見延典子が書いています。

文政2年(1819)頼山陽(40歳)母梅(ばいし,60歳)は

                広島から大阪、京都へ旅します。

 葵祭の一場面 ネットより
 葵祭の一場面 ネットより

2019・4・25 

買物三昧

 

4月19日 山陽の講釈日。大含僧(雲華上人)来る

 

4月20日 楼(山紫水明処)にて酒宴。


4月21日 御陰祭を見に行かんとするが終日雨でとりやめ。

 

4月22日 皆で買物に出る。

 

4月23日 歌人の香川景樹来る。買物。

 

4月24日 葵祭(旧暦4月中の酉の日に行われる)見物、下加茂神社。

 

4月25日 買物。

 

2019・4・17 

風邪気味で、一休み

 

4月13日 外出せず。銀細工の簪(かんざし)をあつらえる。

 

4月14日 雨のち曇り、虹たつ。木屋町の宿二階で酒盛り。

参考 上木屋町の納涼川床 ネットより

一行は木屋町の宿を拠点に京都観光を楽しむ。木屋町通は高瀬川の東側。

4月15日 梅颸は風邪気味。小石からの薬を服用。広島、江戸へ返書

 

4月16日 同じく風邪気味

 

4月17日 快気。夕方、階下にて酒。肴にスッポンを買う。


4月18日 等持寺の開帳へ。福井榕亭(禁裏御医丹波守)に診察を乞う

 

當麻寺(奈良県)ネットより
當麻寺(奈良県)ネットより

4月6日 河内路を大坂に入り、四天王寺から道頓堀へ出て、日本橋宿

 

4月7日 芝居を見て、夜船で京都に戻る。

2019・4・12 吉野から大坂、京へ戻る

 

4月4日 雨の中一目千本桜を見る

 

4月5日 當麻寺参詣 法隆寺から龍田へ回り、河内越の十三峠の宿泊

大和路は菜の花の盛り。

南禅寺 ネットより
南禅寺 ネットより

4月8日 伏見から竹田街道を本願寺、因幡薬師へ回り、木屋町に帰る。

 

4月9日 三文字やで休憩。聖護院の森、南禅寺で遅桜に日を暮らす。

 

4月10日 山陽夫妻と清水寺へ。舞台下の茶屋で一酌。

 

4月11日 東山永観寺より真如寺に入り、摘み草に興ず

 

4月12日 山陽と小石家を訪ね、夜は金山重左衛門宅へ。御所拝見。

 

吉野の「さこや」
吉野の「さこや」

 

3月28日 吉野へ向け出立

      (豊後橋の宿泊)

3月29日 巨椋(おぐら)池を舟

      で渡り、玉水で昼食。

      奈良に入り、三笠山、

      春日の社(猿沢池の宿

      泊)この月小

4月1日  奈良を発ち、三輪、長

      谷寺(初瀬泊)

4月2日  多武峯(上市泊)

4月3日  六田の渡しを吉野に

      のぼる(さこ屋泊)    

      残念ながら桜は遅し

 

2019・4・3 吉野の桜

 

と山陽母子は京都の木屋町の水楼を拠点に外出を続ける。

 

3月26日 渡月橋から法輪寺見物

      大堰(おおい)河に舟

      を浮かべる。

3月27日 北野天満宮 

      平野の夜桜見物

2013年4月 吉野の桜
2013年4月 吉野の桜

嵐山、渡月橋
嵐山、渡月橋

2019・3・25 

嵐山、渡月橋へ

 

京都に着いても、梅と山陽母子の外出は連日続く。

3月21日、東寺の花供養、島原で「太夫の道中」、壬生の牛祭を見物した後、島原に戻り、三文字屋へ。


「太夫のうはかり(上借)とやらんいふことしてみる。十人許り出る。気高く、えんにみゆる。げいこ・舞子・仲居二三人出で、とりもつ」

 

3月22日 双林寺の月峯催しの武内長喜庵書画展観席へ

 

3月24日 嵐山へ、三軒屋の雪亭泊

 

3月25日 日の出前、渡月橋周辺散策。

      あらし山花になれたる鶯の声のにほひは世に似ざり鳬

      あり明の月影うすく成るまゝにしろく成行山ざくら花

 

 

三十石船 ネットより
三十石船 ネットより

2019・3・20

一行、京都に向かう

 

大坂に滞在していた梅一行は、3月18日、真塾の塾生今井良五の案内で、淀川の昼舟(三十石船)に乗って京都に向かう。橋本で下船、男山八幡宮参拝後宿に泊。

 


3月19日、伏見稲荷宮近くの茶屋で山陽と落ち合い、木屋町の水楼(川屋敷)で山陽の後妻の梨影と初対面する。

 

颸は「高どのにのぼりてみれば、ひがし山、一めに見へ、ひゑ(比叡)の山もみゆ。夜はふし待月いでゝ。かも川にうつり、水の音おかしく、千鳥しばしば(原文繰り返しの表記〈」と書く。

 

3月20日 梅、山陽母子は祇園の杜から丸山を通り抜け、彼岸桜を愛でつつ日暮れまで酌み交わす。梨影も加わり、双林寺に月峰を訪ねるが、不在であった。

 

2019・3・15 連日の外出

 

大坂に帰り、梅の心は浮かれている。連日の外出である。

 

3月13日の日記には「側芝居」のほか「かぶき」「角力」「此大芝居」などが見える。

かつて「砂場」があった地 ネットより
かつて「砂場」があった地 ネットより

3月14日 梅、映雪は宿に、同行の小園(春風の婿)は篠崎小竹邸に泊まっている。おそらく塾で学ぶことがあったのだろう。

 

3月15日、天王寺、砂場とめぐる。

 

「砂場」の写真をインターネットでみつける。「スタバ」ではありません(笑)「麺類発祥の地」として知られていたようだ。ただ、残念ながら日記には麺類(特に鴨なんばん?)を食べたという記述はない。

 

一方、母の梅は引き続き大坂に留まり、連日、外出する。

 

3月11日 博労(ばくろう)町の稲荷宮(浪速神社)から里方の氏神座摩宮(座摩神社)及び御霊宮(御霊神社)参拝。越智の家から稲荷宮境内で人形浄瑠璃(文楽)鑑賞。

城役人長谷川邸に泊。

座摩神社 ネットより
座摩神社 ネットより
難波神社 ネットより
難波神社 ネットより

3月12日、道頓堀若太夫芝居見物

 

3月13日 堀江市ノ側芝居見物

 

山陽が京都で迎え入れの準備をしている間、連日、芝居見物を楽しんでいる。60歳。元気である。

 

2019・3・12

頼山陽は帰京、梅は芝居見物

 

3月11日 母を伴い、大坂に入った頼山陽は一足先に帰京し、母を迎える準備をする。山陽が京都の土を踏むのは、昨年正月九州に向けて発程して以来330日目であった。

現在の浪速神社 2019・2・11
現在の浪速神社 2019・2・11
御霊神社 ネットより
御霊神社 ネットより

「稲荷宮」とは博労町稲荷宮(難波神社摂社)のこと。植村文楽軒が大坂高津橋南詰西側の浜辺で、浄瑠璃の稽古場を開き、文化2年頃(1805)人形浄瑠璃の小屋を設けた、文楽座の始まりとされる。

稲荷社文楽座跡 ネット
稲荷社文楽座跡 ネット

2019・3・9 両親の墓参

 

大坂(大阪)は梅の故郷である。26歳の時、幼かった山陽と父の病気見舞いのため実家を訪ねて以来、34年ぶりの帰郷であった。

飯岡義斎と妻柔の墓(大阪小橋町龍淵寺)
飯岡義斎と妻柔の墓(大阪小橋町龍淵寺)

見慣れた風景、すっかり変わってしまった風景、何を見ても感嘆する梅の姿が思い浮かぶ。

 

3月8日 日記には「みやげものゝ事など、いとなむ」とあり、早くも土

     産を何にしようか考えている。

 

3月9日 実家の篠田家(飯岡家)を訪ね、父義斎の神主を拝む。

     その後、親戚一同で膳を囲む。

 

3月10日 小橋町龍淵寺で両親の墓参。どのような思いが溢れたか。

      天王寺に寄り、梅颸と映雪は中井家、小園は篠崎家に泊。

      山陽は京都に向かい、一行の受け入れ準備をする。

 

武庫川 髭の渡し(尼崎市)ネットより
武庫川 髭の渡し(尼崎市)ネットより

2019・3・7 

浪速に着く

 

3月6日 西宮泊

暮かゝる雨にやどりを急ぎつゝ

 いくたの宮はぬさもとりあへず

 

3月7日 浪華(浪花)泊

 


2月23日、広島城下を出立した梅一行は、雨にあいながらも西国街道を進み、14日目に大阪に着く。新幹線山陽新幹線「新大阪~広島」の営業キロは約310キロ。単純に計算して1日22キロ移動している。ただ、当時の道のりは高低差があり、この数字よりははるかに多いだろう。

 

3月4日、片島宿から加古川に向かった際の梅日記には「姫路まで(駕籠)にのる。道9里ばかり。映雪、4里ばかりありき(歩き)、尚平(小園)、3里余ありく(歩く)」とある。 ※1里は約4キロ

梅は概ね駕籠で移動しているが、梅より若いと思われる女性の映雪は16キロ歩いている。これがほぼ連日続いたことになる。

 

頼山陽の「侍輿の歌」はこうした旅の道中から生まれた。

 

頼山陽「侍輿の歌」

 

輿行けば 吾も亦行き

輿止まれば 吾も亦止まる

輿中道上 語って輟まず

歴指す 某山と某水と

時有って俯して理む 襪結の解くるを

母兒を呼んで前ましむれば 兒曰く唯と

山陽一路 十たび往還

郷に省れば毎に計る 瞬息の裡

二毛輿に侍して 敢えて勞を言わんや

山驛水亭 皆郷里

兒に於ては熟路なるも 母には生路

雙眸常に嚮こう 母の視る所に

 

2019・3・5 

加古川宿、淡路島を眺める

 

3月4日、日の出とともにかたしま(片島)の宿を発つ。

 

の旅日記には「小泉の山川の渡しをわたる。又あそ川をわたり、鵤(斑鳩)にいかふ」とあり、「青山


川」「あらい川」「曽根の松・石の宝殿」などと出てくる。加古川の中谷環翠の世話で良き宿が取れた。

 

3月5日  加古川の脇本陣の宿を出る

かこ川を朝たち行ば春がすみかすみてみゆるあわぢ島かな

 

吉備津神社 ネットより
吉備津神社 ネットより

2019・3・2

岡山に入る

 

山陽に導かれ、梅一行の旅は順調に続いている。途中、雨にもあうが、これも旅情と楽しみつつ、歌を詠みつづける。


2月28日    神辺着。梅が茶山の居宅や廉塾を訪ねるのは初め

         て。茶山の妻宣とも初対面。

 茶山に贈った歌

   春草のごとむつびにし名残とてめぐみの露の猶かヽりける

 

2月30日(陰暦)矢掛泊

   春雨のふり出しぬれば日だかにもやかけのさとにやどり取ける

 

3月1日     板倉泊

   雨になやむ旅の疲れも忘れけり君がなさけを酌みかはしつヽ

 

3月2日、3日  吉備津神社参拝、岡山に入る

   朝たちてかへりみすればかたなみの入うみ遠く見ぇわたるかな

 

 

現在の千光寺山からの眺望
現在の千光寺山からの眺望

ただ、山陽が同行者として歌仲間の映雪を誘っているように、この旅で梅には思う存分和歌を詠んでもらおうという狙いがあった。

2月24日竹原。梅が春風館を訪ねるのは初めてではないにしろ、おそらく新婚の頃以来、30数年ぶりであったろう。

2019・2・28 尾道の千光寺山にのぼる

 

今回の梅の旅は「襄(山陽)がつくし(筑紫)よりかえりて、いざたまへ、嵐山の花みせ奉らん」とあるように、究極の目的は「嵐山での花見」である。


ここで春風の婿養子小園が一行に加わり、26日、夜うしの頃(夜中2時)船で尾道へ。27日5つ半(朝9時に着き、千光寺山にのぼり、瀬戸の眺望を楽しみ、浄土寺、西園寺に参詣。宿に橋本竹下、医師の北村順泰らが来て、酒事、書画をみる。

 

現在の猿猴橋
現在の猿猴橋

2019・2・26

   京都に向け、広島出立

 

息子の山陽(40歳)に誘われ、母の梅颸(60歳)が京都に向けて広島を出立したのは文政2年(1819)2月23日である。


同伴者は山陽の他に歌仲間の映雪(女性)。山陽の子で広島藩儒の聿庵(19歳)や親戚、知人らが猿猴橋、岩鼻まで見送る。

 

は26歳で故郷の大坂に父の病気見舞いで帰ったあと、広島藩域を出るのは34年ぶりである。武士の妻はかくも行動を縛られていた。それ故に今回の旅は梅にとって心躍るものであったのである。

 

2019・2・18 上京願を許される

 

頼山陽が、案外、早い段階で母を京都に誘ったのではないかと思うのは、2月17日に「上京願を許される」(『頼山陽全伝』)からだ。

 

当時は現在のように、自由に旅行できたわけではない。自国(この場合広島藩)を出る際には届が必要であった。

 

とかくお役人仕事は時間がかかるというイメージがある。それを踏まえて山陽の誘いが早かったのではないかと想像したのである。

 

山陽が書いたのだったか、この場合だったのかは忘れたが「年老いた女性であれば、届は不要ではないか」という内容の書状を読んだ記憶がある。だがそれでは脱藩となり、山陽の二の舞である。春水の未亡人として、世間に対して示しのつかない真似はできなかった。

 

2019・2・6

頼山陽、母を京へ誘う

 

九州遊歴を終えた頼山陽は広島の実家で草鞋を脱いだ。旅の土産話を語って倦まなかっただろう。山陽がどの段階で母梅颸(ばいし)を自分が暮らす京に誘ったのか、わからない。あるいは旅の途中から、書状に書いていたのかもしれない。おそらく大坂の両親の墓参をしよう、という言葉に反応したのではないか。大坂で生まれ、育った梅は、すでに30数年故郷に帰ってはいなかった。

 

ホームページ編集人  見延典子
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