石村良子代表のブログです。
2019・8・4
頼山陽の習い事
36歳の正月 山陽は苕華先生の門を訪れ煎茶の法を学んでいる
(右の写真は「煎茶法入門の賦」)
受けんと擬す君家陸羽の經 衣を整え雪を衝いて玄邸に到る
嗔を休めよ弟子束脩薄しと 肪玉檀香倶に一瓶
この賦を副えにしたという
太田午庵筆「嶺松蘆記乃図」には縁側で如意棒をもち煎茶を楽しむ頼春水の姿が描かれるが 山陽の煎茶趣味も父譲りのようだ
話し変わって 現在私も頼山陽史跡史料館で 頼稘一先生による古文書教室に20年通っている 「古文書は難しいでしょう」「みんな読めません、読めるの先生だけです」なぜ行くのか、その答えは まずは見学においでください、
現在山陽の母の父飯岡義斎の娘静への手紙読んでおります、独占するのが勿体ないほどおもしろいのでお誘いします。先生は山陽のような礼は期待しておられません たぶん
松陰と三樹三郎他が処刑された後、毛利藩士の手によって小塚原刑場の側に埋葬、のち遺骨を目黒若林に改葬された時の様子、さらに、この時三樹の遺骨が分骨されたが、その後の顛末も書いてある。
人によって気に成ることは様々とはいえ疑問が晴れ 是も一楽。
2019・8・2
吉田松陰と頼三樹三郎
以前 頼三樹三郎28歳の手紙を紹介したことが有る それ以来三樹三郎の文字が 目に入るようになった。 広島萬象園について調べていたら 同じ雑誌中横山雅男という方が頼龍三、俊直の二子の要請で生々しく述べておられる。
2019・7・26 見延典子「游明朝体の件」
石村代表のブログにお邪魔します。
「游明朝」の件、石村代表と同じく、マイクロソフト社のパソコンを使っている私も「被害」に遭い、「頼山陽ネットワーク通信」では修正しきれず、失礼しました。
結論からいって、マイクロソフト社はアメリカの会社ですから、そもそも「縦書」なんて重視していないのでしょう。それに対して「游明朝」は「時代小説が組めるような明朝体」を目的に、日本の字游工房がつくったもので、拙著でも使用しています。
石村代表はソフトをダウンロードして、支障はなくなったそうですが、私はやや古いタイプで、マイクロソフト社に問い合わせたところ、「セキュリティに問題が生じるので、申し訳ないが、今の状態で使ってください」というような回答でした。
私の場合、プリンタ一もそうですが、パソコンも保証期間を過ぎて、故障しても対応してくれないことはわかっています。保証期間であっても不具合が生じた際、マイクロソフト社は販売店では対応してくれず、直接、問い合わせばければなりませんでした。
こんど買い替える際は、この点を踏まえたいと思っています。
2019・7・24
「犯人は游明朝」
犯人は游明朝と書けばわかる人には 解る パソコンで横書きの書類を作り 縦型に変え、パソコン上では正常なのにプリントすると、「」や句読点が有らぬところに。
わけがわからない。
頼山陽ネットワーク新聞の「こんなショットも」の部分もプリントすると()が変形するのも このためだった。
パソコン独学の石村は 悪戦苦闘。挙句先生に尋ねる(パソコンで探索)なんと、フォントの游明朝が原因だという、早速 MS明朝とかに変えると 正常に戻った。
インクボトル一本で白黒6000枚カラー7000枚。カラー0.8円、写真はイマイチな感じ、だがこれは使える。
頼山陽ネットワーク新聞も全部カラーで40部。資料も、はがきも好きなだけ作る。贅沢,ぜいたく。
2019・7・17
酷使無双
最近は茶会の案内、茶券に始まり季節の挨拶までパソコンで作成する。勢いプリンターのインクの消耗が激しい。
でビジネスインクジェットプリンターなるものを購入。
2019・7・9
昭和18年の茶道具
古い道具には時に新聞が包み紙として使われている 古物屋も当時物の証拠にそのまま入れている
新聞の方は年数はないが7月9日の日付け「豪州ブロックスクリークを連爆」とあり同じ昭和18年のようだ。
敗色濃い日本で茶托を彫る職人がいた。
右の写真=茶托の柄は不断草(スイスチャード)、菜は財の音通で金持ちになるという縁起物
茶托の箱書きに昭和18年作とあり、作者のなくなる一年前の作
(上の写真)「三谷春」の空き瓶,新酒を飲んだ後にペイントして麦茶入れに この写真のタイトルは「勝利(松と鯉)」
(右の写真)ペイントの鯉は、はがして張り替え出来る優れモノ
2019・7・7
鯉人
「しろうや!広島城」によると、広島城を鯉城と記した確認できる最古の人は頼聿庵だという 自らも「鯉城僲史」や「三十六鱗魚城退士」と鯉 にちなんだ号を名乗ったりしたとか
色々写真を見せてくださる、見たこと有るもの無いもの 文書館で苦労してあつめたとか 私の連れ「珍しいですね、どれかいただけませんか」
被爆で焼失した大本営(左上)と曽田さん作成設計図(上)
「建ったら戦争博物館にしていただけませんか」
「戦争の語を使うと許可がおりんのですよ、似た展示はするでしょう」
しかる所に設計図を含む計画書は出してあるとか。石村には大本営の建物がたしかに見えてきました。
約1年半にわたりパリに滞在し、 欧州各地を巡行し、昭武の留学生活を支えている。旅中攘夷思想を粉みじんに打ち砕かれるほどのカルチャー・ショックを体験。他の随員たちの戸惑いをよそに、いち早く羽織・袴を脱ぎ、マゲを断ったという。
右の写真は遥甫会茶会で 優雅なお引きずり姿の(三谷春)林潤子さん
江戸、明治、変わったのは私たちの着物姿
5年後キャッシュレス時代に渋沢栄一の新一万円札の運命は如何。
2019・6・30
変わった人
渋沢栄一は1867年(慶応3)春、パリ万国博覧会に参列する 新調の旅装短い袴にブーツ将軍徳川慶喜の弟・昭武の随行員として渡仏した。
左の写真は薩摩藩使節長岩下方平、チョンマゲ、チョッキ、ハイカラーにネクタイ、その上に紋付羽織、袴の裾から黒靴が見え、チョッキと袴の間に脇差、右手に太刀というスタイル。
2019・6・25
尾道で
6月23日 林芙美子あじさい忌煎茶会が尾道で開かれた
偶然 尾道市長と同席になった まずは駅舎の改装、若い観光客増加のお祝いを
続いて猫党としては例のモスクワ問題 猫小屋まで作っていただいているのに恥をかかすのかと迫る
調子に乗った尾道生まれ石村は「子守歌にきいた西条八十の尾道小唄の復活をぜひ」市長「わかりました、明日の議題にあげましょう」と手帳につけてくださいました。市長、期待しております。
市長曰く「10時間かかるので、、」
石村「世界が続編を見守っています、市長だけでも行ってください」
市長「着ぐるみでも着ていきますか?」実にきさくで楽しい尾道市長です
左の写真=お土産に買った尾道備前焼佐藤苔助のマグカップ、コーヒーの味も格別、サラダには花桜エビのトッピング、夕張メロン。
菖蒲には ヨモギ 栴檀が 添えられ 邪気が家に入らないようにとの事です
筍と柏餅 お手製の粽まで入って また一年病気知らずで参ります
2019・6・7
6月7日は端午節
竹原より今年も届きました 早速飾ります