見延典子が、明治期に石川県羽咋郡滝谷から北海道札幌市白石区に
移住した母方の祖父長濵家のルーツについて書いています。
北海道に渡った曽祖父が長濵久松。曾祖母がよん。二人の長男が萬
蔵(好博さんの祖父)、次男が久蔵(典子の祖父)です。
岡本久美子さんは長濵十助(重助)の系列で、札幌に渡ったあと長
濵久松と同じ住所に住んでいた。血縁関係については調査中。
荒木陽子さんは、久松生家の中駄家の子孫。
小樽の弘子さんは大伯母ハル(よんの連れ子)の縁戚の子孫。
2023・12・12
表紙、裏表紙を描く
『私たちのルーツ』の表紙、裏表紙を描いてみた。
表紙の「波」は葛飾北斎を模倣(笑)
荒波をのり越えて、新天地をめざす先祖をイメージしつつ描く。
まだ校正(チエック)が残っている。どうか、大きな間違いをしていませんように、と祈るような気持ちだ。何せ、厚さが『頼山陽史跡詩碑めぐり』を越える250ページもあるのだ。表紙用の絵も描くが、思いが強すぎて、ごちゃごちゃになり、あらためてもう一枚描くことに。ゴールはまだ先だ。
2023・11・29
1冊に綴じてみた
『私たちのルーツ』の両面プリントしたものを、自分の製本機で1冊に綴じてみた。
2023・11・22 記憶の中の「白石」
『私たちのルーツ』に載せるための、1960年代の自宅周辺の地図を書いてみた。下はその一部。「札幌市白石区本通5丁目南」周辺で、現在は住宅街に変貌している。
多くの資料を入れるうちに、当初の予想を越える大部になった。札幌市史に一石を投じる内容もあるが、まずは子孫に伝える内容をめざす。ルーツの本は書きたいように、作りたいように作るのが一番なのだ。
2022・11・19
『私たちのルーツ』編集作業続く
能登の先祖をまとめた一冊は『私たちのルーツ』というタイトルに。
大吟醸「雪心」をつくる小林酒造は1878年(明治11)北海道栗山で酒造業を始めたという。その歴史を味わう。
2023・11・13
編集作業追い込み中
振り返れば、2021年岡本久美子さんの本HPへのメールに始まった母方父「長濵家のルーツ」探し。
二従兄弟の長濵好博さんが加わったことで、「中屋(中駄)家」の情報が増え400年以上前の先祖の資料に辿り着くことができた。
2022年10月、久美子さん、好博さん、さらに二従兄弟の長濵清さん、私の4人での父祖の地石川県羽咋市滝谷への調査の旅。
本年2023年5月好博さん、私による父祖の地再訪。
好博さんが集めてくれた多くの情報、資料を、好博さんと私で原稿に起こした。目下、私はパソコンに向かい、編集作業の真っ最中。
慢性的な肩凝り、眼精疲労と戦っている状況を気遣い、好博さんが北海道栗山町でつくった大吟醸を送ってくれた。ガソリンを満タンにして、あとひと踏ん張り。
2023・9・1 35歳の祖父 長濵久蔵
私は母方の祖父長濵久蔵に会ったことがない。享年49歳で亡くなるからだ。肺の病のためせっかく合格した札幌中学校(一中)を途中退学し、
失意の日々を送った。27歳で結婚後、分家して長濵牧場を作ったが、「中学校を卒業していれば、今こんなこと(牧場)はしていない」と長女の母に語っていたという。バイオリンを弾き、コーヒーを飲み、精養軒のパンをカリッと焼いたものが好物だったという。会いたかったなー。
長濵牧場の基礎となったブリニスヨハナデコール号9歳と35歳の祖父長濵久蔵。
1935年(昭和10)8月
2023・8・11 10歳ころの私
前回の写真、手前に写るのは井戸。その話を姉にしたら「近くにお風呂小屋」があったといいだした。で、付近の写真をみると、確かに小屋がある。10歳くらいの私も写っている(赤〇)。母や姉妹、祖母、叔母、従姉妹、牧夫もいる。車が走っているのが現在の国道12号線。懐かしい。
1965年(昭和40)ころ。国道12号線に面した長濵牧場入り口。黄色の丸は井戸。撮影は父。現在、この地には金融関係のビルが建っている。
2023・8・8
父が写した「長濵牧場」
実家のアルバムには、父が写した母の生家「長濵牧場」の写真が複数枚残っている。すぐ近くに住んでいた私は、毎夕空瓶を持って、搾りたての牛乳をもらうのが日課だった。
1960年(昭和35)頃、父が写した「長濵牧場」(現札幌市白石区本通5丁目南)と祖母(母の母)長濵カツヱ。8月8日は父の誕生日。生きていれば96歳。
2023・8・6
長濵好博さん
「萬藏祭に行ってきました」
新型コロナの影響で中止になっていた萬藏祭。4年ぶりの開催です。
長濵万蔵にちなむ「萬藏祭」は、1982年から行なわれています。
2023・8・5
8月5日、6日は萬藏祭
8月5日、6日は萬藏祭。札幌市白石区にある本郷商店街をつくった長濵万蔵にちなむ祭り。
同商店街のホームページやフェイスブックには準備が着々と進んでいる様子がUPされている。来年こそ参加したいものである。
2023・7・31
古い写真
今回の札幌行には、長濵好博さん、本家の長濵正さん(万蔵の6男)、小樽在住の弘子さんらにお会いするという目的があった。
ところが諸事情から、すべてキャンセル、延期になるという非常事態に。さまざまな事情が重なってのことなので、いずれ実現するだろう。
というわけで、実家にあるアルバムから、長濵家のルーツに使えそうな写真を探しだす作業をする。若き日の両親の写真も多数ある。
備えつけのパソコンの資料をみたり、広報の方から資料をいただいたり、2、3時間滞在する。
目的の「曽祖父長濵久松の手帳」(直系の子孫が寄贈)もみることができた。手帳は「私たちのルーツ」を知る上で貴重な遺品である。
2023・7・29
曽祖父の手帳
せっかく札幌にきているので、白石区役所複合庁舎内にある広島郷土士館を訪ねることに。
久松の手帳。二従兄弟の好博さんや沼田千恵子さんにより、解読はすんでいる。
2023・7・15
先祖が掘ったイモとは?
先祖が前田利家のために掘った芋のとは何だったのだろう。
羽咋市と隣接する志賀町の特産に能登金時というのサツマイモがあるが、調べると名産品になったのは昭和30年代という。
そもそもサツマイモの日本伝来は1600年以降、長芋やジャガイモも江戸時代の伝来という。
消去法で考えれば、先祖が掘っていたのは、古来から日本に自生していた自然薯(ヤマトイモ)か、縄文時代からあるサトイモになる。
2023・7・13
先祖、前田利家のために芋掘り
能登一之宮「気多神社」に伝わる文書を集めた『気多神社文書』には最低4カ所、先祖の「中屋」が出てくる。
最も古いのは1590年(天正18)のもので(右の文)「殿様御手作り分」「芋掘り貮斗八号三壹才」「中屋作」とある。
前田利家が越中、能登、加賀の大名になったのは1587年(天正15年)なので「御殿様」は前田利家を指すと思われる。
ということは、先祖「中屋」は利家がつくった芋(この芋をつくったのも中屋かもしれず)を掘って献上したのだろう。
中屋家は「寺侍」であったが、「のちに帰農した」とも伝わっており、伝承を裏付ける。
こんなに古い資料に先祖を見つけることができ、感無量である。
(右/「気多神社文書三」より)
2023・6・25 60年前の航空写真
好博さんが、札幌市白石区本通5丁目南にあった私の祖父母の長濵牧場(赤〇)と、私の父が建て、家族5人で暮していた家(青〇)が写る航空写真を送ってくれた。1961年-64年の写真、私の家は1959年築
現在、このあたりはビルや住宅が立錐の余地がないほど建ち並び、60年前には牧草地が広がり、牛が日がな一日草を食んでいたとはとうてい想像できないだろう。私たちは現在、曽祖父長濵久松、よん以前のルーツを探っているところだが、その困難さはこの写真からも伝わるだろう。
2023・5・31 400年前から、100名の大家系図
プライバシーの保護から画像を加工しているが、好博さんが作ってくれた、能登羽咋と札幌小樽を結ぶ400年頼の家系図である。主要な人物だけで約100名の血族が載っている。さらにこの家系図がすごいのは、曽祖父(男系)だけでなく、曾祖母の家系(女系)までわかっているところである。頼山陽の家系だって、ここまではわかっていないはずである・笑
2023・5・27
北前船の寄港地
羽咋から最も近い北前船の寄港地
福浦(福良)港も、ぜひ訪ねてみたい地であった。幸いにも志賀町役場の方が案内してくださった。入り江が深く、風待ち港だったという。
灯台は日本最古の木製で、屋根は瓦。現在は使用されていない。いろいろ考え、私の先祖は福浦港からではなく富山の伏木まで歩き、そこから北海道を目指した可能性が高い。
羽咋市民族資料館の学芸員にもお話をうかがい、父祖の地の歴史風土もわかってきた。最後は千里浜(羽咋市)で夕陽を眺めてフイーナーレ。
車が走行しても埋まらない固い砂浜。関東から千里浜(なぎさドライブウエイ)を目指してツーリングしてきた人々も、同じ夕陽を眺めていた。
お経をあげていただいた後、ルーツに関してご住職からお話を伺う。 初めてお会いする二人の男性と、好博さんが労力を傾注して作ってくれた系図をみて、血族であることを確認し合う。ご住職ご住職父子も縁戚である。愉快、愉快。
七尾からくる魚介類
2023・5・26
大伯父の顕彰碑
僧侶になった大伯父長濵本布の碑がある柴垣の本成寺も再訪。改めて碑文を確認する。墓碑と思っていたが、顕彰碑であることがわかる。
こんな夜のお酒は格別(笑)
2023・5・25
400年前の墓
母方の祖父のルーツ探しで、石川県羽咋郡滝谷を、札幌在住の二従兄弟 長濵好博さん再訪している。
前回は昨年10月末に二従兄弟の清さん(札幌)、縁戚の久美子さん(栃木県)4人で訪問した。紅葉から鮮やかな緑の季節になっている。
曽祖父長濵久松は中駄家に生まれ、子のいない長濵家(叔母の実家)の養子になった。再訪の目的の一つは、前回確認できなかった両家の墓を見つけ、参ることにある。
今回も近くに住む親戚を頼り、案内をお願いする。目指す墓は金沢藩主前田利常の母寿福院が願主となって建てた五重の塔の近くにあった。
両家とも過去帳により1600年代初めから、この地に住んでいたことが確認され、周辺の家々との縁戚関係が結んでいった過程が確認できる。
好博さんがレンタカーを運転してくれる。幸い好天に恵まれ、ルーツ探しの旅は続く。
昨秋に続き、父祖の地・石川県羽咋を訪ねている。さて、今回はどのような収穫が得られるだろうか。
2023・5・23
父祖の地再訪
「本郷通6~9丁目にかけての本郷商店街は、長浜萬蔵翁像を中心に約100本のエゾヤマザクラとヤエザクラが並木を作る」(5月11日)
2023・5・3
桜の名所「長浜万蔵翁像」のある
本郷商店街(札幌市白石区)
北海道新聞(4月14日付)に昨年の桜の桜名所案内として、長浜萬蔵(見延典子の大伯父)の像のある本郷商店街の桜が紹介された。