見延典子が自身のルーツについて書いています。
母は好博さんの父(母の従兄弟)とは交流していたが、好博さんと会うのは初めて。もろろん私も。
2022・3・28
長浜好博さんに会う
2022年3月、札幌市に行った最大の目的は、札幌市在住の長浜好博さんに会うことだった。3月27日、93歳の母の家で初対面がかなった。
好博さんと典子は「曾祖父長浜久松」を同じくするふたいとこ(はとこ)。好博さんはルーツに関する夥しい資料を持参して、おだやかな口調であれこれ教えてくれる。どのように長浜家のルーツの話をまとめていくか、スタートラインに立ったところだ。
2021・12・31
初めて知ったこと
長浜好博さんとのやりとりはその後も続いている。長浜家のルーツについてここには書き切れないほど多くの事柄を教えていただき、玉手箱を開けるような日々を送っている。最も驚いたのは、長浜家から僧侶になっている人物が何人か出ていることであった。
妙成寺の寺領に住んでいることから、寺との結びつきは強いだろうとは思っていたが、僧侶になった先祖がいたとは・・・。
もっとも皆、自分の意思でその道を選んだとはいえないようだ。生まれながらに寺に預けられる者もいた。写真の「浄法院日箴(にっしん)上人」もその一人。好博さんや私の曾祖父の第一子ではあるものの、好博さんや私の祖父(兄弟)とは異腹の子であった。
それでもこうして写真(大正10年12月10日撮影、40歳前後)が残り、「若くして亡くなったが、もし長生きしていれば日本一のお坊様になっていただろう」と伝わっている。感動。
2021・12・23
好博さんと老母が
老母の父の長浜家のルーツを、長浜好博さんや岡本久美子さんと調べている話は老母にも報告している。
すると老母が「好博さんと電話で話してみたい」と言い出した。好博さんの亡くなったお父さんは老母の従兄弟。しかし息子がいたことは知らず、話がしてみたいというのだ。
好博さんと私は二従兄弟(曾祖父が同じ)の関係だが、それを知ったのはつい最近、このホームページを通じてであり、当然、 好博さん会ったこともなければ、話をしたこともない。年齢も知らない(笑)
しかしメールで事情を話したところ、心よくひきうけてくださり、先日、老母から好博さんに電話をかけて、話をすることが実現した。思いがけず長電話になったようで、老母の願いは叶ったのだった。
長生きには、肉親や友人を失う喪失感も伴う。昔話ができる好博さんと出会ったことは、老母にとって大きな喜びであったようだ。
好博さん、ありがとう。
2021・12・1
家系図と写真
母方の祖父「長濱家」に関してあればいいな、と思っていた家系図を長濱好博さんが作成して送ってくれた! うれしいというより、現実とは思えず、しばらく放心状態(笑)
家の事情から、札幌から石川県に戻った長濱万蔵、久蔵の長姉「長濱とよ」さんの写真もある。感動。
長濱好博さんと見延典子は「曾祖父母長濱久松、よん」を同じくする「ふたいとこ(はとこ)」の間柄になる。
送ってくれた写真には、長濱久蔵に嫁いた祖母カツヱ(旧姓中山)が長濱家の縁者とともに写っている。
2021・11・24
長浜万右衛門の過去帳の写し
同じ先祖「長浜万右衛門」をもつ長浜好博さんから、先祖の過去帳をまとめた本の写しが届く。ほんとうは10日前には届いていたのだが、呆然として手がつかなかったのだ。
過去帳に載っていた最初の「長濱万右衛門」は1616年(元和2)に没している。
送っていただいた資料は目下、読み込み中である。
それにしても・・・ルーツ探しを始めて、父方の祖父の「見延」、母方の祖母の「中山(井川)」の調査でも、同じように一族の系譜が残っていた。そして今、母方の祖父「長浜家」でも同様のことが起き、400年前の先祖と向き合っている。長浜家はたかが百姓だ。そうであってもこうした記録が残っている。いや、残している人がいる。そのことに胸が熱くなる。