見延典子が執筆しています。

2019・2・6

新井白石『読史余論』

 

頼山陽が歴史書を著す際の、最重要参考文献が新井白石『読史余論』である。『日本外史』は『読史余論』の踏襲で、なんら新しいことは書かれていないという指摘は当時からあり、山陽自身が反論している。


ただ、白石は六代将軍徳川家宣の侍講を務めた人物である。その白石が書いたものを踏襲したとされる『日本外史』が、なぜ「倒幕の書」などと呼ばれるようになったのか、不思議な話ではある。

 

山陽は『平家物語』『太平記』などの文学作品も参考文献とし、日本人が歩んできた歴史を振りかえりつつ、総合的な着地点を求めて著作活動を続けた。若いころは急進的な面もあったが、多くの読書によって、晩年は温厚な思想を形成していった。

 

2018・9・22

野口武彦「江戸の歴史家」

 

1979年に発行された単行本を1993年文庫化したもの。

第2回サントリー学芸・思想・歴史部門受賞作(1980)

頼山陽の著作の中で一般にはほとんど読まれていない『通義』から山陽の思想とは何かを探る。

ちくま学芸文庫1100円
ちくま学芸文庫1100円

そこから導かれる結論は「頼山陽は勤皇家ではない」というもの。理由については本書をお読みください。山陽が政治イデオローグでなかったという主張は昭和50年代には萌していた。ただ、その後、野口武彦が山陽についてあまり書かなくなったのは、野口武彦自身が大衆化したことと無縁ではないだろう。山陽を思想家ととらえてしまうと、限界があり、魅力があるとはいえない。野口はそこに気づいたのである。

 

「広島の志士」「二十歳の炎」は版元、表紙こそ異なるものの、内容は同じ。

 ご購入の際はご注意のほど。

2018・7・19

穂積健一「広島藩の志士(二十歳の炎)☆☆★★★」

 

戊辰戦争の折り、広島藩で結成された神機隊の隊員だった高間省三を主人公とする歴史小説。省三は「頼山陽二世だった」と繰り返し書かれると知り、読んでみることに。

 

同書によれば、戊辰戦争の時点で広島藩の方向は「頼山陽の史論で統一されていた」というが、あり得ない話だ。その時点で頼山陽は広島藩から見向きもされていない。

 

また同書は、旧広島藩士橋本素助・川合鱗三を編者に明治42年出された「芸藩志」を元に書いたという点が最大の「売り」である。その頃なら広島でも頼山陽の評価は上がっているかもしれない。


明治42年といえば、天皇の権威の強化が進んだ時代である。大逆事件は翌年起こる。同書によれば「芸藩志」はいったん世に出たあと、すぐ禁書になったそうだ。明治天皇が長州藩に下した倒幕の密勅が偽物という記述があるというから、当然の措置であろう。

 

いずれにしろ、明治42年という年に、旧広島藩士が書いた「芸藩志」の内容を100%事実と信じ込んで書いているところに、同書の無理と限界がある。

 

ただ、読みながら、ある確信が生まれた。頼山陽の尊王論は「佐幕派の尊王論」である、と。頼山陽が生きていたら、会津藩の味方をしていたろう、と。この考えを授けてくれたので☆二つとしておこう。

 

 

   見延典子
   見延典子

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

『汚名』(本分社)

 

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