見延典子が書いています。
2023・3・30
3年ぶりの頼山陽文徳殿
3年ぶりに頼山陽文徳殿(広島市南区)を訪れる。
車の上に行かれているのは、3月29日付けの日本経済新聞。階段にも配達された新聞が、ご覧のように積み上げられている(右の写真)
近くには「比治山公園『平和の丘』」「比治山公園を整備しています」「1億4700万」の看板。
頼山陽文徳殿こそ、真っ先に整備すべき場所のように思うが、いかがであろうか。
驚いたことに、出入り口を塞ぐように置かれた車は3年前と同じ状態で駐車されたまま。
いやはや、これが広島市所有の施設とは。車の所有者、新聞配達を依頼している者に、なぜ物申すことができないのか、不思議でならない。
もう一度書くが、頼山陽文徳殿前に、歩道に飛び出し、階段の上り下りを妨げ、かくも長期間駐車している車を、徒歩30秒のところにある「広島東警察署比治山交番」がなぜ取り締まらないのか、不思議でならない。一般市民には理解しがたい特例でもあるのだろうか。
左の写真もひろしまフォト歩きさんのブログからお借りしました。
2020・3・13
広島陸軍被服支廠⑤
広島陸軍被服支廠をめぐっては一昨日(3月11日)の参院本会議でも、広島選出の野党議員がその保存、活用について質問した。これに対して安倍首相は1月の衆院本会議と同じく「唯一の戦争被爆国として、世代や国境を越えて被爆の実相を継承する務めがある」と述べ、国として対応する考えを示した。
広島陸軍被服支廠というと、戦前の軍事利用を想起するが、保存、活用策の議論になると、被爆建物として論じられる。ある与党の国会議員が視察後のテレビの取材に「被爆関連の予算は1400億円ある」と語った。保存、活用には資金がいるのはわかるが、こういう発言を聞くと、問題の本質がすり替えられてしまっているような感じを受けるのだ。
広島陸軍被服支廠(広島市南区)の東側を走っていたJR宇品線(日清戦争の際軍用鉄道として敷設された)は1972年(昭和47)に廃線となった。現在、徒歩10分ほどの場所に線路や踏切の一部が保存されているが、説明板はなく、訪れる人もほとんどいない。