見延典子が、明治期に石川県羽咋郡滝谷から北海道札幌市白石区に

  移住した母方の祖父長濵家のルーツについて書いています。

   北海道に渡った曽祖父が長濵久松。曾祖母がよん。二人の長男が万

  蔵(好博さんの祖父)、次男が久蔵(典子の祖父)です。

   岡本久美子さんは長濵十助(重助)の系列で、札幌に渡ったあと長  

  濵久松と同じ住所に住んでいた。血縁関係については調査中。

2022・11・24 大伯父も読んでいた『日本外史』

 

 すでに紹介したように、大伯父(祖父の兄)長濵本布(認知前は山田本布)は日蓮宗の僧侶であった。明治32(1899)年~33年の15~16歳の頃は日蓮宗の京都松ヶ崎小檀林というところで学んでいた。

 このたび長濵好博さんの申請によって、当時の学科表の写しが届いた。宗学、仏学、修身、読書、作文、習字、算術を学び、読書には『日本外史』と書かれている。大伯父が読んでいた『日本外史』を今、典子も読んでいると思うと、大伯父にますます親しみを感じる。

 日蓮宗一致派では16世紀末に,関東および関西の根本檀林と呼ばれた下総飯高檀林(飯高寺)と京都松ヶ崎檀林(本涌寺)が開かれたが,のち甲斐身延山の西谷檀林(善学院)などの関東の八檀林と鷹峰檀林(常照寺)などの京都六檀林ができた。同宗勝劣派でも上総宮谷(みやさく)檀林(本国寺)などの七檀林を設立した。

日蓮宗、京都松ヶ崎小檀林の学科表 明治30年代か?
日蓮宗、京都松ヶ崎小檀林の学科表 明治30年代か?

2022・11・20

熱が冷めないうちに

 

 父祖の地羽咋市滝谷を訪れてから20日余りになる。熱が冷めないうちに、長濵家のルーツをまとめていく。すべてがわかったわけではないが、現時点で判明したことは書き残していく。私たちの子孫のために。

 

試し刷り
試し刷り

2022・11・14 ルーツを思う心

 

 父祖の地羽咋を訪れたあとも「チーム長濵」としての調査は続いている。好博さんからの情報をもとに調べるうち、「札幌 白石能登滝谷会 渡道100年記念」として、1984年(昭和59)に長濵家、中駄家を中心に57名が集まって、祝いの宴を開いている写真がみつかった。

 一番驚いたのはこのとき、好博さんと典子の母が同じ写真に写っていたことだ。好博さんは20代、母(旧姓長濵)は50代。今年の3月、札幌で会ったときは「初めまして」なんて挨拶していたのに、なんと、なんと、38年前に会っていたのである。(好博さんのお父さんも!)

 それにしても38年前の写真には、祖母や叔父など故人も写っている。ルーツを大切に思う心は、こんなふうにつながっているのである。

 「札幌 白石能登滝谷会 渡道100年記念」1984年(昭和59)2月

 写っている57名全員の個人情報が載っている名簿も伝わっている。これは特筆すべきことであろう。

               ※写真は若干の加工を施しております。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

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感想② 感想③

感想④

南々社
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 原作 見延典子

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