見延典子がルーツについて書いています。『私のルーツ」も取り扱い中。
明治8年に開拓使次官・黒田清隆の提案により設置され、明治37年に役割を終えるまで7337名の兵員とその家族が入植した屯田兵制度。
2020・12・25
山下幸太郎さん(鹿児島県在住)
「有馬尚経著『屯田兵とは何か』」
『地方史研究408号』の新刊案内で有馬尚経著『屯田兵とは何か』の記事を書きました。(事務局注/山下氏も屯田兵のご子孫です)
始まりは明治維新により失業した士族の救済措置であった。北海道開拓の先駆として活躍しながら、これまであまり注目されることのなかった人々の知られざる素顔に迫る。長年の研究を基に詳細に解説する貴重な書。
著者の有馬氏は昭和53年札幌市生まれ。駒澤大学法学部を経て駒澤大学大学院法学研究科公法学専攻博士後期課程満期退学。北海道郷土史研究家。北海道屯田倶楽部会員
2020・12・6
事実誤認も甚だしい。
たまたま手に取った『賊軍の昭和史』という本。「北海道の屯田兵は長州の回し者」という見出しが目に飛びこむ。この発言をしているのは最近はテレビでも見かけることの多いノンフィクション作家の保阪正康氏。1939年(昭和14)札幌市生まれで、聞くところ、私が幼少期を過ごした札幌市白石区にある札幌東高校を卒業しているという。
保阪氏は同書で以下のような発言をしている。
「ただ、歴史に興味を持って調べると、昔の屯田兵だけは長州の回し物だっんだなと気づくんです。旭川から札幌まで、穀倉地帯で地質の良いところには、全部が屯田兵、つまり官軍が入っているんですよ。官で入った人は給料をもらうし、鉄砲を持って農業をしているわけだから、熊に襲われたなど事故で死んだ人はあまりいない」
おいおい。本気でこんな発言をしているんかい。
屯田兵として明治22年に四国徳島から入植した私の先祖は、泥炭地をあてがわれ、開墾にどんなに苦労したことか。まして長州の回し者であろうはずがない。昭和史を語る前に、徳島藩の幕末、維新史を調べてほしい。事実誤認も甚だしい。非常に残念な思いでいっぱいである。
2020・7・2
36年前、菩提寺妙成寺(石川県)
に集団墓参
老母が長濱家の菩提寺妙成寺に39人で集団墓参したときの切り抜きを送ってくれた。昭和59年10月21日付北陸中日新聞。36年前、である。老母は参加せず、切り抜きだけをもらったらしい。
札幌市白石区は宮城県白石市からの移住者のよって開拓された土地だが、長濱家(母の父方)のように石川県羽咋市からの移民もいたようで、この時点で15戸のうち6戸の関係者が参加したという。
長濱萬蔵の母、つまり私の曽祖母は晩年、この故郷に帰った。娘を一人残していたので、寂しさか募ったからではないかと、老母の話。北海道に渡るにあたっては、いくつもの別れがあったのだろう。
2020・5・24
長濱家のルーツは石川県
母の父方長濱家は石川県から北海道に渡ったが、その後も故郷の人々とは交流を続けていた。菩提寺は「妙成寺」といい、国の重要文化財が12もある大きな寺という。
その話を母から教えてもらって数日後、北海道新聞にまた長濱萬蔵の記事が載ったという知らせが届く。地元の皆さんに愛されて何よりである。