見延典子が書いています。

2019・2・18 上京願を許される

 

頼山陽が、案外、早い段階で母を京都に誘ったのではないかと思うのは、2月17日に「上京願を許される」(『頼山陽全伝』)からだ。

 

当時は現在のように、自由に旅行できたわけではない。自国(この場合広島藩)を出る際には届が必要であった。

 

とかくお役人仕事は時間がかかるというイメージがある。それを踏まえて山陽の誘いが早かったのではないかと想像したのである。

 

山陽が書いたのだったか、この場合だったのかは忘れたが「年老いた女性であれば、届は不要ではないか」という内容の書状を読んだ記憶がある。だがそれでは脱藩となり、山陽の二の舞である。春水の未亡人として、世間に対して示しのつかない真似はできなかった。

 

2019・2・6

頼山陽、母を京へ誘う

 

九州遊歴を終えた頼山陽は広島の実家で草鞋を脱いだ。旅の土産話を語って倦まなかっただろう。山陽がどの段階で母梅颸(ばいし)を自分が暮らす京に誘ったのか、わからない。あるいは旅の途中から、書状に書いていたのかもしれない。おそらく大坂の両親の墓参をしよう、という言葉に反応したのではないか。大坂で生まれ、育った梅は、すでに30数年故郷に帰ってはいなかった。

 

   見延典子
   見延典子

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

『汚名』(本分社)

 

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