見延典子が書いています。

2018・11・14

日田往還(小国街道、九住街道

 

竹田市での見学を終え、頼山陽が辿ったであろう道を想像しつつ、次なる訪問地の日田を目指す。

進藤多万さん(左)と案内人の近砂敦さん
進藤多万さん(左)と案内人の近砂敦さん

阿蘇の裾野に広がる九住高原を、中津のオッサンこと近砂敦さんの運転で北へ進む。山陽はてくてく歩いたが、われら3人組は車窓に流れる風景を楽しみつつ、お喋りの花を咲かす。道路が整備されているが、当時の街道跡が残る場所あるという。


着いたのは「阿蘇くじゅう国立公園瀬の本高原」で、案内板には「熊本県」とある。頼山陽や田能村竹田もこの街道を通ったとあり、近くの温泉で旅の疲れを癒したらしい。時間があれば入りたかった。残念。


わずかに残る松並木
わずかに残る松並木
街道跡を指し示す
街道跡を指し示す

落ち葉が幾層にもつもり、歩みを進めるたびにずぼずぼ埋まる感じ。中津のオッサンによれば、近代、そこを歩く兵士に姿を外から見えなくするため、深く掘ったという。しかしながらこの道を頼山陽が通ったであろうことは間違いなく、心が躍る。中津市から竹田市まで、一日案内し、解説してくださった近砂さん、ありがとうございました。

 

 

 

瀬の本松並木の側には街道の名残があり、せっかくなので歩いてみる。

かつての街道には落ち葉が降り積もり、今では歩く人もいない。このような道が3、40メールにわたって残っている。


山門前には水路があり、静かに水が流れている。

3枚の写真は「満徳寺」本堂
3枚の写真は「満徳寺」本堂

遅い昼食は竹田のソウルフードという「ちゃんぽん」。手打ち麺を使用し、たびたびテレビの旅番組で紹介されているという。600円也。

2018・11・13

旧竹田荘④

 

同じく竹田市内にある雲華上人の生まれた満徳寺へ。

満徳寺は写真では小さく見えるかもしれないが、なかなか風格がある。

竹田市内の老舗和菓子屋では「竹田荘」という干菓子を売っている(写真左)

「ちゃんぽん」がソウルフードとは長崎と交流があったのか。後世広がったのか、聞きそびれるが、たぶん後者ではなかろうか。
「ちゃんぽん」がソウルフードとは長崎と交流があったのか。後世広がったのか、聞きそびれるが、たぶん後者ではなかろうか。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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