見延和靖選手の先祖と、見延典子の先祖は、現在の福井県越前市にある同じ集落で暮らしていた一族であることがわかりました。

皆様もいっしょに見延和靖選手を応援してください。

 

 こちらもご覧ください。

見延和靖選手を応援① 見延和靖選手を応援② 見延和靖選手を応援③

 

合宿先の日田市で
合宿先の日田市で

2017・9・17

オフィシャルFB開始

 

見延和靖選手がオフィシャルFaceBookを開始。東京オリンピックを目標に練習に励む日々のようです。

 

見延和靖選手のオフィシャルFB

 


2017・7・28 アスリート委員に当選

 

世界選手権では残念ながら初戦敗退した見延和靖選手(30)=ネクサス=だったが、国際フェンシング連盟のアスリート委員会委員選挙に当選したことが26日、明らかになった。任期は4年。アスリート委員は組織運営に選手の意見を生かすことを目的とする。
見延はリオデジャネイロ五輪男子エペで6位に入った。選挙は6枠を21人が争い、世界選手権期間中に選手投票が行われた。

 

 

2017・6・29

見延和靖選手、7月の世界選手権代表メンバーに選出

 

日本フェンシング協会は25日、世界選手権(7月・ライプチヒ=ドイツ)の代表メンバーを発表し、男子エペはリオデジャネイロ五輪で個人6位の見延和靖(ネクサス)ら5人が選ばれた。(日刊スポーツ)

 


2017・6・8 山口県岩国市で合宿中

 

フェンシング・エペの日本代表チームが6月5日、香港でのアジア選手権を前に、岩国市で合宿入りした。市役所ロビーで歓迎セレモニーがあり、岩国工高出身の加納虹輝選手(19)=早大=やリオ五輪個人6位の見延和靖選手(29)=NEXUS=ら男女の選手17人、コーチ3人が福田良彦市長や職員の歓迎を受けた。

選手を代表して見延選手が「フェンシングに理解ある岩国に来て、安心して練習できる」とあいさつ。選手には近くの園児たちから、手作りの金メダルや月桂冠が贈られた。

                      (毎日新聞山口東版より)

 

ジュニアアスリート・安井琥珀くん(中1)に下半身を使って上手に攻撃するための方法を教えた。

リオオリンピックのエペで、日本人としては初めての6位入賞を果たした見延選手は、後に続く子どもたちにとってあこがれの存在。

   写真はすべて同番組HPより

 

 

2017・5・21 BS朝日

「アスリートインフェニティ」出演

 

5月19日(金)に放送のBS朝日「アスリートインフェニティ」に

見延和靖選手が出演した。

また朝ごはんが大切なことも伝授。


抱き合う見延選手(中央、背中側)
抱き合う見延選手(中央、背中側)
見延選手(中央)
見延選手(中央)
左から2番目が見延選手
左から2番目が見延選手

2017・5・16 

男子エペW杯 

男子団体で初のメダル 歓喜の写真

 

フェンシング男子エペW杯で、初の銅メダルを獲得した喜びの場面を紹介しよう。写真はすべて日本フェンシング協会ホームページ、同フェイスブックからの転載。

歓喜の見延選手
歓喜の見延選手
赤いユニフォーム右から4番目が見延選手
赤いユニフォーム右から4番目が見延選手

  おめでとうございます!

 


2017・5・16 男子エペW杯 男子団体で初のメダル

 

フェンシング男子エペのワールドカップ(W杯)は14日、パリで団体が行われ、見延和靖(ネクサス)宇山賢(三菱電機)伊藤心、山田優(ともに自衛隊)の日本が3位となった。日本協会によると、男子エペW杯の団体で日本が表彰台に立つのは初めて。

 

リオデジャネイロ五輪男子エペ個人6位の見延は協会を通じ「チーム一丸となり、全員で勝ち取った価値あるメダル。東京五輪では確実に金メダルを取れるよう、さらなるチームづくりをしていきたい」とコメントした。

                            〔共同〕

 

 男子エペ準優勝トロフィーを 手に喜ぶ見延和靖(左)
 男子エペ準優勝トロフィーを 手に喜ぶ見延和靖(左)

2017・3・29

見延和靖選手が準V、

       世界ランク5位に

 

26日、フェンシング男女エペの国際グランプリ大会がハンガリー・ブダペストで行われ、男子でリオデジャネイロ五輪6位の見延和靖選手(個人エペ)が準優勝した。


見延和靖選手の男子エペの世界ランキングは今大会の成績が反映され、自己最高、日本人最高の5位に浮上した。

                 (記事、写真とも福井新聞より)

 

 

「ごぼう講」前日、「講人」の食事の支度をする割烹着姿の女性たち。
「ごぼう講」前日、「講人」の食事の支度をする割烹着姿の女性たち。

2017・3・19

見延清左エ門さん

「〃女正月〃について」

 

見延清左衛門さんの考え

「女正月」

 

「ゴボウ講」の行事には、女正月という概念はありません。


「ゴボウ講」の後のご苦労呼びは 奥方を呼ぶという意味ではなく 宿主が講を主催したことで 世話になった人を招待するのであって ここには男女関係ありません。

ご存知かとおもいますが「旧正月」頃に「藪入り」、田植えが済んだ頃に「五月休み」というものがあります。それぞれ、実家に一時帰って静養することを嫁ぎ先の親が認めるとか。

 

見延清左エ門さんへ

いろいろ教えてくださり、ありがとうございます。北陸新幹線が延伸となれば、観光客も増加するでしょう。御地で「ごぼう講」が末永く継承されていくことを願っております。

                        見延典子

 

「ごぼう講」が行われる福井県越前市国中町
「ごぼう講」が行われる福井県越前市国中町

2017・3・18 見延清左エ門さん「〃講〃について」

 

見延典子が3月9日、12日付で書いた記載に関して、見延清左エ門さんから返信が届いた。江戸時代から315年続く「ごぼう講」を振り返り、将来につなげる貴重な提言として、2回に分け、ご紹介する。


 

見延清左エ門さん(福井県越前市国中町在住)の考え

「講」について

 

「奇」であろうが「祭り」であろうが、当地区から正式にコメントした

記憶はありません。マスコミ又は類する関係者が、其々勝手にコメントしているだけであって、「ゴボウ講=惣田正月十七日講」の本質を知らない人々の勉強不足であります。


取材に来られた人には、当地区の住民として正確にお伝えすることが責務と思い、パンフレットをかざしながら説明してきたつもりですが、予備知識もなく、事前の勉強もなくて取材に来られ、各自のペンで記事にしてゆく、その上取材人は毎年代わって来られて報道、記事にしてゆく、時代の変遷ともに本質を見誤っていかないかと危惧しております。


元禄五年、土岐氏が野岡に陣屋を置き、年貢の取り立てが一段と厳しく

なると、百姓は、家族を十二分に食べさせられなくなり、「打ち首」覚悟の訴状を出すようになっていきます。(多数の文献あり)

 

その状況の中で、庄屋を中心にして国中神社の「神田=隠し田」で採れた米を頂くことにし 国中神社の御大神からの賜り品に感謝し、一層の信仰を厚くしてゆくのです。あくまでも年貢米の他の米 日々食べられない米を頂くのが主で、ゴボウ沢庵等は従であります。参考までに、近隣地区に「物相米」とか「食い飯――」とか言って伝わる行事があります。

 

「ゴボウ講=惣田正月十七日講」は神主のお祓い、祝詞の後、国中神社の

御大神に降臨して頂き、神田=御大神の所有から取れた米を頂くことに

感謝申し上げるのです。故に講人は、羽織袴姿の正装で参拝せねばならないし、御大神の前では女人禁制となるのです。神事の後の「直会」もその続きとして 上記の趣旨を引き継いでいきます。「直会」の後のご苦労呼びの姿(先生記載写真)は16日、17日とお世話になった全ての人を招待しご慰労します。(宿主の力量)

 

ただし、現在の姿になったのは、昔の良き時代 S,4849年の角栄総理大臣頃かと思います。以前は、弁当かおにぎりの晩飯で終わったのではないかと思います。私も親から引き継いで顔を並べさせて頂いたのが、S,60年前後ですので その事は伝聞となります。*母親の話では 戦時中のゴボウ等は社務所でのおにぎり23個だったとの事

 

ご指摘の通り、今後も400500年と続けていくには我々の世代を含めて

若い世代の人達に継続してゆくことが重し・苦にならず、反対に励みになる行事になってくれる事を願っているのです。何処でも、「伝統行事、伝統産業」という名の重しに耐えられず、衰退しているのが現状かと思いますが、本質を守りながら次に受け継いでゆくのは至難の事です。

 

以前「国中=北中津山」の住人は、「ゴボウ講」の宿番になると「住居」を立て直すという風評が立ったことがあります。昔も今も、家を建てる事は一生涯の大仕事であります。それだけこの伝統を守るという真剣な気構え、自分の宿番の時には講人も御大神も真新しい心、気持ちで参拝して欲しいという表れでもあります。

 

「ゴボウ講」大変ですねーと言われます。反対に、「ゴボウ講」がある故に「励み」になるんだと言い返します。宿番は講人宅を宿帳に記載してある順に、講人数で廻ってきます。今は4546人ですから4546年に一回となります。4546年後となりますと、自分の代で宿を出来ない人も居られます。出来る人は、その時を考えれば家も古くなり、傷んだ所も増えてきているしm次の若い世代が住みやすい家にしたいと思うと家を建てようかの目標を立てます。その目標に向って日々努力してゆくと、その姿勢が家族の歓び・悲しみを共有し団結の絆が生まれ、成就した後の喜びと達成感は一塩のものがあります。その上見つめてきた講人も努力を讃え、区民の団結に繋がってゆきます。

 

法で保証されている「宗教の自由」に行政が介入するする事は御法度で

あることは承知しております。「ゴボウ講」の趣旨からしても違和感があるのも承知しております。実態は一切の庇護も受けておらずただ単に象徴として参拝しているだけです。当地区、まだ限界集落にはなっていませんが、他地区と同様老人集落でもあります。現若い世代、その次の、またその次の人達にも住み続けられる、住み続けたい集落であり続けるには、光り輝いて自慢出来る集落であらねばなりません。

 

 

 

「ごぼう講」後の様子
「ごぼう講」後の様子

2017・3・1

見延清左エ門さんからの「反論」③

 

見延典子の考え

「女人禁制」について

 

改めて見延清左エ門さんが送ってくださった資料を読んでみたが、どこにも「女人禁制」の記述がない。


どなたかからその言葉を聞いたように記憶するが、定かではない。いったいいつから私はごぼう講が「女人禁制」だと思い込んでしまったのか。

 

資料に共通して書かれているのは「当日の料理は男性が作る」という一点だけである。「穢れ」を忌み嫌う神事であれば、女性の手に触れることは避けるという意味のようにも読める。

 

しかも資料には、ごぼう講が終わったあと、裏方として支えた女性たちがごぼう講での料理より格段に豪華な膳(笑)が振る舞われている写真が掲載されている。

 

ごぼう講の正式名称「惣田正月十七日講」に謎を解く鍵があるような気がする。ごぼう講の陰には〃女正月〃の意味があったのではないか。

 

農家の暮らしは女性たちの働きなしでは成り立たない。せめて農作業の少ない冬の一日だけ、女性たちが心置きなく身体を休ませることができるように、男性は隠し田で収穫した米やごぼう料理をつくるために集まる。もちろんそれだけではつまらないから酒も飲む。飲んで、話したあとは、食べきれない程の事ご飯を持って帰る。家ではお腹を空かせて子どもたちが待っていて、父が持って帰った料理にいっせい飛びつく。かくして男性は家長の務めを果たし、溜飲をさげる…。

 

見延清左衛門さん、いかがでしょうか?

 

 

「ごぼう講」を取材するマスコミ
「ごぼう講」を取材するマスコミ

2017・3・9

見延清左エ門さんからの「反論」②

 

3月8日付で書いたように、「ごぼう講」に関する見延典子の感想が原則論であるのに対して、見延清左衛門さんの「反論」は当事者として率直な見解である。


「原則」とは破られるためにあるのだろうか。「講」と「女人禁制」について考える。

 

見延典子の考え

まず「講」について

 

ごぼう講が「奇祭」として報道されることがある。「この言い方は間違い」と指摘された方がいる。私も同感である。どうしても「奇」を使いたいなら、「奇習」あたりであろうか。

 

「祭り」とは何か。「祭り」は「祀り」「政り」などの書き方がある。「祀り」と書く場合は神事と結びつき、「政り」と書く場合は神事を司る者と結びつく。広島で行われる管弦祭、やっさ祭なども、為政者との結びつきから生まれた。

 

これに対して「講」の基本は相互補助である。まして「ごぼう講」は当時の治世への反発が背景にある。「祭り」が「祀り」だけにとどまらず「政り」と混同して使うことは、「ごぼう講」を本来の趣旨から大きく逸脱させるのはないか、というのが見延典子の主張。

 

しかしながら原則論を振りかざすだけでは、伝統を維持させるのが困難なことは理解できる。昨年、広島で200年ぶりに行われた徳川家康を称える「通り御礼祭」では参加人員を満たすため女性の参加を呼び掛け、草履を履く際には白足袋の着用も認められた。江戸時代のままの祭りの再現など不可能な時代なのだ。

 

というわけで「ごぼう講」への越前市長の招待について、外野からはこれ以上のことはいえないし、いうべきでもないだろう。まず大切なのは「ごぼう講」を継続させていくこと。以前も書いたが、さまざまな知恵を出し合いながら、時代の流れの中で活路を見出されてこられた皆様のご努力には敬意を表します。

 

「女人禁制」については次回。

 

 

見延清左エ門さんからいただいた資料
見延清左エ門さんからいただいた資料

2017・3・8

見延清左エ門さんからの「反論」

 

2月21、22日付「ごぼう講」見学記について、見延清左エ門さん(越前市在住)からの「反論」が届いた。

 

お断りしておくが、私たちはケンカ


をしているわけではない。お互いに気になることがあると、黙っていられないだけである。「見延」の血統であろうか(笑)

 

清左衛門さんは「ごぼう講」の当事者、私は外野という立場の違いこそあれ、313年の伝統をもつ「ごぼう講」が今後も末永く継続してほしいと願う気持ちは同じ。そこで互いの意見を公開し合い、一人でも多くの方に「ごぼう講」に関心をもっていただきたいと思う。

 

まず2月22日付、見延典子の見学記趣旨。

 

1、ごぼう講は女人禁制で、当日の料理はすべて男性がつくるという話であったが、前日、準備が行われているところへ行ってみれば、女性が手伝う姿があった。

 

2、ごぼう講の当日、越前市長にお会いした。越前市長に対してなんの感情も持っていないが、ごぼう講が「重い年貢に耐えかね、国中神社の隠し田で収穫した米を藩主に内緒で食べた」ことが始まりというのであれば、ごぼう講の席に為政者がいるのはふさわしくないのではないか。

 

3、女性市長が誕生したらどうするのか。

 

これに対して、承諾を取った上で、見延清左衛門さんの「反論」の論旨をまとめると、以下の通り。

 

1、ごぼう講の準備をする場所で女性の姿を見かけたとあるのは当然。

ごぼう講前日の講人への食事の支度は女性がすることなっている。但し、ごぼう講当日の食事はすべて男性の手による。

 

2、越前市長は、この地区のコマーシャルになるので、ご招待している。越前市になる以前、今立町時代は町長を招いていたかに記憶している。宣伝の甲斐があり、NHKの全国ニュースや各種メディアで取り上げられ、今回は東京の知人から連絡があった。

 

3、女性市長が誕生したら? その時の判断は若い者に任せたい。

 

                 長くなったので、続きます。

 

 

   見延典子
   見延典子

 

『汚名』(本分社)

 Amazonで販売中

 

祝!日本遺産 認定

 近砂敦著『耶馬渓』

 見延典子の書下ろし

 小説『獲物』を収録

 ※詳細はこちら

 

οο 会員募集 οο

 

「頼山陽ネットワーク」の会員になりませんか? 会費は無料。特典があります。

 

詳しくはこちら