見延典子が執筆しています。

①楠公飯 ご飯を水で膨らまして炊く。戦前、楠木正成はもてはやされたのはこういう形で広まったのか。

➁大政翼賛会 「山陽文徳殿翼賛会という会」も作られた。「翼賛」という言葉は補佐するという意味。

②JOFK NHKラジオ第二放送のこと。玉音放送はNHKラジオ第一放送で放映された。

 

2018・7・1

印象に残る言葉

 

先日、誘われて「この世界の片隅に」という反戦アニメを見た。

昭和8年から終戦直後まで描かれ、山陽文徳殿が建てられた時期と重なる。映画に出てくる言葉で、印象に残るものが3つあった。

 

楠公飯を食べる一場面
楠公飯を食べる一場面

 「山陽文徳殿の建設由来」    頼山陽記念文化財団蔵
 「山陽文徳殿の建設由来」    頼山陽記念文化財団蔵

2018・6・28

山陽文徳殿の建設由来

 

すでにご紹介の「山陽文徳殿建設ノ経過及概要」には、当時文徳殿の後方の土地が多聞院の所有であったことや、管理人を置いた経緯など興味深いことが書かれている。

 

山陽文徳殿の建設については「山陽文徳殿の建設由来」という資料も残されている(写真左)


「山陽文徳殿用紙」と印刷された用紙を用い、山陽文徳殿が元真言宗安養院歓喜寺の跡に建てられたのは、近くに頼家之墓所があるからということが明記されている。こちらも筆者については不明である。

 

「山陽文徳殿建設ノ経過及概要」と「山陽文徳殿の建設由来」はこれまで注目されたことはなく、目を通した人は限られているだろう。

 

戦前の頼山陽の評価に関連して貴重な記述もあり、なんとか一冊にまとめたいと、現在、鋭意執筆中である。

 

 

山陽文徳殿につながる石段
山陽文徳殿につながる石段

2018・6・27

山陽文徳殿の設計者は小田能清氏

 

昨日、紹介した内容はすでにインターネット上で紹介されている事柄だが、「山陽文徳殿建設ノ経過及概要」に書かれているのは当然ながらもっと踏み込んだ内容である。

 

たとえば、山陽文徳殿の設計者の名前が具体的に出てくる。


広島市役所営繕課長心得の小田能清なる人物で、「小田能清氏」「小田能清技師」として登場する。「心得」というのは代理の意味で、その後、前の営繕課長が市疑獄に連座して退職するという出来事があり、「小田能清氏」は営繕課長のポストに就くことになる。

 

広島市役所には現在も営繕部営繕課があり、市有施設の建築、改修工事などを担当する。

 

余談ながら、最近は会う人(広島市民)に「山陽文徳殿ってご存知ですか」と尋ねているが、「知りません」という答えの多さに愕然とする。

 

 

2018・6・26

久しぶりに山陽文徳殿を考える

 

タイトルは「久しぶりに頼山陽文徳殿を考える」ではあるが、実際は今年に入ってからも、ずっと山陽文徳殿について考えている。

 

「山陽文徳殿建設ノ経過及概要」頼山陽記念文化財団蔵
「山陽文徳殿建設ノ経過及概要」頼山陽記念文化財団蔵

山陽文徳殿を理解するうえで、願ってもいないような資料が公益法人頼山陽記念文化財団に保管されていることを知り、閲覧に行ったのは今年の3月半ばであった。

 

「山陽文徳殿建設ノ経過及概要」(写真左)は中央に「廣島市」と書かれた原稿用紙を用い、片側を1ページとするなら、全16ページにわたり、山陽文徳殿が建てられた経緯について書かれている。


 

山陽文徳殿は昭和4年(1929)、広島市主催で産業博覧会が行われ、昭和6年は頼山陽の没後百年にあたることから、頼山陽の「廟」を作ろうという声があがり、昭和9年着工し、竣工。

 

「山陽文徳殿建設ノ経過及概要」は署名がないため誰が書いたかは不明であるが、読んでいるうちに山陽文徳殿の建設に関わったであろう、当時の広島市社会課の嘱託職員ということがわかってくる。

 

時代を映して漢字とカタカナによる文章ではあるが、楷書で書かれ、しかもなかなかユーモアもあり、公文書とは異なる趣がある。

 

 

   見延典子
   見延典子

 

見延典子著

明治維新から150年

紀行エッセイ

 『私のルーツ

 通信販売「限定」  

    発売中!! 

 

『汚名』(本分社)

 

 近砂敦著『耶馬渓』

 見延典子の書下ろし

 小説『獲物』を収録

 ※詳細はこちら

 

οο 会員募集 οο

 

「頼山陽ネットワーク」の会員になりませんか? 会費は無料。特典があります。

 

 詳しくはこちら