見延典子がルーツについて書いています。『私のルーツ」も取り扱い中。

2021・6・21

栃木県在住岡本さん → 見延典子

「『私のルーツ』長濱家に関連して」③

 

「私のルーツ」が手元に届きました!

早急な対応ありがとうございます。

 

「先祖はなぜ北海道へ渡ったのか」

先祖調査に夢中になる私にとって、長濱姓に限らず全ての先祖について思いを馳せてきたことがまさにそれでした。

先祖調査は奇跡体験の連続と言われますが、この本に書かれている内容は感動を共有できるものばかりです。どうしてこんなに不思議な縁はつながっていくのでしょう。

 

そして、ブログ上のお返事もとても嬉しく拝見しました!取り上げてくださり、ありがとうございます!

 

ご提案くださったように「長濱久松」「長濱イヨ」の羽咋郡以下の字までが同じということですので、今後関係を確認出来たらと思います。

 

本籍地は石川県羽咋郡✖✖✖✖✖✖✖☆☆☆番。

戸主 長濱十助(イヨの兄)となっています。

 

現在私の手元にある戸籍ではイヨの父親の名前が不明なのですが、祖父は「長濱十助(兄と同名)」その長女「長濱タケ」がイヨの母親です。

 

現在進行形で戸籍取り寄せ調査中ですので、イヨの兄弟の名前や両親の代の戸籍からの新たな情報に期待です

(もし直接の血縁を確認できなくとも、同じ景色を見ていたであろうと思うだけで、感謝の気持ちがわいてきます)

 

また、質問事項にあった宗派についてですが、嫁ぎ先の杉本は曹洞宗ですが長濱家については残念ながら不明です。集団墓参の記事にあるように妙成寺というのが長濱家に限らず滝谷地区の人々にとって縁のある宗派の可能性は高いとは推察されますので、こちらも今後調査してみようと思います。

 

イヨの孫である札幌の母に話を聞いてみましたが、母が小学1年生でイヨは他界していることもありイヨの実家や若い頃の話はほとんど知らないようです。ただ、見延さんの本のことや万蔵さんのことなどを伝えると母もとても嬉しそうでした。

 

私の先祖調査に新たな風が吹き始めました。

 今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

 

2021・6・14

見延典子 → 栃木県在住岡本さん「『私のルーツ』長濱家について」➁

 

 お問い合わせの件、私の手もとにある戸籍の写しにより、私の曽祖父長濱久松の石川県における住所が、お知らせいただいた「石川県羽咋郡✖✖✖✖✖✖✖」と一致しております。その先の番地についてもお知らせいただければと思います。

 


 岡本さんの曽祖母の「〇〇イヨ」さん(旧姓長濱イヨ)について札幌在住の母に電話して訊きましたが、残念ながら心当たりがないそうです。

 

 私の祖父長濱久蔵(分家)は40代で急死しており、その後長濱萬蔵家(本家)とは円満に交流を続けておりますが、どうしても細かな人間関係の伝承が欠けてしまっております。

 

 新聞報道や母の話から、明治に入り、石川県から札幌に集団移転して札幌に移住したようで、親戚のほか宗教(仏教)関係者もいたそうです。曽祖母の△△さんのご実家長濱家の宗派をご存じなら、お知らせください。

 

 ご注文いただいた拙著『私のル一ツ』は本日発送しますが、ここでは「長濱家」に触れている記述が少ないことをお詫びします。しかし祖父長濱久蔵の顔写真も載せていますので、参考になさってください。

 

 私のル一ツについて「長濱家」「菅谷家」を今後の宿題としてきましたが、岡本さんからのメールで再び火がつきました。今後とも情報交換をしながら、長濱家のル一ツを探ってまいりましょう。

 

 とりあえずの課題 

 岡本さんの曽祖母「長濱イヨ」と私の曽祖父「長濱久松」との関係

 ここから始めたく思いますが、いかがでしょうか?

 

2021・6・14

栃木県在住岡本さん「私のルーツ長濱家に関連して」

 

 見延典子様

 

はじめまして。突然のメッセージ失礼いたします。

ブログ経由でこちらへやってきました。

 

少し長くなりますが以下ご一読頂けましたら幸いです。私は札幌市出身、1現在は実家を離れ、栃木県に住んでおります。

 

数年前から先祖探しをしており、いずれの家系も明治期に本州から北海道へ移住しています。母方についての調査は10年ほど前に親戚の方がいくつか戸籍の取得をされており、大まかなルーツは知っていたのですが、改めて穴埋めをするように一から戸籍の取得をしているところです。

 

その中で母方曾祖母(母父母)旧姓長濱のルーツが石川県羽咋にあるということから、何かネット上にも情報がないものかと検索をしていたところ、見延様のブログにたどりつきました。

 

そこにあった長濱万蔵様の存在や商店街の銅像のこと、滝谷の妙成寺への墓参の記事など、これは少なからず縁のある情報である!と感じ、感動と興奮で胸が熱くなりました。(それはまさに昨晩のことで、記事を発見したあと高揚で眠れなかったほどです)

 

前置きが長くなりましたが、私の曾祖母「〇〇イヨ」は旧姓長濱、明治17年生まれ、「石川県羽咋郡✖✖✖✖✖✖✖」戸籍より嫁いでいます。

(生まれが羽咋なのか白石なのかは現時点では不明です)

 

イヨが嫁いだ〇〇家は明治26年に上白石村に入植しており、少なくとも婚姻開始は白石だったと思われます。その後各地転籍の後、白石で晩年を迎えています。このような背景から、長濱万蔵様との縁も少なからずあるのではと推測しました。

 

まさかこのような形で遠い御先祖さまの時代の繋がりを感じられる情報に巡り会えるとは想像もしていませんでしたので、感動ひとしおです。

 

これから羽咋市に追加の戸籍請求をする予定なので、明確な情報を得てから見延様にメッセージを送ろうとも思ったのですが、少々勇み足ながらも感動冷めやらぬままの気持ちをお伝えさせていただきました。

長文にて大変失礼致しました。読んでくださりありがとうございました。

 

「私のルーツ」を2冊購入希望します。このあと本が手元に届くのも楽しみにしています。これから暑い季節を迎えますが、お身体ご自愛くださいませ。

 

 ※事務局注 〇✖はメ一ルでは正確に記載されていますが、個人情報につき、公表に際しては伏せております。

 

2020年7月刊 幻冬舎 1100円
2020年7月刊 幻冬舎 1100円

明治8年に開拓使次官・黒田清隆の提案により設置され、明治37年に役割を終えるまで7337名の兵員とその家族が入植した屯田兵制度。

2020・12・25

山下幸太郎さん(鹿児島県在住)

「有馬尚経著『屯田兵とは何か』」

 

『地方史研究408号』の新刊案内で有馬尚経著『屯田兵とは何か』の記事を書きました。(事務局注/山下氏も屯田兵のご子孫です)


始まりは明治維新により失業した士族の救済措置であった。北海道開拓の先駆として活躍しながら、これまであまり注目されることのなかった人々の知られざる素顔に迫る。長年の研究を基に詳細に解説する貴重な書。

 

著者の有馬氏は昭和53年札幌市生まれ。駒澤大学法学部を経て駒澤大学大学院法学研究科公法学専攻博士後期課程満期退学。北海道郷土史研究家。北海道屯田倶楽部会員

 

『賊軍の昭和史』       (東洋経済新報社。2015)
『賊軍の昭和史』       (東洋経済新報社。2015)

2020・12・6

事実誤認も甚だしい。

 

たまたま手に取った『賊軍の昭和史』という本。「北海道の屯田兵は長州の回し者」という見出しが目に飛びこむ。この発言をしているのは最近はテレビでも見かけることの多いノンフィクション作家の保阪正康氏。1939年(昭和14)札幌市生まれで、聞くところ、私が幼少期を過ごした札幌市白石区にある札幌東高校を卒業しているという。


保阪氏は同書で以下のような発言をしている。

「ただ、歴史に興味を持って調べると、昔の屯田兵だけは長州の回し物だっんだなと気づくんです。旭川から札幌まで、穀倉地帯で地質の良いところには、全部が屯田兵、つまり官軍が入っているんですよ。官で入った人は給料をもらうし、鉄砲を持って農業をしているわけだから、熊に襲われたなど事故で死んだ人はあまりいない」

 

おいおい。本気でこんな発言をしているんかい。

屯田兵として明治22年に四国徳島から入植した私の先祖は、泥炭地をあてがわれ、開墾にどんなに苦労したことか。まして長州の回し者であろうはずがない。昭和史を語る前に、徳島藩の幕末、維新史を調べてほしい。事実誤認も甚だしい。非常に残念な思いでいっぱいである。

 

2020・7・2

36年前、菩提寺妙成寺(石川県)

           に集団墓参

 

老母が長濱家の菩提寺妙成寺に39人で集団墓参したときの切り抜きを送ってくれた。昭和59年10月21日付北陸中日新聞。36年前、である。老母は参加せず、切り抜きだけをもらったらしい。

親戚の姿もあるが、亡くなった人もいる。
親戚の姿もあるが、亡くなった人もいる。

札幌市白石区は宮城県白石市からの移住者のよって開拓された土地だが、長濱家(母の父方)のように石川県羽咋市からの移民もいたようで、この時点で15戸のうち6戸の関係者が参加したという。

 

長濱萬蔵の母、つまり私の曽祖母は晩年、この故郷に帰った。娘を一人残していたので、寂しさか募ったからではないかと、老母の話。北海道に渡るにあたっては、いくつもの別れがあったのだろう。

「妙成寺」(石川県)ネットより
「妙成寺」(石川県)ネットより

2020・5・24

長濱家のルーツは石川県

 

母の父方長濱家は石川県から北海道に渡ったが、その後も故郷の人々とは交流を続けていた。菩提寺は「妙成寺」といい、国の重要文化財が12もある大きな寺という。


その話を母から教えてもらって数日後、北海道新聞にまた長濱萬蔵の記事が載ったという知らせが届く。地元の皆さんに愛されて何よりである。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

『俳句エッセイ 日常』

書店では取り扱いません。

残部僅少!

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石村良子代表の編集

『頼先生遊記帖』(『十旬花月帖』) 

  好評発売中!

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ベストセラー『日本外史』

「頼山陽と戦争国家

感想② 感想③

感想④

南々社
南々社

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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