端渓爪硯
端渓爪硯

当時の十二両は約85万円 山陽も九州揮毫旅行では随分金子を得たとみえ 「当時凝っていた骨董収集にお金を費やす積り等」の手紙も残している 

2016・8・7

頼山陽端渓硯の値段

 

山陽は肥後出の紫端硯を 41歳の正月弟子に引き取ってくれるよう手紙を出している

「肥後にて得た硯石 此のたびお金がいることが出来たので (尾道)三君のうちに託します 原価十二両、、、硯代のほか京までの旅費は商売ではないので言わない 他にも 袋や蓋などにお金がかかった 是で詩や絵を画く清福を思えば十二両は安いものである」 と勝手を言っている

山陽遺愛の多賀城瓦硯          没後150年頼山陽展冊子より
山陽遺愛の多賀城瓦硯          没後150年頼山陽展冊子より

私も父から嫁入り道具に端渓硯を貰い非常にうれしかった事を覚えている 上等の人間になったような気がしたものだ 手触りはなめらかというような単純なものではない 触ってみなければわからない感覚 正に「文人の刀」にふさわしい高尚さである 持っているだけで心が豊かになるのは間違いない 

 

 

 

 

では猫カフェに行くべき時間はいつか ズバリ昼飯前これをリサーチ 又孫子曰く「強い敵とは戦いを避け、挑発して掻き乱しといて、低姿勢に出て油断させる、休養をとっている者は疲れさせ、親密にしている者同士を引き離す、無防備なところを攻めて、意表をつく」

2016・8・4

猫カフェ 孫子でリベンジ

 

猫カフェに行くには 時間が大切 孫子曰く「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」


結果 わが軍は大勝したのであります 孫子はえらい

 

 

何かヒントはと竹田の画集を見ていると~といっても昔の骨董屋さんの出版カタログ~ 載っていた、どうやら雲華上人あてらしい。 

2016・8・1

蘭竹争妍

 

「頼山陽の手紙」 このたびは頼山陽と田能村竹田の交遊を紹介している。 年月 宛名のない手紙は「頼山陽の書簡集」に載っていないことが多い。

大体想像はしていたけど様子が解るとやはり嬉しい。写真に載せた画がそれらしい(冒頭の写真)

この画の賛が山陽の手紙の中の竹田の詩と大体同じであるし追加に雲華上人の求めに応じ、更に一枚書いたと添えられている。 

 

蘭竹争妍は南画の画題で「蘭と竹が文人の魂はこのようである」と優劣ではなく品性を競う様子を現し「君子之交」ともいわれる、 雲華上人はこの軸を生涯大切にしていたとある。カタログには雲華上人の画像もあった、 こちらは頼山陽が賛をしている。


江田島まなびの館(広島県江田島町)
江田島まなびの館(広島県江田島町)

江田島学びの館でお菓子、お茶と楽しんで 立ち居振る舞い と教える

意外に正座が大丈夫で20分は座っている 

ポケットに入れ スマホをその上に入れ ストラップに引っかかって 飛び出たらしい 心当たりを探すがない あきらめていると 中国の親子まだ探している、あきらめない 

暑いし心の中では 「無理だわ」 と思っていたのに 一体なんだろう 皆で手をたたいて喜び合い 別の意味でも思わぬ感動の一日になった

 

 

 

2016・7・24

北京から「日本文化体験ツアー」

 

ネットを見て 北京から「煎茶体験ツアー」の一行が来た

下は8歳から大学生まで24人 通訳とカメラマン同行の旅

楽しい時間は過ぎて 写真も一杯撮り それでは又というとき 「こちらの手伝いの人の指輪が無くなった」 という 

縁の下に潜ったりごみ箱まであさり 30分たったとき 男の子が庭で見つけた 

指輪が見つかった!
指輪が見つかった!

       あそばにゃい
       あそばにゃい

2016・7・17

猫カフェ

 

孫の家にはアレルギーのひどい人がいるので動物は厳禁だ で猫好きの孫と ネコカフェに出かけてみる 

 

あんに相違せずネコは遊んでくれない 猫用のおやつを買い 気を引こうとするが 見向きもしない
猫はネコらしく寝ているだけ それを皆(5人ぐらいの人)で見ているだけ 皆写真を撮ったり撫でるだけで幸せそう

当の孫もめちゃくちゃ楽しかったらしい

 

年取ると幸せ感まで薄くなるのか ネコがいなくなって8年のブランクは大きいのか 

 


よそのネコはよそのネコ いなくなったニャンコが可愛かった 

いまだに町で似たような サバ柄のネコを連れてる人を見ると うちのネコを誘拐したのではと思う  

 

 

     堆朱の小卓と榻(とう)
     堆朱の小卓と榻(とう)

菅茶山の回想 筆のすさび「余江戸に在りしとき 柴野栗山先生に食卓と小(しょう)榻(とう)四つ贈る人あり、…余と尾藤博士と主人とその榻に踞(きょ)して対酌す、久しくして主人勝手に入られしあとにて 尾藤、余をかえりみ主人の居ぬうちは 暫く下りて休息せばいかん、と言いて うち笑われしに 吾もまた絶倒す」(しにか10号 平田萬里遠)
最近は日本でも畳のない家が増えているという 床の間もないし 上座、下座という考えも?になっている

2016・7・10

高机は苦手

 

江戸時代 正座に慣らされた日本人にとって、腰かけることは苦痛であった 「しにか」 にこんな記事があった

     文人机(2枚の写真)
     文人机(2枚の写真)

3年前は茶会で床の間に荷物を置く人が3人ぐらいだったのが昨年は5人になった 今年は床の前に座っていただくのをやめた それと箸の持ち方が、、、言い出したらキリがないが自分もフォーク、ナイフずかい てずかみ もろもろ マナー違いで おかしい事してると思う わからないことは尋ねるのが一番 年取っていいことは 聞くのが恥ずかしく無くなった事 楽、楽

一枚は戦後昭和47年で  俳句の投稿がのっている 選者もすごいが 呉の方の投稿がある「花に病む人を見舞いて長居せず」

次の人に渡すまで しばし楽しみたいと思う 古い急須は内に茶渋がたくさんついている 此れを たくさんの友を接待したしるしとして珍重する 

 

 

 

2016・7・3 骨董品

 

茶会があるので 道具を出してみる 今まで気付かなかったが道具の底に詰め物の新聞が 一枚はドイツ軍のポーランド侵攻

前に持っていた人の事はわからないが この道具は戦争中も大切に保管されて私のところに来た


  ケイト扮する白塗りエリザベス              「エリザベス」パンフレットより転載
  ケイト扮する白塗りエリザベス     「エリザベス」パンフレットより転載

2016・6・25 白塗り

 

白塗りと言えば 歌舞伎 舞子さん 花嫁 お公家さん
外国では映画「エリザベス」の最後 ケイトブランシエット
扮するエリザベスが 王位に就くとき女官の制止をきかず  自ら髪を


切り花嫁衣装に身を包み 顔を白塗りにして 皆に「私は国家と結婚した」と宣言するところで終わった
(この映画で ケイトにアカデミー賞取ってほしかった)

 

むかし 有職故実を勉強したとき 知り合った大学の先生の研究書に「花嫁の化粧」の所に 白塗りの記述があった
和装の花嫁について 婚礼化粧の意義や厚化粧をする理由は「常の場合でないことを自らも感じ他にも示すため」「皮膚が強ばって表情が弛まない(中略)やたらに笑ったり感情をあらわにしない」といった記載があり 又「歌舞伎の善人は顔の色を白く塗る、民俗学的にいえば神に扮する名残り」とある これは猿之助も言っていた
公家が白塗り化粧をしていた理由についても「白い肌は古くから洋の東西を問わず、清浄さ、若さ、高貴さを意味した」とある

 

映画エリザベスの最後 「白塗りのエリザベス」は まさに「クイーンエリザベスになった」と感じられる納得の瞬間で この場面は 鳥肌物でした 臣下がたじろぎ足元にひざまずいていた 

日本でも 天照大神を迎える諸神の顔は みな白かったそうで、神の色だと言う(神主の義父に聞いた)  

バカ殿さまの意図はわからないし 「真田丸」もほとんど全く見てないので適当ですが 常ならぬ状態であることは確かですね

 

 

    賣茶翁の唐物煎茶道具
    賣茶翁の唐物煎茶道具

サロンの中心元昭月海は 肥前蓮の池の人で黄檗僧、のち還俗し賣茶翁と号した 
茶店の看板には
石炉煎茗鬻來往 過客須知価半銭
一啜為君洗心腑 通仙亭上楽悠然
これでは とても人の寄り付ける雰囲気でない当然来客も少なく で東福寺の「洗玉澗」で手始めに出店をすることにした

2016・6・19

ファーストペンギン賣茶翁


賣茶翁の周りに集まって その移動茶舗のサロンに遊んだ人に例えば亀田窮楽 片山北海(頼春水の先生)伊藤若冲 曽我蕭白 木村蒹葭堂 池大雅 いずれ劣らぬ強烈な個性の持ち主ばかり 一体どんな話が と興味は尽きません

上段の写真とも「賣茶翁偈語集」主婦の友社
上段の写真とも「賣茶翁偈語集」主婦の友社

僧侶でもなく 道者でもなく儒者でもない 普通の茶売りでもない鶴氅衣という中国風の服を着た老人が 新奇な中国の道具で茶を煮 「茶銭は黄金百鎰(鎰は金の目方の単位) より半文銭までは、くれ次第、ただ呑みも勝手、ただよりはまけ申さず」とのどやかに禅を説き 珍しい話を聞かせる姿はいつしか京都の文化人の間で評判になった
当時女子供のすることで有った茶売りで生計を立て一日の糧を得れば帰る 路傍で唐物の道具で茶を煮(今ならマイセンで屋台) その道具にも執着せず賣茶の業が出来なくなった時に焼却 人柄は「落栗物語」によると 「貴賤を問わずいつもにこ


にこと応対したので皆翁に馴れむつびぬ」 とある 最晩年は器用に生きられなかった自分を笑い且つ誇りに思う 

文人の理想 「静と清に生きたいと思えど ぶらりとしては暮らされもせぬ」 人間の性を超え市中の仙を実行した 清貧の元祖賣茶翁に 文人があこがれるのも当然と思われます サロンに集まった並みいる畸人中の ファーストペンギン賣茶翁は並々ならぬ畸なる人でした 
山陽の活躍する前の京都はこんな町でした

 

 

 

急須₍ボーフラ)と風炉    唐物の茶碗、茶托
急須₍ボーフラ)と風炉    唐物の茶碗、茶托

いかに山陽が師や賣茶翁の茶、その精神性に深い共感をえていたかが感じられる 酹(ライ)は儒教では酒で地を清め 天と地にわかれた魂と魄を呼び戻す行為とある ネットワーク7周年の時に、、、
後の祭り とは言え 反対されたでしょうね多分   


次回はファーストペンギン賣茶翁

 

 

2016・6・12

賣茶翁と頼山陽

 

「山陽先生書後並題跋」賣茶翁の書の後に題すに 山陽は(47歳) 通りがかった三条の古道具屋で 偶然にも尊敬する道苗師がいつも欽詔し手書した 売茶翁の自警の偈の掛物を見つけ驚いて買って帰り 早速風炉に茶を煮 売茶翁に酹(ライ 祭るために茶を地に注ぐ)し 掛物の作者道苗師と茶を楽しんだとある

  

山陽が題し床に掛けた 賣茶翁の自警の偈本文
山陽が題し床に掛けた 賣茶翁の自警の偈本文

三国丹祐造 賣茶翁像
三国丹祐造 賣茶翁像

若冲の代表作「動植綵絵」全30幅を見た賣茶翁は「丹青(たんせいの)活手(かっしゅの)妙通(みょうかみに)神(つうず)」と書し与えたという 

若冲は敬愛する賣茶翁の肖像画を沢山残しているが 若冲だけでなく 

2016・6・6

賣茶翁と伊藤若冲

 

東京での生誕300年記念 伊藤若冲展は熱気のなか終了したという
中には4時間待ちもあったとか 

若冲という号は一説に相国寺の僧、大典禅師の銘による賣茶翁の水差しに「大盈若冲君子所酌」とあるのを見た若冲 これを気に入り自らの号としたという これは「老子」という書の中の言葉「大盈(だいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)きも、其の用は窮(きわ)まらず」による、大きく満ちているものは何もないように見えるが、その働きは窮めることができない

   伊藤若冲画賣茶翁 其中堂書林版
   伊藤若冲画賣茶翁 其中堂書林版

谷文晁 田能村竹田 浦上玉堂 富岡鉄斎 等々 多くの画家が多分頼まれてもいない賣茶翁の肖像画を残している あの池大雅は其の交流の中 形見として寄興鑵(きこうかん)(きゅうす)を送られたという
正にキラ星のごとき面々が 翁を慕い 作品としている 

そう 頼山陽まで
一体この翁のどこに そんな魅力が 翁の人間力とは 
次回御覧ください 続きます 

三巻初めの平塚瓢斎への手紙は いかにも歴史好き同士 という手紙で 頼惟勤先生「日本の名著頼山陽」のなか「日本外史の特徴と批判」の批判のところで この「瓢斎への手紙」を引用して「史実に対する山陽の態度」として論及しておられる 

松平定信「日本外史」題辞
松平定信「日本外史」題辞

2016・5・29

先生も頭が痛い

 

 只今 古文書教室では「頼山陽の手簡」を頼先生のご指導のもと読んでいる

手紙の性質上 やり取りしている両人が親しければ親しいほど 内容の省略が多くなる 話が飛んだり 会って話したその続きだったりする結局は何、何が言いたいということもある                 

 日本外史第十巻 九灯の記載部分
 日本外史第十巻 九灯の記載部分

惟勤先生は 資料もたいせつであるが近くの太平洋戦争でも同じ海戦でも日米により日時 位置などの違いがあったり 指揮官と兵曹では見解が異なりなどする としておられる 古文書教室も然りでありますので 先生と弟子 「中(あた)らずと雖も遠からず」なら良いのですが 

 この題辞はなるほどです

 

 

 


写真はいずれもNASAホームページから
写真はいずれもNASAホームページから

2016・5・22

いかなる情念のもとに

 

先日の古琴の会で坂田先生が紹介されたボイジャーに「流水」が採祿されているという話に 久しぶりに

NASAのホームページを見た 太陽系を離れ暗黒の中ひたすら飛び続ける姿に わけもなく感動する

涙が出そうになる 日本代表曲は人間国宝である山口五郎師が吹いた尺八の巣鶴鈴慕鶴の巣ごもり)是はもと虚無僧寺から出た曲だという


管平湖先生弾琴の「流水」も漢の時代の琴「清英」使用 なんと陽関三畳まで聞ける

いずれの曲もYouTubeで聴ける パソコンを変えてヤマハのサウンドシステムを搭載しているので音がいい しばし堪能  なんという贅沢 贅沢

 

NASAが公開している宇宙人宛てメッセージ「ゴールデンレコード」の音源を、音楽クラウドサービス で公開している。ゴールデンレコードは1977年に打ち上げられた2機の無人惑星探査機ボイジャー号が運ぶ金メッキ銅盤レコード。宇宙のどこかで何らかの知性体が発見することを期待し地球からのメッセージをアナログ音声で収録しています。

この中には 地球の位置なども記録されているため 侵略されると 反対もあったとか

 

Golden Record    Music From Earth

The following music was included on the Voyager record.

Japan, shakuhachi, "Tsuru No Sugomori" ("Crane's Nest,") performed by Goro Yamaguchi. 4:51(人間国宝山口五郎師が吹いた巣鶴鈴慕)

China, ch'in, "Flowing Streams," performed by Kuan P'ing-hu. 7:37

(管平湖先生撫奏琴曲流水)他25曲     

 

ところが私のクロックスに猛抗議して一歩も動かない

 

ハハア ママの勝手に履いたのが悪いのねと察し 大丈夫

 

ママの許可は得てるの と言っても聞かない 足にしがみつく勢い止めてくださるなと ずるずる引きずる 動かない 見るとクロックスの穴を指さし涙目になっている

 

ママが雨の日は足が濡れるから履いてはイケないといったという なんだかんだで目的地まで5分の所20分もかかった かくしてカープ坊やはセオリーどうりの人生を

 

歩むんだろうなー 

2016・5・20

カープ坊やクロックスに泣いて抗議

 

午後から雨が降り出したので カープ坊や3歳を連れて プレカープ女子の迎えに小学校に行くことにした

 


坊や 足なんてほっといても乾くし クロックスで宮島でもどこでも行けるんだよ 第一長靴に水を一杯入れてはくと楽しいよ

 

 

通訳の久保さん、法華学問寺の大煕和尚、浄土寺の小林住職(写真左から)
通訳の久保さん、法華学問寺の大煕和尚、浄土寺の小林住職(写真左から)

2016・5・17

上海の大和尚、尾道へ

 

上海市からお客様があり尾道をご案内しました。
法華学問寺の大煕和尚。
なんだかすごい方のようでして。

折しも尾道浄土寺は開創1400年並びに平成の大改修完成記念。80年に一度の御開帳期間でした。


浄土寺の小林住職が直々にご説明くださいまして、尾道の文化財、経世済民の心に感動しました。

尾道千光寺は久保にとって思い出のつまった特別な場所。

上海からのお客様、法華学問寺の大煕和尚と千光寺へ。和尚がちょっと見てみたいと仰るので、ハイハイと軽い流れで千光寺御開帳記念の襖絵を観覧。芸術に造詣が深く、並々ならぬアートなお寺を建立された大煕和尚がその襖絵に釘付けに!確かになんだかすごい!...

頼山陽ネットワーク七周年記念式典の前日 大煕和尚の通訳兼案内係を上海留学経験のある久保さんにお願いした

撫松庵に行かれたという ここは頼山陽が命名田能村竹田らと雅遊した場所 七類先生は庵主になられているという お三方が座ったところにかって山陽やいろいろな文人がと思うと縁の不思議を想う
 

 

 

頼山陽が命名したという撫松庵。中央は庵主の七類先生。
頼山陽が命名したという撫松庵。中央は庵主の七類先生。

5月3日 竹原森川邸で中国茶をいただく
5月3日 竹原森川邸で中国茶をいただく
       山陽書後並題跋
       山陽書後並題跋

まったく 季節や茶葉の種類により 煎ずる時間や湯の温度などを自分で調節せねばならず煎茶の楽しみは自分で気分に応じ自由に選べる 難しいところに有る と思う 

 

 

 

2016・5・14

頼山陽の「抹茶」「煎茶」観

 

「山陽書後題跋」の中 続茶経の後に題す に山陽は「抹茶は古詩長律のごとく 葉を煎じるは絶句のごとし気韻の淡泊にして余情多く喜ぶべきものは絶句にあり」 とし 古詩長律はへたでも耐えられるが  絶句は一瞬の機できまり 煎茶もまたしかりだとしている

団茶 削っていただく樹齢1000年からの茶葉 持ち運びの便より中が完全密封状態で変質しないことが団茶にする理由とか
団茶 削っていただく樹齢1000年からの茶葉 持ち運びの便より中が完全密封状態で変質しないことが団茶にする理由とか

亡くなる三日前母を尋ねると「お母さんは貴方と秀子さんが気になって死んでも死に切れない」と言っていた 皆さんから見れば まさか でしょうが母の眼には頼りない散財化の二人だったことでしょう 
ただただ案じてくれる母でした

上の写真二枚は亡くなる前年の母の手紙

 

右の絵は我が娘が今年書いた私の似顔絵 ほくろの位置が違う

2016・5・8 母の手紙

 

5月8日は母の日 誰にでもある母に感謝する日であると云う
亡くなって何年もたつと母は自分と生きているという感覚になる 


ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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