石村代表のブログです。

3階パンフレット

(右)関羽像

(しん)(ごをたい)(らげ)天下(てんか)太平(たいへい)

 (下)三国時代終焉を告げる

4階 世界最古の前赤壁賦写本(撮影不可)や頼山陽西遊時代の長崎唐人屋敷図他 関羽像、聖福寺特別出品等々

3階共全部写真撮影可

大宰府 隈研吾の設計スタバ(下)

2019・12・23

いってきました「三国志展太宰府」

 

九州国立博物館で開催も残り 1月1日~5日のみ 

九博3階三国志展はもちろん4階も関連出展見ごたえあります

番外 魁龍本店どとんこつラーメン店内は 安室奈美恵、吉田羊他有名人 色紙だらけ(下)


2019・12・5

山根兼昭さん

「『頼先生遊記帖』届く」

 

先日、石村良子、進藤多万他共著「頼先生遊記帖」が届きました。

将に両先生他の力作で、詩人としての頼杏坪先生と親子愛、師弟愛を知ることが出来たような思いです。

写真②
写真②

「吉野の桜を観て南朝を懐う」四首・頼杏坪ー写真ご参照(大意)70歳の老人が遠路はるばる吉野山へ来てみれば、誰もが酒に酔って騒いだり管弦でやかましい。

ここは南朝初代・後醍醐帝の御陵ではないか、咲き残った花が京都のある北の方へ飛んで行くのが悲しい。

1827年、頼杏坪(72歳)は3ヵ月の休暇を得て、2月19日、頼梅し(68歳)と共に広島を海路で出発、初めて五畿(近畿地方)へ旅に出ます。

3月1日大坂、5日昼過ぎ京三本木・山陽宅到着、十日間ほど長楽寺、嵐山ほか観桜、18日吉野へ向けて立つ。

 写真③
 写真③

3月23日、初瀬の観音(現在牡丹で有名な長谷寺)、翌日奈良の大仏参詣、26日帰京知恩院で花見をする。

4月7日、滋賀詩仙堂、16日一行は水西荘へ山陽歓迎の辞、

5月3日、清輝楼にて杏坪先生との別れを惜しむ。

出席者 小石元瑞、浦上春琴、中林竹洞、山陽夫妻、頼杏坪、頼梅し、達堂

5月10日、有馬温泉で久太郎と別れる   頼 杏坪

昔 阿買(あいばー山陽)を携えて 山川を渉す  衰歯 忽ち過ぐ三十年

翻然 汝が扶持の力により 遍く皇畿を踏みて馬泉に到る

(大意)昔は久太郎を連れて山や川を渡り歩いたものだ。あれから三十年、私の体はすっかり衰えてしまった。

この度は打って変わってお前の力を借りたお陰で、近畿の地をあまねく歩き、ここ有馬温泉までやってきた。

(感想)山陽は幼少時より、頼杏坪先生によって育てられ、また助けられて成長した。山陽この時48歳、頼先生にご恩返しが出来たと思います。

 

 両先生、素晴らしい本をありがとうございました。

 

 頼杏坪漢詩訳文/織田俶明(上)

この本は私たちの拙き学習の記録です。頼祺一先生には懇切丁寧な教えをいただきながら 間違って受け止めている個所もある事かと思います。ご寛容いただき江戸の旅に思いをはせていただけたらと思います。

2019・11・17

古文書教室の学習記録

 

頼山陽史跡史料館古文書教室で「頼先生游記帖」別名「十旬花月帖」を読むことになり、解読本がないので 出版にという事になりました。

頼山陽漢詩、画賛訳文/進藤多万(上)

頼杏坪、頼梅颸、菅茶山、頼山陽

田能村竹田、他 短歌訳文/

望月信子

石村良子(左)

 


2019・11・16

『頼先生遊記帖』(『十旬花月帖』)を出版

 

『頼先生遊記帖』(『十旬花月帖』)を出版しました。文政10年(1827)、頼山陽の叔父で、広島藩士の杏坪(きょうへい、72歳)が3カ月の休暇をとり、京都を中心とする近畿地方の旅に出た際の記録です。山陽はもちろん、山陽の母も同行しています。

A5版 205ぺ一ジ

価格 1000円(税込み)

 

※頼山陽ネットワーク会員に限

り送料無料。お申し込みの方に振り込み先を知らせします。

 

 


2019・9・24

無一物中無尽蔵

 

無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)は禅の悟りを著す言葉で、蘇東坡が残したもの。

 

紈描(そがんえがかず)()高い(たかい)かな 

もし丹青(たんせい)をつければ()落ち(おち)来る(きたる)


無一物中(むいちぶつちゅう)無尽蔵(むじんぞう)
 

   

(はな)あり(つき)あり楼台(ろうだい)あり  

          註:素紈は白絹

 

悟りの境地は遠いけれど、書くことはやめられない。

田中柏陰の胡蝶の夢            柏陰は田能村直入の弟子
田中柏陰の胡蝶の夢            柏陰は田能村直入の弟子
 頼桃三郎先生遺愛の蝶型筆立て
 頼桃三郎先生遺愛の蝶型筆立て

意味無の状態に身をおけば、虚の中に実を見ることができるとし、絵筆を持って真っ白なキャンパスに向かったとき、自分の想像力を働かせば、花でも月でも楼台でも何でも描くことができるということ。

上の写真 父上が田中柏陰の弟子だった方にいただいた自作の墨入れと墨、教本、萩焼の筆洗 墨をする、なぜだか、胸が一杯になる

 

 

 


文政7年 細香38歳は 山陽45歳に教えを受けるため京都平等寺に仮住まいしていた 詩大意は「茶釡の世話をする下女もいないし まして水を汲んで茶を煮てくれる下男などいるはずもありません、旅の空 仮の宿にも慣れ日が高くなるまで朝寝をしながら隣の寺で簫を奏でるのを聞いております」

旅の終わりの福楼で細香は集まってくれた緒彦(しょげん)に留別(旅立つ人が詩を書き残して別れる)している 詩の最後に「別思は(きはだ)を食らう苦よりも(にが)し」食らうとは なんとも重い。

 

2019・8・19

茶会の手土産

 

茶会に中国からの留学生を招待した 当日お礼にと 江馬細香の「平等寺僑居雑詠」を臨書して持ってきてくれた、10年前の 彼女のたたずまいは 今でも忘れ難い 

 

只今盆休み断捨離中 進藤多万さん、すでに10年前からお世話になっていたようです


消えかけている
消えかけている

2019・8・15

頼山陽ネットワークの前

 

盆の台風で家仕事に精を出す 引き出しから一枚のファクス用紙

どうやら 頼山陽の住まい水西荘の山紫水明処と三面梅花処について見延さんに尋ね その返事のようだ. 2006824日の日付 このころはパソコンメールでなく お互いファックスで通信をしていた。手段は変わっても 語り口は13年前とあまり変わらない。「諸説あり最後は個人の考え方」なるほど


2019・8・12

尾道盆参り

 

拳骨和尚こと武田物外のいた済法寺に母方の盆参りする。

済法寺境内の山中の岩には釈迦や十六羅漢像など二十六尊者の石仏が刻まれており 畿内でも随一、石工の腕の冴えからも北前船で栄えた尾道豪商の財力がうかがわれる。

 曹洞宗済法寺
 曹洞宗済法寺

母方は畳表の問屋を営んでいたという。尾道小唄(作詞野口雨情、作曲中山晋平)には「その名も高い備後表に酢と錨よ」とうたわれている。

左の写真

430年の歴史尾道造酢(灰屋治郎植右衛門の末裔である橋本太夫が、同業5社と共同で設立)のポン酢は尾道人情でまろやかな味

 

 


当日飲み放題            三谷春に若竹邑の和弁当
当日飲み放題            三谷春に若竹邑の和弁当

林先生の大学のバンド仲間 倉橋会の方々 いつものメンバーという皆さまで始終和気あいあい 一番楽しそうなのは林先生

80歳を超えられたという雪村いずみさんのテネシーワルツは理屈抜きに心にしみます     人生の味
80歳を超えられたという雪村いずみさんのテネシーワルツは理屈抜きに心にしみます     人生の味

音楽で皆の心が一つになりました

2019・8・7

納涼会

 

三谷春 林家の内輪の納涼会に参加させていただきました

 林先生の御親戚        城みちるさんも友情出演
 林先生の御親戚        城みちるさんも友情出演

それを潤子さんが かいがいしくサポートしておられました

ミミ萩原さんに唱和する林潤子さん 
ミミ萩原さんに唱和する林潤子さん 

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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