演じていく成長力に、ガツンとやられてしまったのだ。

 

  胸元には「愛」のペンダント
  胸元には「愛」のペンダント
1500円 猿之助は庶民の味方?
1500円 猿之助は庶民の味方?

会場内にはいろいろなグッズが売られている。冷やかしながら、猿之助直筆「愛」の刻印が入ったペンダントなど数点を購入。



観客の97パーセントは中高年の女性。5、60代が中心のようだ。

 

ひときわ歓声があがったのはこの緞帳がひかれた時だった。ある人は立ち上がり、ある人は歓声をあげつつ、カメラのシャッターを切っている。

 

ご存知ですよね? 福山雅治が猿之助、中車に贈った緞帳。この緞帳には理由があるのだが、今回は割愛する。


開演は16時、終焉は19時10分だった。



2014・8・25

内子座文楽

 8月24日(日)広島市内は早朝から雨。

 

土砂災害の被害状況が気になるが、数カ月前からチケットを入手していたので、四国に向かう。


 

広島市内から愛媛県内子町まで、車で約3時間半。

 

しまなみ海道を渡る頃から陽が射しはじめ、内子町は西国の夏らしい蒸し暑さだ。

 

内子座は大正5年に建てられ、「内子座文楽」は今年で18回目。

 

臨時駐車場には遠方からのナンバープレートも多数見られた。

 

演目は「桂川連理柵(しがらみ)」。道行物だ。


初演は江戸後期1776年。


女性の名は「半」。宇野千代の「おはん」の由来もこのあたりにあるのかもしれない。


上演時間は2度の休憩を入れて約2時間半。


中高年の姿が多いが、若い女性、小学生の姿も見える。


類型的な人物造形とわかりやすい悲劇。芸、様式美として見れば、文楽は楽しめるのではないか。


掛け声も飛んで、馴染客が多い様子が伺えた。


観劇後は付近を散策。

 

屋根付き橋(田丸橋)は昭和19年に建てられた。

 

「坂の上の雲」のロケにも使われたという。

 

 

帰路、再び、しまなみ海道を渡ったが、瀬戸内海を境に天候がガラリと変わり、雨が降り出した。

 

カーラジオのスイッチを入れると。今回の災害の犠牲者は、死者50名、行方不明者は38名と報じていた。

 

 

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

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 監督 東陽一

 原作 見延典子

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