見延典子がルーツについて書いています。『私のルーツ」も取り扱い中。

赤レンガ庁舎(札幌市)には鈴木煉瓦工場のレンガが使われているという。

2021・7・4

見延典子 → 栃木県在住岡本さん

「『私のルーツ』長濱家に関連して」⑥

 

 長濱十助(イヨの兄)が札幌白石村87番地に転籍していたこと、驚きました。久松が85番地(現在の本通9丁目)ですから、至近距離です。繰り返しますが、十助と久松は相当に近い血縁関係にあったことがここでも証明されたと思います。


 鈴木煉瓦工場について、92歳の老母は「久松の家の前(すぐ近くの意味かも)に工場があった」と証言しています。そこが87番地だったのでしょう。87番地といっても広いので、十助家と煉瓦工場が同じ番地にあっても不思議はないですが、十助が白石を離れたのは、あるいは煉瓦工場に土地を売ったからでしょうか。この点は想像の域を出ません。

 

 十助が途中、ふるさとの羽咋に帰っている点も注目です。久松の妻「よん」には「とよ」という娘がいたことを書きましたが、「よん」は晩年、この娘が恋しく、羽咋に帰り(久松の没後かも)、そこで生涯を終えました。羽咋にも親族の一部が残り、交流が続いていたと思われます。

 

 それにしても十助の生涯も波瀾万丈ですね。利尻、天塩が出てきて、北海道の開拓史と絡んでいることがうかがえます。

 

 十助が白石を去り、イヨも上白石(今の「菊水上町」あたりは「上白石」と呼ばれていた)に嫁ぎ、久松亡き後、萬藏や久蔵との関係が薄れていった、ということなのではないでしょうか。

 

 イヨの嫁ぎ先の杉本家もルーツが石川県なのでしょうか? お時間があるときでよいので、お知らせください。当時、白石にはどんなネットワークがあったのか、興味があります。

 

  鈴木煉瓦の写真(ネットより)

2021・7・1

栃木県在住岡本さん → 見延典子

「『私のルーツ』長濱家」⑤

 

ご家族のお写真の掲載ありがとうございます。母にも見てもらいましたが、残念ながらここにはイヨはいないとのことでした。


とはいえ、最初に万蔵さんの像を見た時には祖父(イヨの息子)の面影を感じました。頰骨が目立つ感じや目の窪み方が似てるなぁと。

 

さて、石川県での本籍地が字までが同じで地番が異なるとのことで、やはり見延さんの見解通り、親しい親族でともに北海道に移住したものと思います。

 

今回石川から北海道へ転籍した際の戸籍を白石区に問い合わせたところ、

古い戸籍のため既に破棄されているとの回答が返ってきました。

 

残念、とがっかりしたものの、戸主長濱十助は「羽咋→白石→利尻→羽咋→天塩」と、数年の間に転籍を繰り返しており、このうち利尻の戸籍に白石での本籍地が記載されておりました。

 

ここから新たに分かったことが、

明治27年に羽咋から札幌郡白石村87番地に転籍。

明治31年に白石から利尻へ、

明治34年に利尻から羽咋へ、

明治37(?)年に天塩へ転籍(この戸籍は現在請求中)。

ちなみに羽咋での本籍地は新旧どちらも同じですが、

手元にある戸籍は明治34年に転籍した際のもので、

その前のものは羽咋でも破棄されているとのことでした。

 

白石村87番地とネットで検索すると、現在の本通9丁目あたりで、かつての鈴木煉瓦との記事が出てきました。

鈴木煉瓦といえば、長濱久松さんが工場長を勤められていたとのことですよね。ここでも接点を見つけることができました。

見延さんの本の中で「長濱の本家は本通り85番地」と書かれておりましたが、これが白石村の地番と同様なのか、改番されているのかは分かりませんが、いずれにしても白石神社の位置から考えても近いところに居を構えていたのではないでしょうか。

 

おそらく久松さんと、イヨの兄十助はほぼ同世代と思われます。

(十助は明治7年生まれで、イヨよりも10歳年上、早くに父親不在となり、祖父から家督を相続している。名前は祖父、父とも十助を継承)

 

久松さんと十助はともに鈴木煉瓦で働いていた時期もあったかもしれません。その後久松さんは白石に根差し、十助ファミリーは更なる地を目指したのでしょう。

 

私の方で戸籍からの情報で遡れるのはここまでかと思います。

あとは現地、特に墓参記録のある妙成寺を足掛かりに調査を進めていこうかと思います。

 

「なぜ北海道に渡ったか」については、久松さんファミリーも十助ファミリーも同様の視点で追いかけていけるのではないかと思いますので、引き続き情報交換をさせていただけると大変嬉しく思います。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

2021・6・24

見延典子 → 栃木県在住岡本さん

「『私のルーツ』長濱家に関連して」④ 一部加筆修正(6・25)

 

 ルーツに関して新たな情報をいただき、ありがとうございます。

 私の先祖長濱家で確認できる最初の先祖は「長濱久松」ですが、久松自身の戸籍を私は取得しておりません。ただ、萬藏や久蔵の戸籍から、石川県での本籍は「石川県羽咋郡✖✖✖✖✖✖✖48」だったことがわかります。岡本さんの「☆☆☆」とは異なりますね。

 

 残念ながら、久松の戸籍がないため、久松の父母の名前もわかりません。久松の妻「よん」は再婚のようで、最初の夫とのあいだに生まれた女児「とよ」を久松は後に認知しています(あるいは結婚前に久松との間にできた子かもしれません)。「とよ」は北海道に渡らず、石川県羽咋郡✖✖✖✖✖✖✖48に残り、婿養子「十良」(実父柳森七助、実母かね)を迎えました。お知らせいただいた「長濱十助」と名前こそ似ていますが、そういうわけで「十良」は血縁はないと思いますが、昔のことですから遠縁の可能性もあります。

 

 残念ながら私がわかることはそこまでで、逆に岡本さんからの情報を楽しみにしています。いずれにしろ、長濱イヨさんや長濱久松は、石川県時代かなり親しく交流していた親族で、そろって北海道に移住したことに間違いないと思います。

 

 手元に母やその姉妹が作った文集があり、写真が載っているので転載します。男性のうち向かって右が私の祖父「長濱久蔵」、左が久蔵の兄の「長濱萬藏」。前の列に妹たちが並んでいます。イヨさんの写真は残っていますか? 面影がありますか?

 

2021・6・21

栃木県在住岡本さん → 見延典子

「『私のルーツ』長濱家に関連して」③

 

「私のルーツ」が手元に届きました!

早急な対応ありがとうございます。

 

「先祖はなぜ北海道へ渡ったのか」

先祖調査に夢中になる私にとって、長濱姓に限らず全ての先祖について思いを馳せてきたことがまさにそれでした。

先祖調査は奇跡体験の連続と言われますが、この本に書かれている内容は感動を共有できるものばかりです。どうしてこんなに不思議な縁はつながっていくのでしょう。

 

そして、ブログ上のお返事もとても嬉しく拝見しました!取り上げてくださり、ありがとうございます!

 

ご提案くださったように「長濱久松」「長濱イヨ」の羽咋郡以下の字までが同じということですので、今後関係を確認出来たらと思います。

 

本籍地は石川県羽咋郡✖✖✖✖✖✖✖☆☆☆番。

戸主 長濱十助(イヨの兄)となっています。

 

現在私の手元にある戸籍ではイヨの父親の名前が不明なのですが、祖父は「長濱十助(兄と同名)」その長女「長濱タケ」がイヨの母親です。

 

現在進行形で戸籍取り寄せ調査中ですので、イヨの兄弟の名前や両親の代の戸籍からの新たな情報に期待です

(もし直接の血縁を確認できなくとも、同じ景色を見ていたであろうと思うだけで、感謝の気持ちがわいてきます)

 

また、質問事項にあった宗派についてですが、嫁ぎ先の杉本は曹洞宗ですが長濱家については残念ながら不明です。集団墓参の記事にあるように妙成寺というのが長濱家に限らず滝谷地区の人々にとって縁のある宗派の可能性は高いとは推察されますので、こちらも今後調査してみようと思います。

 

イヨの孫である札幌の母に話を聞いてみましたが、母が小学1年生でイヨは他界していることもありイヨの実家や若い頃の話はほとんど知らないようです。ただ、見延さんの本のことや万蔵さんのことなどを伝えると母もとても嬉しそうでした。

 

私の先祖調査に新たな風が吹き始めました。

 今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

 

2021・6・14

見延典子 → 栃木県在住岡本さん「『私のルーツ』長濱家について」➁

 

 お問い合わせの件、私の手もとにある戸籍の写しにより、私の曽祖父長濱久松の石川県における住所が、お知らせいただいた「石川県羽咋郡✖✖✖✖✖✖✖」と一致しております。その先の番地についてもお知らせいただければと思います。

 


 岡本さんの曽祖母の「杉本イヨ」さん(旧姓長濱イヨ)について札幌在住の母に電話して訊きましたが、残念ながら心当たりがないそうです。

 

 私の祖父長濱久蔵(分家)は40代で急死しており、その後長濱萬蔵家(本家)とは円満に交流を続けておりますが、どうしても細かな人間関係の伝承が欠けてしまっております。

 

 新聞報道や母の話から、明治に入り、石川県から札幌に集団移転して札幌に移住したようで、親戚のほか宗教(仏教)関係者もいたそうです。曽祖母の△△さんのご実家長濱家の宗派をご存じなら、お知らせください。

 

 ご注文いただいた拙著『私のル一ツ』は本日発送しますが、ここでは「長濱家」に触れている記述が少ないことをお詫びします。しかし祖父長濱久蔵の顔写真も載せていますので、参考になさってください。

 

 私のル一ツについて「長濱家」「菅谷家」を今後の宿題としてきましたが、岡本さんからのメールで再び火がつきました。今後とも情報交換をしながら、長濱家のル一ツを探ってまいりましょう。

 

 とりあえずの課題 

 岡本さんの曽祖母「長濱イヨ」と私の曽祖父「長濱久松」との関係

 ここから始めたく思いますが、いかがでしょうか?

 

2021・6・14

栃木県在住岡本さん「私のルーツ長濱家に関連して」

 

 見延典子様

 

はじめまして。突然のメッセージ失礼いたします。

ブログ経由でこちらへやってきました。

 

少し長くなりますが以下ご一読頂けましたら幸いです。私は札幌市出身、1現在は実家を離れ、栃木県に住んでおります。

 

数年前から先祖探しをしており、いずれの家系も明治期に本州から北海道へ移住しています。母方についての調査は10年ほど前に親戚の方がいくつか戸籍の取得をされており、大まかなルーツは知っていたのですが、改めて穴埋めをするように一から戸籍の取得をしているところです。

 

その中で母方曾祖母(母父母)旧姓長濱のルーツが石川県羽咋にあるということから、何かネット上にも情報がないものかと検索をしていたところ、見延様のブログにたどりつきました。

 

そこにあった長濱万蔵様の存在や商店街の銅像のこと、滝谷の妙成寺への墓参の記事など、これは少なからず縁のある情報である!と感じ、感動と興奮で胸が熱くなりました。(それはまさに昨晩のことで、記事を発見したあと高揚で眠れなかったほどです)

 

前置きが長くなりましたが、私の曾祖母「〇〇イヨ」は旧姓長濱、明治17年生まれ、「石川県羽咋郡✖✖✖✖✖✖✖」戸籍より嫁いでいます。

(生まれが羽咋なのか白石なのかは現時点では不明です)

 

イヨが嫁いだ杉本家は明治26年に上白石村に入植しており、少なくとも婚姻開始は白石だったと思われます。その後各地転籍の後、白石で晩年を迎えています。このような背景から、長濱万蔵様との縁も少なからずあるのではと推測しました。

 

まさかこのような形で遠い御先祖さまの時代の繋がりを感じられる情報に巡り会えるとは想像もしていませんでしたので、感動ひとしおです。

 

これから羽咋市に追加の戸籍請求をする予定なので、明確な情報を得てから見延様にメッセージを送ろうとも思ったのですが、少々勇み足ながらも感動冷めやらぬままの気持ちをお伝えさせていただきました。

長文にて大変失礼致しました。読んでくださりありがとうございました。

 

「私のルーツ」を2冊購入希望します。このあと本が手元に届くのも楽しみにしています。これから暑い季節を迎えますが、お身体ご自愛くださいませ。

 

 ※事務局注 〇✖はメ一ルでは正確に記載されていますが、個人情報につき、公表に際しては伏せております。

 

2020年7月刊 幻冬舎 1100円
2020年7月刊 幻冬舎 1100円

明治8年に開拓使次官・黒田清隆の提案により設置され、明治37年に役割を終えるまで7337名の兵員とその家族が入植した屯田兵制度。

2020・12・25

山下幸太郎さん(鹿児島県在住)

「有馬尚経著『屯田兵とは何か』」

 

『地方史研究408号』の新刊案内で有馬尚経著『屯田兵とは何か』の記事を書きました。(事務局注/山下氏も屯田兵のご子孫です)


始まりは明治維新により失業した士族の救済措置であった。北海道開拓の先駆として活躍しながら、これまであまり注目されることのなかった人々の知られざる素顔に迫る。長年の研究を基に詳細に解説する貴重な書。

 

著者の有馬氏は昭和53年札幌市生まれ。駒澤大学法学部を経て駒澤大学大学院法学研究科公法学専攻博士後期課程満期退学。北海道郷土史研究家。北海道屯田倶楽部会員

 

『賊軍の昭和史』       (東洋経済新報社。2015)
『賊軍の昭和史』       (東洋経済新報社。2015)

2020・12・6

事実誤認も甚だしい。

 

たまたま手に取った『賊軍の昭和史』という本。「北海道の屯田兵は長州の回し者」という見出しが目に飛びこむ。この発言をしているのは最近はテレビでも見かけることの多いノンフィクション作家の保阪正康氏。1939年(昭和14)札幌市生まれで、聞くところ、私が幼少期を過ごした札幌市白石区にある札幌東高校を卒業しているという。


保阪氏は同書で以下のような発言をしている。

「ただ、歴史に興味を持って調べると、昔の屯田兵だけは長州の回し物だっんだなと気づくんです。旭川から札幌まで、穀倉地帯で地質の良いところには、全部が屯田兵、つまり官軍が入っているんですよ。官で入った人は給料をもらうし、鉄砲を持って農業をしているわけだから、熊に襲われたなど事故で死んだ人はあまりいない」

 

おいおい。本気でこんな発言をしているんかい。

屯田兵として明治22年に四国徳島から入植した私の先祖は、泥炭地をあてがわれ、開墾にどんなに苦労したことか。まして長州の回し者であろうはずがない。昭和史を語る前に、徳島藩の幕末、維新史を調べてほしい。事実誤認も甚だしい。非常に残念な思いでいっぱいである。

 

2020・7・2

36年前、菩提寺妙成寺(石川県)

           に集団墓参

 

老母が長濱家の菩提寺妙成寺に39人で集団墓参したときの切り抜きを送ってくれた。昭和59年10月21日付北陸中日新聞。36年前、である。老母は参加せず、切り抜きだけをもらったらしい。

親戚の姿もあるが、亡くなった人もいる。
親戚の姿もあるが、亡くなった人もいる。

札幌市白石区は宮城県白石市からの移住者のよって開拓された土地だが、長濱家(母の父方)のように石川県羽咋市からの移民もいたようで、この時点で15戸のうち6戸の関係者が参加したという。

 

長濱萬蔵の母、つまり私の曽祖母は晩年、この故郷に帰った。娘を一人残していたので、寂しさか募ったからではないかと、老母の話。北海道に渡るにあたっては、いくつもの別れがあったのだろう。

「妙成寺」(石川県)ネットより
「妙成寺」(石川県)ネットより

2020・5・24

長濱家のルーツは石川県

 

母の父方長濱家は石川県から北海道に渡ったが、その後も故郷の人々とは交流を続けていた。菩提寺は「妙成寺」といい、国の重要文化財が12もある大きな寺という。


その話を母から教えてもらって数日後、北海道新聞にまた長濱萬蔵の記事が載ったという知らせが届く。地元の皆さんに愛されて何よりである。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

『俳句エッセイ 日常』

書店では取り扱いません。

残部僅少!

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石村良子代表の編集

『頼先生遊記帖』(『十旬花月帖』) 

  好評発売中!

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

「頼山陽と戦争国家

感想② 感想③

感想④

南々社
南々社

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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