写真 / 4月7日旅猿ツアー(頼山陽ネットワーク主催)文徳殿の内部見学会で。

左は頼山陽ネットワーク顧問頼一先生

2019・4・19

中国新聞に「頼山陽文徳殿」記事

 

4月7日付中国新聞(文化欄)に旅猿ツア一に同行した城戸良彰記者による記事が掲載された。戦前、頼山陽は国家的に顕彰された。頼山陽文徳殿はその様子を今に伝える数少ない史跡である。謹んでご紹介する。


2019・4・1 
2019・4・1 

2019・4・5

頼山陽は

   なぜ元号を用いなかったのか

 

新しい元号が「令和」になった。

 

だが頼山陽(その周辺の人々も含め)の書や書状類の中で、署名の前に元号が記されているものがあった


だろうか。思い出されるのは十干十二支(辛亥とか庚午など)ばかりである。

 

頼山陽はなぜ元号を用いなかったのか。十干十二支を用いるのが当時の通例といえばそれまでだが、山陽を絶対的天皇主義者の範疇におさめようとするのであれば、元号が出てきたとしてもおかしくはない。このあたりを切り口に考えれば、新たな観点で山陽を見直せるかもしれない。

 

「大化の改新」という言葉はいつ、誰が作ったのだろう。「保元の乱」「平治の乱」はじめ元号が冠された歴史上の言葉は少なくないが、当時から使われていたのだろうか。

 

今回の元号決定プロセスの国民的な盛りあがりを眺めつつ、元号についてここまで国民の関心を集めたのは、日本史上初めてだろうと思った。若い世代の反応から、ネット社会の浸透と無縁でない。

       

 

2019・4・4 「知られざる頼山陽文徳殿」配信

 

会員の皆様には見延典子が書いた「知られざる文徳殿」を配信しました。

何卒ご高覧下さいますようよろしくお願い申し上げます。

 

20194・3

ひろしまフォト歩きさん

        「文徳殿の桜」

 

ひろしまフォト歩きさん が「文徳殿の桜」をUPされているのでご紹介します。

最近、流行の言葉でいえば「平成最後の桜」でしょうか。

ひろしまフォト歩きさんは「桜は建物によく似合いますが、全体的にもう少し手入れが行き届いているとありがたいのですが」と書かれています。同感です。


2019・3・28

戦前の「頼山陽文徳殿」の写真➁

 

『ふるさとの戦争』』(1995青暢木之、畑矢健治、農村漁村文化協会)に掲載されている「頼山陽文徳殿」の写真は、残念ながら1枚しかない。ほかに猿猴橋(JR広島駅南口すぐ)を渡る写真がある。正直、軍隊の行進のように見えなくもないが…

 昭和15年ころの猿猴橋(広島市)
 昭和15年ころの猿猴橋(広島市)

 

… 山陽中のバスケットボールが全国優勝した際のパレードの様子という。彼らはゲームのときは英語で言葉かけをしていたという。英語が敵性語になるのは昭和16年の日米開戦以降だろう。そして少年たちは二重国籍故に、どちらの国からもスパイ容疑をかけられ、終戦後も過酷な人生を歩むことになる。日本では自室に御真影を掲げた途端、疑われなくなったというエピソードが印象的

 


写真に写る少年たちは、日系二世。両親は広島からハワイへ移民し、勉学のため故郷広島の山陽中学(現在の山陽高校)に入学した。

本のタイトルから考えて、戦争絡みの話かと思いきや、彼らは山陽中を全国優勝させたバスケットボールの選手たちなのだという。

2019・3・27

戦前の「頼山陽文徳殿」の写真①

 

図書館でたまたま手にした『ふるさとの戦争』(1995青暢木之、畑矢健治、農村漁村文化協会)に思いがけず戦前の「頼山陽文徳殿」の写真が掲載されていた。謹んで掲載する。

上の写真は昭和15年ころにとられたようだ。前列の2人の座り方、後列左端の少年の立ち方はアメリカナイズされている。この時代の日本の少年なら絶対にしないであろうポーズをとっている。しかも手足が長く、身長も高そうだ。


彼らは英語、日本が読み書きできるいわゆるバイリンガルであったが「漢文が苦手」と書かれている。

ただ、なぜ「頼山陽文徳殿」を訪ねたかについては触れられていない。また写真の石段は現在と若干異なるようだ。戦後、道路の拡張に伴い、変更したという話を聞いたことがある。

                         続きます

 

 

この頃すでにカラーコピー?!
この頃すでにカラーコピー?!

ご兄弟が収集しているビラだそうで、いつ、どこで、どのように入手したかは不明。勝てるはずのない戦争の早期終結を呼びかけている。

2018・12・12

敗戦直前、アメリカ軍からのビラ

 

「日本外史を読む会」(頼山陽資料館)で一緒に学ぶ会員の方から「敗戦直前、アメリカ軍が空から撒いたビラ」のコピーを見せていただく。


昭和34、5年ころ、札幌市郊外で成長した私もヘリコプター(たぶん)がビラをまいていたのを記憶している。どこかの団体のプロパガンダか、商店の宣伝チラシだったか憶えていないけれど、空から雪以外のものが降ってくるのは、なぜか楽しかった。以降、ヘリコプターを見ると「ビラまけ〜」と空に向かって叫んでいた。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

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『もう頬づえはつか  ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

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 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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