石村良子代表のブログです。

孫「ぼくが結婚するごろ、ばあばしんどるよね」

石村「もうすぐ死ぬのか?」 

孫「えっ」

石村「あと79年しかない」 

孫「ぼく85さい、おじいさんじゃん

 

月下独酌 李白

花間、一壺の酒
独り酌んで相親しむ無し
杯を挙げて明月を迎え
影に対して三人と成る

2019・3・10

酒癖

 

誕生日会 なんだか酒癖がついたようです

残り少なくなった寿命を嘆く石村
残り少なくなった寿命を嘆く石村

月、既に飲を解せず
影、徒に我が身に随う
暫く月と影とを伴いて
行楽、須く春に及ぶべし
我歌えば月徘徊し
我舞えば影繚乱す
醒時は同に交歓し
酔後は各おの分散す
永く無情の遊を結び
相期して雲漢邈かなり

 

 極彩富貴孔雀図  岡原大崋画(午後)
 極彩富貴孔雀図  岡原大崋画(午後)

午後 南画の岡原先生がお見えになり「これを皆様に見せてあげてください」と大軸を 持ってきてくださいました。床一杯の大迫力を、午前の来会者にも見せてあげたかったです 残念。せめてブログに載せます。

 

2019・3・4

ひなまつり茶会

 

頼山陽史跡史料館での茶会も22回目、今年も200人を超える入席者で楽しく終えることが出来ました

岡原大崋画(午前)
岡原大崋画(午前)

2019・2・15

今年は跳ねます

 

インフルエンザが今年は猛威を振るったようです

 

亥年生まれの石村、今の所無事に過ごしております。

長崎から到来の桃カステラ       皿は江戸時代の日月貝(上の写真)

 
 
 南画教室 今月は桃とハマグリ
 南画教室 今月は桃とハマグリ

元気の秘訣は面白い予定を入れることです あとお茶を飲み少々の酒もいいようです

カキフライに頼聿庵の書のラベル スパークリング三谷春 (上の写真)

跳ねるイノシシ 猪突猛進中

(左写真)

 

 


 出雲大社本殿 御神座正面
 出雲大社本殿 御神座正面

出雲大社のおみくじ

「本年は幸運の年で,すべて良い。皆後日に好結果に結ばれる。思いついたことは、少しぐらいの故障はあっても断行せよ。相当の成功をみる。」

とでました…

宮島大鳥居 鳥居の足もとはお金が一杯

 

2019・1・6

明けましておめでとうございます

 

明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願いします


 頼春風先生碣
 頼春風先生碣

色々世間話していると 家は昔の留春居の近くだから活けた花を見てくれといわれる。 お宅の玄関に入ると目に留まったものがある。なんと私の父の書額がかかっている。

 父の書
 父の書

来年の頼山陽ネットワークの10周年に大歳さんと来てくださいと宣伝、此れも墓参りの徳? 次に磯宮八幡神社にも参拝 今年最後のおみくじも大吉でした。

 

 

2018・12・28

竹原の縁

 

竹原に行く 照蓮寺の頼家の墓参りに行こうと寺内を歩いていると「どちらから来られました」とあるご婦人。

 玄関の花
 玄関の花

おばあさまが賣茶流の煎茶をしておられたという。見延さんの頼山陽も買いました、など不思議なご縁に話も弾む。

全部大吉 磯宮神社 上賀茂神社 佐賀多久聖廟


2018・11・26

事務局「さすが、石村代表」

 

11月25日付中国新聞に「城下町ウオーク」の記事。そこに石村代表のお名前が見える。さすが、目立っていたのでしょうか(笑)

 

 


花本主任学芸員の解説に始まり10のチェックポイントにわけ処所解説がありました。

2018・11・24

城下町ウオーク

 

秋晴れの一日11月24日、頼山陽史跡資料館主催の城下町ウオークに参加しました。

白神社が岩礁の上に立っていたという話に始まり、江戸時代の絵地図をみながらのウォーキング、当時の町なみを足と耳で感じ、まさに百聞は一見に如かずの心境でした。 

 

※左の写真は大手町第二公園にある広島県出身で初の内閣総理大臣「加藤友三郎」生誕地 碑文は「頼古楳」昭和5年建つ

 

 


 五荘詩鈔
 五荘詩鈔

天野雨石氏(万延元年 世羅郡に生まれ 昭和23年没)は1か月だけ市長臨時代理を務めたという。

 

この方の「漢詩集編集者が私の知人のおじさん」ということで読んでみた。折々の気持ちを詠じておられる。

 

 

2018・7・31

昭和12年 

呉市長臨時代理 天野雨石

 

今秋10月「入船山茶会」のため色々な資料を集めている

 昭和10年雅題料理の会 奥に石村父
 昭和10年雅題料理の会 奥に石村父

 印刷の山陽の軸
 印刷の山陽の軸

 

山陽のものは印刷物でも良いのが使ってある。が 気が引けて 取りにくいのでそのまま。

 

 

 

2018・7・29

山陽の軸1000円

 

なんでも鑑定団の話ではなく。写真は石村の私物で頼山陽の印刷の軸。南画をならっているので表装を頼むことがある。その時のために本体は傷んでいても軸先の良い古い物を買っている。

 味のある古い軸先象牙、骨、紫檀
 味のある古い軸先象牙、骨、紫檀

広島方面 通勤の行きは豪華客船銀河    帰りはバス、クレアラインは一部利用可
広島方面 通勤の行きは豪華客船銀河    帰りはバス、クレアラインは一部利用可

幸いに何事もなかったが「正直、そこまでの事はあるまい、あったとしても何処に逃げるの」が大方だったと思う。後から聞くと川の水位土手まで5センチの所まで来ていたそうな。まずは町内自治会単位でしっかり考える必要がありそう。

 

2018・7・22

銀河にて from 呉

 

7月6日 私の住むところでは二河川の氾濫決壊の恐れがあるということで、避難勧告が出ていた。

JR呉線沿線は坂、小屋裏、天応、安浦で甚大な被害が出た。報道されていない地域での被害も少なくない。写真…被害の大きかった水尻駅付近は呉線のレールが見えない
JR呉線沿線は坂、小屋裏、天応、安浦で甚大な被害が出た。報道されていない地域での被害も少なくない。写真…被害の大きかった水尻駅付近は呉線のレールが見えない

2018・7・9 ない!!➁

 

朝からの雨に広島行は順延

携帯電話が昨日夕方より通じなくなった

 

気を取り直し 買い物 相変わらず パン 総菜はないが

ラーメン コメ カンズメ類 スナック が少なくなってる

 

外に出ると ガソリンを求めて建物一周の車列

携帯で写した写真も当然ながらパソコンに取り込めない

 

陸の孤島化する呉市 

 

総菜もない。水はあります。

明日はフェリーで広島へ

 

 

 

 

2018・7・7

ない!! from 呉

 

一番先に無くなるものはパンでした 

事務局注JR呉線は運転見合わせ。広島へ向かう県道31号線も、途中の坂町の水害などあり、交通網が寸断傾向とか。

 


 粽,新茶
 粽,新茶

菖蒲、栴檀、ヨモギの束。竹原ではこれを屋根にあげるという。粽、新茶も。此れで病気になったら申し訳ない、感謝しつついただきます。

 

 

2018・6・18

6月18日は旧の5月5日

 

竹原のTさんより、例年の厄除けが届く。

 菖蒲、栴檀、ヨモギの束
 菖蒲、栴檀、ヨモギの束

 

当時、お茶といえば緑茶であったが、中国からイギリスへの長旅の途中 船底で発酵し 勿体ないので飲んだところ おいしかった處から 紅茶の誕生となった……。

 

以上 東インド会社をテーマに卒論を書いた石村の 紅茶に関するうろ覚えです。

 

まさかここで 紅茶の元祖「雲南紅茶」に会えるとは これも山陽先生の遺徳!

 

 

2018・6・2

殷さん土産と石村卒論

 

紅茶の樹はウーロン茶と同じくツバキ科で、原種は中国の雲南省からチベット、ミャンマーにかけての山岳地帯に自生。中国では霊薬であった……。

 

17世紀、海上貿易で世界に雄飛していたオランダにより中国から伝えられ 18世紀、イギリス貴族社会で人気を高める。


今は亡きお姑さんに習った「葉玉のおから」

只炒めるだけの簡単料理ですが 酒をたっぷり使うのがこつです。

材料  おから 葉玉ネギ 

    ホタテ ちくわ 

    ナゴ シーフード

    いか、えび、あさり

孔子に因んだ佐賀の酒 (せき)(さい)におから

(写真右)

 

2018・5・26

葉玉ねぎ

 

そろそろおしまいですが葉玉ねぎを御存じですか? 

葉玉は玉ネギとも ネギとも違った風味で洋風、和風どちらもOKです。


 今年の初つみ
 今年の初つみ

新茶は 香気と爽やかさ 一年に一度の贅沢品です

 

走筆謝孟諌議寄新茶

(筆を走らせ孟諌議の新茶を寄するを謝す)

       唐:盧仝

一碗喉吻潤,二碗破孤悶。
三碗捜格腸,惟有文字五千巻

四碗発軽汗,平生不平事, 尽向毛孔散。
五碗肌骨清,六椀仙霊。
七碗吃不得也,唯覚両腋習習清風生

2018・5・2

5月2日は八十八夜

 

夏も近づく八十八夜~

2018年の八十八夜は5月2日です 

この日摘んだお茶を飲むと一年中元気で過ごせる とか

一年で最初に芽吹いた茶には特別な効能があるとか

石村は先手必勝 明日新茶をいただくのです

盧仝「茶の歌」煎茶碗  木米写し
盧仝「茶の歌」煎茶碗  木米写し

一椀にして喉の渇きが止まり、、、六椀にして仙霊に通ず

1000年の間 共感を得て今に至る盧仝の「茶の歌」有名な部分です。

生涯たった一詩でいいんです、今からでもおそくないかも。

 

 長崎案内本
 長崎案内本

2018・4・22

頼桃三郎先生「山陽顕彰復活の議」

 

桃三郎先生、随筆集「去年の雪」に長崎旅行の事を書いておられるユーモアと諧謔で思わず吹き出す。


 

が時に真剣に 戦前、戦中、戦後 頼山陽の評価の変遷にふれ「頼山陽顕彰復活の議」が起きるようなことが有れば「進歩的役割」「外史の歴史小説としての抜群の面白さ」という線においてだけ事がすすめられるよう希望する。とし彼をめぐるすべての資料が整理され研究者に提供される山陽研究所であって欲しい。と続けておられる

 

他では聞かれぬ本音トークは参考になる。

江戸時代地図の花月地図右(引田屋) 

銅座町(坂本箕山の頼山陽によると山陽の長崎の寓居は三井銀行長崎支店の裏手銅座川に面する楼閣、蘭船唐船の見える所とある)

 

2018・4・15

頼桃三郎先生の本

 

4月は何かと忙しい 読書は細切れになるが何かを読みたい 思いついて頼桃三郎先生の本 頼春風 頼杏坪、そして先生自身の長崎旅行の記を読む。

 

春風先生55才 儒医としての見聞旅行の傍ら大舟遊びに興じ 詩会に参加し 唐人と面会をしている。

杏坪先生60才は御手洗の船商の連れ戻しの公務であったが、当地御奉行に詩を所望されたり、唐館、蘭館などの見学も果たしている。

両先生共、多くの縁ある人は勿論のこと、色々な人に出会いたい、文物にふれたいという向学心、好奇心には驚くばかりである。


高校の時読んだ「蘭学事始」も再読。玄白先生も只々人の縁により大事が成し遂げられたと感謝し、本を結んでおられる。江戸は人とのネットワーク縁あればこその時代であったようだ。

この度の長崎旅行 食べ物がおいしかったもいいけど、何かを得て帰りたい。

 

 平田玉蘊 美の交遊
 平田玉蘊 美の交遊

偶然に持ち主の中村さんご夫妻にお会いし話が弾む。頼山陽ネットワークで一緒に顕彰活動をしていただくようお願いして別れる。

 今年度初カープは寒かった
 今年度初カープは寒かった

2018・4・8 春休み

 

三次市にある奥田元宋・小由女美術館の企画展「平田玉蘊 美の交遊」を見に行く。会期も残り少なくなりました、まだの方はぜひ。

その前に頼杏坪役宅(運壁居)に寄ってみる。散る桜が庭に花吹雪になっていた。

 桜の運壁居
 桜の運壁居

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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