用心深いわたしたちは、外出時は概ねマスクを着用したが、4日間の滞在中、上海市民2000万人で、マスク姿は一人も見かけなかった。
2016・10・6
上海旅行 余録
上海旅行で紹介し忘れたスナップ。
それによれば、銭子琴の『評閲日本外史』の稿本に対して、光緒三年に清人の齊星源なる人が序文を書いたといい、内容は「私は上海に来て、銭子琴君から『日本外史』を示され、読んでみたところ、司馬遷の『史記』のような不朽の作である」
と絶賛している。
2016・9・26
灯台もと暗し
『頼山陽全伝』の明治8年に『日本外史』広東版なる本が出されたと書いたが、さらに明治10年を見てみると『日本外史』上海版についての記述がある。
実はその『日本外史』が頼山陽史跡資料館(広島市)の常設展で展示されている。灯台もと暗しである(笑)
清国で『日本外史』が出された背景には、日本という国への関心が高まっていたことが考えられるという。
国会図書館のほか、大阪の図書館でも所蔵が確認されているようなので、進展があればご報告しよう。
※写真は許可を得て写しています。
しかし見るからに新しい。奥付をみれば、2015年9月に張暁輝という人物によって北京大学出版社から刊行されている。
張暁輝なる人物がどのような事情から2015年に『日本外史』中国語訳を出したのか詳しい事情はわからないが、内容は実に真面目である。
とはいえ、今の中国にも頼山陽に関心をもつ人がいて、『日本外史』が出版されていることを知ったのは大きな収穫だった。
2016・9・23
上海図書館の『日本外史』②
上海図書館のカウンターで待つこと20分。『日本外史』が手もとに届いた。
内容は『日本外史』全原文の中国訳というところ。
それでも広東版『日本外史』に未練があり、旧式の検索方法を試してみたが、「頼」の項目は残念ながら空白であった。
明治8年、清国では光緒元年に「広東版『日本外史』」なるものが出版されていることが『山陽全伝』に紹介されている。
閲覧するためには、まずは利用者カードを作らなければならないとのこと。パスポートを提示すれば、無料で作ってくれる。
2016・9・22
上海図書館の『日本外史』①
わたしたちが〃物見遊山〃で上海まで行ったのではないということを証明しなくてはならない。
ひょっとして現物が上海図書館にあるのでは。万に一つの望みを託して担当者に訊いてみたところ、な、なんと担当者のパソコンで『日本外史』がヒットしたではないか。
期待に胸をふくらませながら、カウンターの前で、『日本外史』が出てくるのを待つこと20分。さて結果はいかに…。
上海にも「漬物」があるのかしらん、と独り言をつぶやくと…
2016・9・20
「漬物」のなぞ
上海の街を歩いていると、至るところで見かける「漬物」の文字。
隣から進藤多万さんが「あれはね、〃請勿〃と書いてあるのよ」耳打ちされた。「勿らんことを請う」つまり禁止の意味。もちろんその後は爆笑。
中秋節とは陰暦8月15日、名月を賞する中国四大伝統祭りの一つ。月餅を食べ、果物を月に供える。
今回の上海旅行の目的はグルメとショッピングなのか?
2016・9・17
上海は中秋節
9月15日は中秋節。中国では国民の祝日にあたり、17日まで3連休。あいにくの天気ながら、街中は多くの人でにぎわっている。
と、そこで爆買いしている石村良子代表に遭遇。
ここからは夜の部
夜の部も精進料理。
2016・9・16
上海おいしいもの
上海のおいしいものをご紹介。
以上「上海グルメツアー」リポートでした(笑)
向かったのは「上海」
地下鉄を乗り継ぎ、観光地として有名な豫園方面に向かう。…と、ここで見慣れた二人が登場。
写真には写っていないが、長蛇の列に並び、「蟹まん」のような名物饅頭を購入。その場でパクつく。
気がつけば日は暮れ、いかにも上海らしい夜景がひろがる。
って、ただの上海観光にしか見えないけど(笑)
つづく
2016・9・15
「頼山陽ネットワーク」上海へ
「頼山陽ネットワーク」がついに海外に進出?
せっかくなので、地下鉄に乗ってみる。
さらに、有名な「湖心亭」の二階にあがって一休み。