見延典子が、明治期に石川県羽咋郡滝谷から北海道札幌市白石区に

  移住した母方の祖父長濵家ルーツについて書いています。

   北海道に渡った曽祖父が長濵久松。曾祖母がよん。二人の長男が万

  蔵(好博さんの祖父)、次男が久蔵(典子の祖父)です。

   岡本久美子さんは長濵十助(重助)の系列で、札幌に渡ったあと長  

  濵久松と同じ住所に住んでいた。血縁関係については調査中。

2男6女を生み、晩年は石川県に帰った。
2男6女を生み、晩年は石川県に帰った。

2022・9・12  

曾祖母「長濵よん」の肖像写真

 

 長濵よん(1864~1939)は長濵久松の妻で、長濵好博さん、見延典子の曾祖母。長濵家のルーツについて好博さんから多くの情報を得るようになったが、長濵よんの肖像写真を見たのは初めてだ。

 この時代に女性の肖像写真が残っているのは、めずらしいのではないか。裸一貫で北海道に渡ったあと、久松を支え、それなりの資産を形勢したことが想像できる。


 喪服を着ているので、仮に久松(1863-1929)の葬儀の時に写したとすれば、65歳のころの写真になるが、詳細は不明。晩年は、郷里の石川県に帰った。そこには、この夫婦の背負った物語がある。

 幕末に生まれ、明治に石川県から北海道に渡り、大正、昭和と生き抜いた先祖の話を、いずれ完成させたい。

 

2022・9・10 典子が高校時代に住んでいた家

 

 長濱好博さんがなつかしい写真が送ってくれた。私の祖父母 長濱久蔵とカツヱが営んでいた長濱牧場(札幌市白石区本通5丁目)の写真だ。

 手前の道は国道12号線。昭和30年代と思われる。

 2枚目は同じ場所に家を新築したあとのもの。長濱牧場が長沼に移転したあと、高校時代の典子は姉や妹とこの家で暮らしていた。昭和40年代の写真だろうか。2枚とも、札幌公文書館に収蔵されているという。

2022・9・4 木内由晴さん「ルーツが判明!」 ⇔ 見延典子

                  

見延典子様

明治22年(1889)見延典子さんの先祖中山茂三郎一家と札幌郊外の篠路兵村に入植した、私の先祖「木内武治郎」の情報収集を継続していたところ、北海道屯田倶楽部K様から突然朗報が入りました

  篠路兵村 屯田倶楽部HPより


その内容は北海道在住の松永様という方からK様に「木内武治郎」に関する問い合わせがあり、「松永武治郞」が養子縁組をして「木内武治郎」に代わったことで突然「木内姓」が出てきたというものでした。先般北海道の松永様と連絡を取ったところ、親戚であることが確認できました。

 

 木内由晴さんへ

  ルーツがわかり、わがことのように嬉しく思います。

  長年の調査が実を結びましたね。

 

      JR函館本線市白石駅
      JR函館本線市白石駅

 白石駅前のコンコースには名前が刻まれたレンガが敷き詰められている。2011年ころ、駅前の整備が行なわれ、2000円寄附した場合はレンガに名前を刻んでくれるという募集が行なわれた。

2022・8・29

白石駅、ネーム入りレンガ

 

 札幌に帰ったついでに、JR函館本線市白石駅まで足を伸ばす。

 名前が刻されたレンガがびっしり
 名前が刻されたレンガがびっしり

 何度も書くように、曽祖父長濵久松はレンガ工場長だった。母に誘われて応募したが、レンガの数が多くて(数千個?)2度訪ねても、探しだせなかった。3度目の正直で11年ぶりにようやくみつけることができた。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

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感想② 感想③

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南々社
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 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

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 『私のルーツ

 

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