Mさんがご寄贈の月琴 5月3日森川邸
Mさんがご寄贈の月琴 5月3日森川邸

 

それを森川邸で坂田先生が簡単に修理され 煎茶席の飾りになるようにしてくださり 森川邸に飾ってみれば月琴が場所に合い文人山陽の生まれる素地が竹原の町人文化にあったと感じられた

坂田先生は前夜祭でご自身の清の時代の月琴を演奏してくださった、その月琴がМさん寄付のと同時代そっくりだった
先生の心づかいも文人的で皆大感激だった 

 T先生が届けてくださった竹の子ご飯
 T先生が届けてくださった竹の子ご飯

2016・5・5

竹原の人情 忘れ難し


竹原で七周年記念式典、坂田進一先生をお呼びして古琴演奏会をすることになった
すると古文書教室で頼先生の親戚のMさんが月琴 胡琴などをネットワークに寄付してくださった 

此の方は竹原頼家の出身である

 前夜祭で月琴を演奏される坂田琴士
 前夜祭で月琴を演奏される坂田琴士

竹原を去る朝 煎茶席を一緒に担当してくださったT先生が炊き上がったばかりの竹の子ご飯を届けてくださった 其れも肉のダメな大煕和尚のために精進で一釜 鶏肉好きな私のために一釜炊かれたという10時から又煎茶席をもたれるという忙しさの中である かくも竹原の山水の情が人の情へと変わった会でありました

 

  石村理想の文人居室 左端古琴
  石村理想の文人居室 左端古琴

そのなかで孔子作曲の幽蘭という曲を弾いていただくことになっている と書いたら 「ほんまかいね」と広島弁でツッコミがあった 

かの論語も孔子が書いたとは誰も断定できない 孔子作曲と思って聞いた方がロマンがある
此の曲は この世の音楽に在らざるなり と言うことになっている では何処の それは当日聞いてください 頼家伝来の箏の演奏もある

 

2016・4・28

坂田進一琴士(きんし)


今時琴士を名乗る方はそんなにはいない
日本では琴と言えば13弦だが あれは箏(そう)というらしい

其の坂田先生に5月3日竹原森川邸で其の古琴の演奏をしていただく

  上海博物館より撮影自由の太っ腹
  上海博物館より撮影自由の太っ腹

     浦上玉堂も訪れた詩仙堂(京都市)
     浦上玉堂も訪れた詩仙堂(京都市)

2016・4・23

玉堂琴士之碑

 

本願寺を訪れ 旅の次の目的地 嵐山の法輪寺に

お昼は川村曼舟の旧邸で豆腐をいただき渡月橋をわたる

 

山陽の撰した玉堂士碑は現在非公開になっている

道から頭だけ望めるだけ劣化も激しく残念である

非公開の玉堂琴士之碑(頼山陽撰)を遠くから眺める
非公開の玉堂琴士之碑(頼山陽撰)を遠くから眺める

碑文の最後に孤子 選(春琴)泣血書して書す とある

親子は晩年同居していたという 最近では玉堂の絵は再評価されているが 碑文には画のことは触れられていない 山水の韻に満ちているこの地を愛した玉堂 催馬楽の音に七弦琴を翻案した旋律は当時琴の世界ではアウトサイダーであったという 

 

山陽の生誕地大阪で 次に広島 いよいよ53日竹原の地で坂田進一先生の弾琴による玉堂琴譜が聞ける 玉堂は琴は一曲聞けばよいと言っているがやはり色々聞きたい 

 

     雲華上人の書軸
     雲華上人の書軸

2016・4・14

嵯峨本願寺「雲華上人の書軸」

 

石壓筍斜出、岸懸華倒生

いしおしてしゅんななめにいで、きしかかりてはなさかしまにしょうず

 

苦難の末何事かを成し遂げる という禅語ですが 南画の画題にも石と竹 懸崖の蘭 として定型です

 

先日のブログに書きました 嵯峨本願寺「渉成園と頼山陽」

雲華上人69歳時のお軸がかかっておりました

 

 

この展示のため嵯峨本願寺末寺富山県稱慶寺よりの特別出品です

写真撮影の許可を得ておりますので皆様にもご紹介します

色々移りこんでいますが御容赦ください

 

2016・4・10

戦後初公開 頼山陽「渉成園記」

 

 嵯峨本願寺で開催中の春の宝物展「渉成園と頼山陽」行ってまいりました

はやる気持ちでタクシーに乗る事30分つきましたら 本願寺事務所所長川村伸寛様がお出迎えくださいました

早速記念撮影


本願寺第二十五世大谷光道法主(右)と本願寺事務所所長川村伸寛様(左) 中央が石村
本願寺第二十五世大谷光道法主(右)と本願寺事務所所長川村伸寛様(左) 中央が石村

東本願寺第二十五世大光道法主は真ん中でと

 何度もお願いしましたが 私に真ん中でとおっしゃいます

 おやさしい笑顔まさに写真どうりの法主さまです

 恐縮しつつ写真に納まりました

達如上人の墨竹画 松平定信 頼山陽をはじめとして 大窪詩仏

雲華上人、文化文政時代の文人の書画が一堂に展示してありました

地下には御母堂智子さまゆかりの品々が飾ってありました


  戦後初公開 頼山陽の「渉成園記」の一部。嵯峨本願寺で全文をお確かめください。
戦後初公開 頼山陽の「渉成園記」の一部。嵯峨本願寺で全文をお確かめください。
お茶をいれてくださる川村所長
お茶をいれてくださる川村所長

 

帰りには川村所長手ずからお茶をいれてくださりバス停まで見送ってくださいました 頼山陽の余得で一生の思い出ができました

 

この週末 京都に行かれる方 嵯峨まで足を延ばしてみてはいかがですか

 

   4月1日付京都新聞の紹介記事
   4月1日付京都新聞の紹介記事

 石川丈山は興善寺の裏手に住んでいた
 石川丈山は興善寺の裏手に住んでいた

住居は薬研堀の近くになる 薬研堀近くは江戸時代武家屋敷が多く有ったところで名のように堀で縮景園にも通じていた

 

 

広島駅あたりまでは 今桜が満開 猿猴橋未見の方は 鶴見橋あたりの頼山陽碑から歩いてみてください 15分の散歩です

 

歩いてみて 広島は川の街だと実感できました 楽しいです 

  広島駅前 猿猴川と京橋川の分かれ
  広島駅前 猿猴川と京橋川の分かれ

2016・4・6

石川丈山不動院への舟旅

 

石川丈山は漢詩・隷書・築庭(東本願寺枳殻邸・渉成園の庭園など)・煎茶道にすぐれた文人で 広島時代に田中町興禅寺の付近に住んでいたという 

  石川丈山の「遊安国寺(不動院)」
  石川丈山の「遊安国寺(不動院)」

丈山の書をもとに安国寺(不動院)に遊んだ道を川沿いに歩いてみた

    この川を不動院まで上った
    この川を不動院まで上った
橋本町の厳島神社の裏にカフェがある。  周辺の桜が素晴らしい。
橋本町の厳島神社の裏にカフェがある。  周辺の桜が素晴らしい。

石川丈山の足跡

 

1583年に三河の国にうまれる

1598年徳川家康の近侍となる

1617年儒者藤原惺窩の教えを受ける

1623年広島の浅野家に出仕する

1641年詩仙堂(三十六詩仙を狩野探幽に描かせる)を築いて

     世俗を離れた生活を送る

1672年90歳没

 

 

入船山記念館は呉鎮守府司令長官官舎跡(広島県呉市)
入船山記念館は呉鎮守府司令長官官舎跡(広島県呉市)

2016・4・3

「頼山陽ネットワーク」 

   顧問 一先生

 

先生は竹原頼家の出身で 広島大学教授をされておられた 其のころ 呉市の入船山の館報に朝鮮通信使の記事を書いておられる  入船山館報2号6号に詳しい 驚きの根気である(当たり前)

 

その館報10号では頼春水 春風 杏坪 山陽や広瀬旭荘、篠崎小竹などの広島に関した漢詩特集をしている 

 

入船山記念館は日曜には ボランティアガイドさんが詳しく説明してくれる やはり「先達はあらまほしきことなり」楽しく、目からうろこである 戦争はだめよね とガイドさんと大いに共感しあった ガイドさんはお父様が戦後大変な目にあわれたそうである 大きな力の前では 個人は従うしかなかった時代であった

 

7月2日呉空襲で1500人犠牲になり空爆で山の木が焼かれその後の台風での山のがけ崩れで1500人

入船山記念館 呉近世文書館 館報より
入船山記念館 呉近世文書館 館報より

が亡くなったという こんな目にあった私たちは 大和ミュージアムも入船山も戦争で失われた大切な物の記録記憶所であると思っている

 

ガイドさんが言うには 呉の士官の奥さんが花や茶の師範に熱心だったのは 未亡人になった時の用心だったという 海軍の関係で全国三番目に近代水道が竣工されたとか 色々勉強になる入船山記念館に皆さま一度足をお運びください

 

 

猿侯橋の欄干には鷲の像が復元された(写真中央右)
猿侯橋の欄干には鷲の像が復元された(写真中央右)

2016・3・29

吉祥「猿猴橋渡り初め

 

ネットワークで紹介のあったえんこうさんに行ってきた 猿猴橋は戦前の姿に復元された 

 

 

広島駅前は今大きく変わろうとしている

 

是もカープブームが後押ししているようだ

 

知事も市長も着物姿で紋付袴姿 やはり五つ紋付は格だ違う 

 

孫が県立広島大学の出店でお守り作りに挑戦

 

皆親切で優しい 

    お守り作りに挑戦する孫
    お守り作りに挑戦する孫

待つ間世話係の女性と話すと「着物は好きだけど持ってない親も」 と話していた

 

以前上海の人に 民族衣装はと聞くと 「それが微妙なんですよね」 という少々の変遷はあっても 和服があることは

 

幸せである 幸せであることを伝えていかなくてはと思う(元は和服も呉の国から来た文化で呉服という言い方が残っている)

 

 

    「えんこうさん」の幟
    「えんこうさん」の幟
  河童の扮装の係り員
  河童の扮装の係り員

 戦前手刺繍帯を二部式にした。石村製、作成時間1時間
 戦前手刺繍帯を二部式にした。石村製、作成時間1時間

2016・3・27

帯は切らない?

 

二部式帯の話が出た

絶対に帯だけは切らないという人がいる 洋服の場合 何十万の布でも裁断して体に合わせるというのに

着物は最後には はたきになるというぐらい案外切るのに抵抗がない 

 

長い間の日本女性の遺伝子に組み込まれている何かが邪魔をするのか 数回しか使わず箪笥の肥やし 最後は断捨離、リサイクル 上等の帯ほどこの憂き目にあっているようだ 古い着物コレクターの池田重子さんも二部式帯にしておられたと 何かの本で読んだことがある

 

絹の寿命は100年と聞いた 明治の帯はそのままではもう締められない 正倉院の絹も触ったらバラバラの粉になるという 帯と生まれたからには締めてもらいたいだろう

 

で 和装文化も残したい、もったいないと私たちは二部式帯にして着物を着る人を増やしたいと考えている 

 

帯しめは俳句の季語になっている中国後漢時代の字典 『 説 文 』 に 「龍は春分にして天に昇り、秋分にして淵に潜む」より戦前の渡り七宝 
帯しめは俳句の季語になっている中国後漢時代の字典 『 説 文 』 に 「龍は春分にして天に昇り、秋分にして淵に潜む」より戦前の渡り七宝 

  着物の刺繍のいいとこどりの蛤、茶筒 敷物
  着物の刺繍のいいとこどりの蛤、茶筒 敷物

いろいろやってみて二部式帯を作る際のコツがある いつかネットワーク会員向けに希望者あれば伝授してみたい 

 

(原本は銀座で作ってもらったもの上方式 現在のお太鼓帯揚げ帯しめを使う形の結び方は明治ごろより始まった)  

 

 

 

    四季の檜扇 宮脇賣扇庵作
    四季の檜扇 宮脇賣扇庵作

2016・3・20

起きて猶恍惚として醒(さむる)をしらず

 

広瀬淡窓37歳は九州旅行の際尋ねてきた山陽39歳のことを初対面の雰囲気としては必ずしも良くなかったが、率直に山陽のズバ抜けた逸材ぶりに感心し、惜しむらくは金銭をむさぼって礼を知らないと書いている。

 

当の山陽も書簡集の 書道具や鳩居堂への手紙に 近頃弟子になった伏見何某が 無料(青田)で書き物をしてくれと頼む あなたから礼金について言ってくれるよう 紙も粗末なのでお宅で取り揃えるようについでに頼むと書いて 送っている

 

清貧を良しとする時代に山陽の態度は率直だが (作品=自分の価値=おかね)今では それでしか判断できない事が多すぎる 年寄りにはパソコンやスマホを買うのは一苦労だ

 

先日 ひな祭り茶会で床の飾りに ある人から借りた宮脇賣扇庵の檜扇を四本飾った 後から弟子にあれは一本4~50万するのよ といったら 先に言っといてください よく見るんだったという 残念ながら 職人の力作もこんなものである とはいえ山陽の考えは また別のところにあったかも知れない

 

    国璽縮小版 書鎮 秦蔵六造
    国璽縮小版 書鎮 秦蔵六造

2016・3・15

小野湖山て誰

 

「山陽の手紙」のコーナーを書くにあたって二巻目の冒頭 湖山 文章指南 とある 正直知らない人である 本願寺さんのご縁で 又一つ知ることが出来た

 

私たちは近代史 現代史は習っていない なぜか 時間切れで自分で読んでおけであった

「汚名」を読んで広島にもこんな事があったんだと初めて知ることができた 道理で可部の方で鉄瓶の販売店ができて フランスで売れ行きがいいとやら ニュースで言ってたけど 可部にはそういう下地があって贋金になったんだとと納得 贋金だけはせんべい作るようにはいきません 

 

小野湖山は13歳にして 山陽に父に連れられ会謁し 朱子学と漢詩に志したとある 明治時代には有名な漢詩人であったらしい

頼支峰とは西園寺公望の詩会の常連であったという 私たち茶人のお馴染み 初代秦蔵六国璽.天皇御璽作成先日ひな祭り茶会でも建水など使いましたもこの仲間で 支峰ともども 東京遷都の際天皇に同行したという

 

国の在り方が変わるとき個人が流れにどのようにのっていったのか 歴史に学ぶことは多い 工芸家も同様だし 贋金を作るよう命ぜられた 現場の職人の心も 又どんなだったかと考えさせられた 秦家も可部の職人技も同じように今に続いていることに 一つ安心しています

 

 

イギリス首相官邸公務員ネズミ捕獲長 「ラリーくん」(上の写真)・元野良猫 ロイヤルウエディングに出席時官邸公式ホームページより
イギリス首相官邸公務員ネズミ捕獲長 「ラリーくん」(上の写真)・元野良猫 ロイヤルウエディングに出席時官邸公式ホームページより

2016・3・12

ネコ人気スピンオフ

「ネコの血液型」

 

ネコにも血液型があるという A B ABの三型でO型はなし日本のネコは殆どA型だそうでケガして輸血になっても問題なしらしい 

 

性格判断はこれまたネコの場合関係ないとか ある方がとある教育関係のところで講演となり 頼山陽がAB型か?という話になったら それはチョットになったとか 差別になるからいけないらしい 只の話でしょ と言いたいし 何事も表裏あり おっとり はえてして 気が利かないになる

 

AB型は八方美人といわれるが 気配りの結果でもあり 結果

二重人格者とされるけれど AB型から言わせれば本心から どっちも良く(どうでも良く)思えるという 

 

山陽の血液型は 実際わからないけれど 手紙を勉強して思うのは「気配りの人であり 優しく 且つ自信家」 皆様の山陽像を聞かせてほしいものです

 

 

2016・3・7  贋本 パクリ

 

頼山陽の日本外史も山陽50歳の頃には 盛んに贋の写本が作られたようで 弟子の岩崎鴎雨への手紙には 書肆(しょし)(しょてん)の(とう)(しゃ)(ぬすみうつす)についての報告に 原本を貸すと書き送っている

貸し料をいただく(借りてお礼をする)タダは青田と言って山陽の嫌うところ 偸写をいかんともしがたし と嘆いている 

ブログを書くとき文や絵を借りてきていわゆるコピペするとき

著作権があるので 気を遣う        

日本でも 50年たったものは無料で貸し出ししてくれる物がある、例えば国立国会図書館デジタルサービスでは古文書の 貸出 転写のサービスを行なっているし 台湾の故宮博物院でも 同様のサービス部門がある 手数料を払って借りることができるようだ

 

53日に竹原で古琴の会をするので 山陽の玉堂士碑の一節をポスターに使っている「 (ひと)()(きん)() 水耶山耶(みずかやまか) 山水の(いん) (きん)寓し(ぐうし) 人に(あら)わる」これは 欧陽脩(おうようしゅう)(すい)翁亭(おうてい)()の「酔翁の意は.酒に在らず、山水の間に在る也。山水の楽しみは これを心に得て、これを酒に寓するなり (中略) 酔っては同じく楽しみ、酔いがさめてはよく文章に記すものは太守である、太守とは誰かといえば()(りょう)欧陽脩(おうようしゅう)である」を思い起こす が、これは山陽がパクったとはいわない 

酔翁の生き方は以後の文人のあこがれであり、玉堂への最大の賛辞のように思われる さすが山陽 云えて妙これしかない で私もポスターにとなった

 (呉市蒲刈の白雪楼の天井に蘇軾の酔翁亭の記がある)

 申し込みはメールに「古琴演奏会希望」と書いてお送りください。

追って、詳細をお伝え致します。

 一般財団法人三癸亭賣茶流 石村良子

 

 

 

 

         ニャンコの夢
         ニャンコの夢

2016・2・27

ネコブーム③

 ニャンコばあばにゃんへ

 

8年前それは あまりにも突然の失踪であった 

ネコにはあらゆる事柄に人間の なぜ は通じない  

もちろん探しましたよ

 ペットロスにもなりました

 おまじないのお札も張りました

 Oさん[だれかに頭をなぐられたか、ひかれたかどっちか]これは、一刻も早くあきらめさせようという彼女なりの励ましと言う 又 Mさんいわく[しゃみせんの皮になって役にたってる]これで立ち直れるほど単純ではない 

以来

 ニャンコは めでたくばあば(この場合石村)にとりついて ばあばの人生に ネコ好き ねむりぐせ(これは起きて行動しているときの脳に顕著にあらわれる)を残したのでありました  めでたしめでたし

 

 


 あら、ずいぶん古い新聞を読んでいる!
 あら、ずいぶん古い新聞を読んでいる!

そして 盛んに私を見てニャーニャーなく「こちらに逃げておいで」という 娘が「あほらしい、なんで私が悪者なんよ と 1匹の言葉が石村と娘にははっきり解ったのであった 

          つづく

 

2016・2・22

ネコブーム② 

(今日はネコの日 ニャンニャン)

 

ネコはものは言えないけど 以心伝心、ある時 ニャンコが足にけがをして 医者に連れていくことになった

 

娘と2人でネコ用のキャリーに入れようとしたが 何かを察して逃げまどい 小部屋に逃げ込んだ

   いいゆめみてますニャ―
   いいゆめみてますニャ―

2016・2・20 ネコブーム①

 

―ニャンコは如何にしてバアバニャンになりしかー

 

ネコを飼う人が増えているという その理由に 散歩さす必要がない 鳴き声が静かである からだという


我が家にネコが来たのが12年前の冬 1歳にならないぐらいの野良ネコが外でみやーみやー鳴いている 哀れに思いこれにミルクをやったのが運の尽きであった 

なぜなら野良ネコは1食だけの恩はわすれ 食べ物くれつづけて当たり前と考える生き物だったのだ

なぜ餌を出さないと 2メーター離れたところでみゃーみゃー鳴く ネコの習性を知らなかった石村は 2度3度餌をやり続け 1か月たったごろには 家で


食事するようになったネコ(ニャンコ)に よさそうなキャットフードを選んでいるのであった 平成の御世のネコはいつの間にやらネズミを捕るという本業の代わりに 人の上に立つ術を身に付けたようなのであった

                                                                                    つづく

 

 

今でも素読が好きなのは 先生のおかげ 大きな声で読むよう教えてくださった

 

 山陽は日本外史を書く前には 史記の項羽紀の名調子を読んでから始めたと山陽先生書後にある

 

 今からでも遅くない ブログを書く前 項羽紀は行き過ぎでも何かを読んで ある時は格調高く またある時は滑稽に

 

 

 

2016・2・16

広岡浅子と四書五経の素読

 

浅さんは弟たちが四書五経を勉強するのが羨ましく内緒で聞いて覚えたとか

 

 昔は漢文の素読が学問の基本で、私の高校時代の太刀掛呂山先生は 奇しくも第一回頼山陽記念文化賞を受賞しておられる

 

 この先生の漢文の授業も素読ばかり 論語の 子曰く を しのたまわく と読んでおられた 


     富岡鉄斎の魁星図
     富岡鉄斎の魁星図

2016・2・10 梅はえらい

 

富岡鉄斎の魁星図

 

北斗七星の首星魁星にちなみ手にマスと筆 梅に乗る  

 

文昌帝君ともいわれ文章 学問の神さま 梅は好文木とも呼ばれる                   

 

頼山陽も父春水の病床の周りに 梅の花を描いてなぐさめたという ホントかしらというような親孝行ぶり 

 

父親の春水も病床で 妻静に梅颸の号を大書して与えたという

 

 

   

2016・1・24

上海旅日記③最終日

魯迅記念館 豫園 茶館

 

朝、宿泊先のシエラトンホテルのロビーに集合

まず向かったのは魯迅記念館(写真右)

 

続いて、豫園へ。

エリザベス女王小泉元総理も訪れた茶館湖心亭がある。

このあたりは昔骨董街で地下に300軒ぐらい店があり、地下の入り口は鍵がかかっており門番がいてあけてもらうようになっていた。

 

露天の古物屋もたくさんあり、古物を買う人売る人でにぎわっていた。

 

今はみやげ物屋ばかりでお金を使う心配もない。食べ物屋が増えていた。

「茶経」とある。経はすじみちとか経歴とかいう意味。

 

書き忘れたが、昨年9月、日本に煎茶の法を習いに来てくれた上海のお坊さん2人にホテルまで来てもらい、再会した。

 

そのとき、お土産でいただいたプアール茶(右の写真)

 

 

有名な紙屋があり、以前来た時、爆買いしていると店主が鍵を閉め、我々だけにした。今考えるとあの時はなんだかんだ50万円は買った。

 

今では 29、800円に喜ぶわたし。時代がそうさせたとしか言いようがない。

 茶館にて茶の試飲。激安ツアーのせいか、皆様、財布のひもが緩い。

陸羽像にはお金が供えてある。唐の時代、書で有名な顔真卿が世界初の茶室を陸羽のために作った。四畳半の方丈の間で柱が桂の木であった。

 茶室の名前は三癸亭という。


これを見たガイドさんが「ものすごく高価な茶です」という。

 竹の箱に入って、おまけに「端午開吉」とある。

これは 53日「頼山陽ネットワーク7周年」に開けるべきお茶でしょう。皆様、上海のお二人によるプアール茶の口切にぜひおいでください。竹原の森川邸です

 

いろいろ楽しい3日間の旅、無事帰路についた。

虎穴に入らずんば虎子を得ず(虎の子はいらない)なら、百聞は一見にしかず。

今回の上海旅行は終わりましたが、時に鑑真和上、隠元禅師のご苦労をしのびつつ、「旅猿」はまだまだ続きます。

 

      雨に煙る太湖 水墨画の世界
      雨に煙る太湖 水墨画の世界

2016・1・19

上海旅日記②

蘇州、無錫

 

上海2日目は午前中州、午後から無錫(むしゃく)へ出かけた。

 

無錫にある西施の別荘(写真上)

太湖カラス貝淡水真珠を養殖。

5~10センチの大きさ。

やがて、これも世界遺産に登録されている蘇州古典庭園の一つ藕園(ぐうえん)に到着。

あいにくの雨。でも風情がある。左、傘をさしているのは姉。

 

雨のため、楽しみにしていた三国志時代の盤門(世界遺産になったばかり)見学は車中からに。この門は科挙で一番になった人のために村人がつくった。門の奥に北京に続く隋の帝が築いた運河がある。

太湖石(写真中央)のある庭園。

 

石の穴は洞窟で、仙界の入口とか。


夜は「大富豪酒楼」というお店で、上海蟹をいただいた。

 

                        続きます。

 

2016・1・18

上海旅日記① 呉の国へ

 

シェラトン229、800円に飛びついて、昨年末、上海蘇州無錫3日の旅に出かけた。 

上海空港から市内へ。

午前中は晴れ。

 

車中より森ビルが見える(写真右)

 


 外灘(わいたん)観光へ。

 

左は姉

 真ん中はガイドさん(25歳)

右が石村

上海博物館(写真右)

 

 入館料が無料のため人が多い。

文人の書斎。七弦琴(写真上)

 日本の茶道具、焼き物もここから来たと実感。

 どうしても猫派(写真下)


 夕方は新天地へ。

 

かつて後ろのビル(写真左の一室をジャッキーチエンが5000万で買い、皆驚いたが、現在5億の価値になっており、やはり先見の明あり、という事になっているとか。

 

 

2016・1・12 デヴィッドボウイ逝去す

 

広島初のコンサート(1973年4月広島郵便貯金ホール) まさに夢でも見ているのではという不思議な空間だった

最前列を予約していたのに 行ってみたら人が座っていた

急遽 パイプいすの最前列が作られ何とも貧相な席だったけど 最前列を

予約するような人は熱い 皆 勝手に盛り上がり 気が付いたら皆帰り

取り残されていた

レザー光線を駆使したステージは 美しく 革新的 まさにロック 

変化を恐れぬ心は 私の星でした

 

 

2016・1・10  びっくらぽんの面白さ

 

新年は何でも はつ~ が付くのがうれしいですよね

頼山陽初めとして 見延典子著「すっぽらぽんのぽん」を お勧めします

 

頼先生は 山陽は春水にのっかかっただけ(交友関係)といわれますが

静も義斎の「よの中に道より外は何事もすっぽらのぽんにしておけ」という人生観に励まされたことでしょう 親の背中を見て育つ 参考になります

 

いまさらですが びっくらぽんの面白さ です

 

石村良子様

 

ありがとうございます。しかしながら、『すっぽらぽんのぽん』(2000年)では静(梅颸)の歌人として生きた日々、才能、残したものへの言及が不足しているのに気づきました。

 

どこかで書きましたが、「○○の母」という言葉(もしくは「○○の妻」)などという言葉は、戦時中の婦女教育の一環ではなかったのでしょうか。『すっぽらぽんのぽん』を書いた16年前には、その点まで思い至りませんでした。

 

山陽の文学的才能は、父の春水からはもちろんですが、母の静(梅颸)から受け継がれたものが大きいと思います。

 

現在、放映中の朝ドラを見るにつけ、大阪の女性の強さ、したたかさを感じます。いずれは『すっぽらぽんのぽん』を女流歌人静(梅颸)の成長物語として小説で書き改められないかと考えておりますが、さていつ形になるか……(笑)

 

                       見延典子

 

 

2016・1・7  1月7日は七草粥、七草爪

 

17日は人日の節句で七草粥を食べ 七草爪といって初めて爪を切り 邪気をはらう日です(中国 東方朔の占いの本より一月一日に鶏と順に占い七日に人を占う この日晴れれば吉 ちなみに節句はすべて邪気払いの日です)

 

頼静子の「梅颸日記」は 江戸時代の節句の様子を知ることが出来る 貴重な日記です 大切にするとか言うのとも違う生活の一部の節句の様子が書かれています

 

「君がため 春の野に出で若菜摘む わが衣でに 雪はふりつつ」という 歌もありました これも生活の一部という時代が日本にはあったんですが といっても天皇様の歌ですが 若菜摘みは旧暦2月にあたります

 

今や若菜はパックで買う物となり 結構な量になるので 毎年食べすぎ具合が悪くなる有様です(我が家はサツマイモまで入れる)

 

とりあえず邪気をはらい1年元気で過ごしたいと思います

 

 

 

   見延典子
   見延典子

 

『汚名』(本分社)

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 近砂敦著『耶馬渓』

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