2020・10・19

下村孝夫さん「『頼山陽と戦争国家』は拝読していませんが」

                🔁 頼山陽ネットワーク事務局

 

少し重苦しい話になりますが、よく戦前は持ちあげられ、戦後は貶められたかのように頼山陽の評価の変遷を対比しますが、その両方の当事者が軍部やGHQの名を借りた時の国家の中枢部であったとすれば謎の解けることもある。国家を「国体」と言い換えると更によく分かる。
では、歴史的に見て何故そのようにしなければならなかったのかが問題である。つまり、国家に都合の良い所だけを利用し結果が悪ければ遡り排除するー頼山陽が最も嫌う上に立つ者の責任転嫁に他ならないのではないか。敢えて云えば、その危機にあった「国体」とかやらの護持のために頼山陽を貶めようとしたのだとすれば更に罪深いことではないか。
未だ見延さんの著作「戦争国家」は拝読してませんが、頼山陽と結び付けるとどうしても避けては通れないある問題に突き当たると思いますが、それをどのように描かれたのか非常に気になります。明治の政治家や軍人ならいざ知らず矮小化した昭和の政府や軍部が頼山陽を生噛りするほど太っ腹ではなく単に国民の前に「頼山陽」の正論を貫いた国家論に迎合し思わせ振りな「フィルター」を掛けたに過ぎないのではないかと思う。それでも国民に違和感がなかったのは何故か。相変わらずの明治の戦勝気分を引き摺ったこの国の不幸はここから始まる。
戦争に勝利してこそ国民に応えられる何かがあるとしても国には常に戦争に勝たねばならないとするのは現実的ではない。初めての敗戦の現実を経て戦争責任を取らされた指導者にはある種の評価は出来るが「今に生きる頼山陽」ならその大義に照らしこれで戦争の総括が全て終わったと見るだろうかー。国家の存続と国民の生存権と云う難しい問題ではなく頼山陽はより上に立つ者の潔い責任の取り方を犠牲を強いられた国民の側から糾弾したに違いない。それが「親と子」、「国家と国民」であっても常に上に立つ者により厳しく自省と覚悟を求める。つまり、子より孝を受けた親の徳や国民の忠義に応える国家の責任を強く求めたかも知れない。

下村孝夫さんへ

 

ぜひ見延典子著『頼山陽と戦争国家』をご高覧ください。抱かれている疑問の一端は解決いただけるかと存じます。(『頼山陽と戦争国家』は本ホームページでも取り扱っております。会員様特典もございます)

  

   頼山陽ネットワーク事務局

                      


ホームページ編集人  見延典子
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