特に記載のない場合は見延典子が書いています。

2021・10・21

杏坪柿まとめ

 

 ひろしまフオト歩きさんが写してくださった杏坪柿をまとめておく。

柿の木の説明版に「杏坪 文政2年(1819)に植えた柿の木」とある。杏坪は1813年(文化10)恵蘇代官になった年から柿の木の植栽を奨励して、当初は2000本余りを植えさせたという。

 杏坪は、飢饉対策以外にも柿渋を使用して殖産も考えていたという。

 素朴な疑問…この柿は渋柿で、現在 柿の実はどのように活用されているのだろうか。


 説明版に「頼杏坪充糧碑」の碑文が載っているが、正しくは「充糧碑課民種柿三〇四六」で「」が抜けている。このままだと文政庚寅(1830・文政13)に柿の木を3046本植えさせたことになる。正しくは1813年から植えさせた柿の木が16年かけて3046本になり、翌年碑が建てられたということのようである。また現在、杏坪柿は2本しか残っていないという。伊丹市の「山陽柿」も原木は枯れた。伝え続けることは難しさを感じる。

 


ひろしまフォト歩き

 上の写真/その中で、まず疑問が解けたのは昨日17日付けの疑問である。日吉神社を遠くからみれば、上の写真のようになり、マップに載っていた写真とほぼ同じである。

2021・10・18

ひろしまフォト歩きさん

「杏坪柿、日吉神社再訪」

 

 昨日からの冒頭写真でおわかりのように、ひろしまフォト歩きさんが庄原市を再訪し、杏坪柿や日吉神社の写真を写してきてくださった!

 

この建物が明治41年に写された建物か
この建物が明治41年に写された建物か

次にそもそもの疑問・・・10月5日付けで掲載した明治41年発行『頼杏坪伝』の口絵に掲載された日吉神社の写真と、現在の日吉神社の社殿が異なることへの疑問について。


日吉神社を再訪されたひろしまォォト歩きさんは「正面から参拝すると普通の神社の趣でしたが、草の茂る中を歩いて右の奥へと回り込んでみると、写真と同じような古めかしくも風格ある『本殿』が静かに佇んでいました」「この建物が『日吉神社』に違いないと確信しました」

 

ひろしまォォト歩きさん、ありがとうございました!

 

10月15日付けとは異なる日吉神社
10月15日付けとは異なる日吉神社
「庄原市山内自治振興区」に関する資料 
「庄原市山内自治振興区」に関する資料 

2021・10・17

山内歴史探索マップ

 

 お嫁さんからお土産に、「庄原市山内自治振興区」に関する資料をもらう。歴史ある杏坪柿を残していくため若株を2017年12月に現在地の山内小学校のプール西側の丘に移植したことなどが書かれている。現在は2本が残っているが、いずれも私有地にあるようだ。

 もう一点、地域のマップには日吉神社の写真が載っているが、先日ひろしまフォト歩きさんが写してくださった建物とは明らかに異なる。周辺の木や背景の建物も異なる。近年建て替えたのか。もう少し調査が必要だろう。

 


10・15

ひろしまフォト歩きさん「頼杏坪ゆかりの日吉神社(庄原市)」

 

 お嫁さんが「庄原市山内自治振興区」の方に確認したところ、日吉神社の社殿は、鳥居の正面にある建物であることがわかりました。

日吉神社
日吉神社

 日吉神社では、頼杏坪が地元民のために敬老会の図や雨乞い祈祷の図が所蔵されているそうです。ただ、当時は「山王社」と呼ばれていました。いつから日吉神社になったかなど、詳細はまだ不明です(見延記)

 

日吉神社の鳥居
日吉神社の鳥居

 その社殿の写真は、ひろしまフォト歩きさんも写してくださたのですが、10月9日付けで紹介した明治41年の写真とはかけ離れているため、疑問のままだったのです。

境内にはこんな建物も。
境内にはこんな建物も。

 写真/ひろしまフォト歩き


2021・10・13

杏坪柿

 

 ひろしまフオト歩きさんに次いで、お嫁さんが広島県庄原市山内町まで行き、「杏坪(きょうへい)柿」の写真をとってきてくれた。

 3046本も植えたというのに、今は2本しか残っていないという。この木も雷に打たれて、幹の部分が大きく損傷している。

 頼山陽の叔父さんの頼杏坪が三次奉行だったころ、飢饉に備えて柿を植えた。それをわれわれは「杏坪柿」と呼んでいる。

雷に打たれて、幹が損傷いている。
雷に打たれて、幹が損傷いている。

小ぶりな渋柿。

来年こそは見にいきたい。

 

 

 


農業用のため池の中に建つ「義民の碑」
農業用のため池の中に建つ「義民の碑」

 道路際には説明看板に加え、石碑と灯籠が建てられていました。

 天明年間、当地においても大変な飢えに苦しみ、農民たちはやむなく一揆を起こしたものの、藩との合意の上で中止。ところが、その藩が約束を破り、その首謀者として二人をこの地で処刑。その後、地域の人々の犠牲となった二人に感謝し、行ないを称えて後世にそのことを伝えようと「義民の碑」を立てたと言う。それが、この池の中にある碑なのです。

詳しくはひろしまフオト歩き

 

2021・10・11

ひろしまフォト歩きさん

「義民の碑」

 

 広島県庄原市山内町で日吉神社を探していると、「義民の碑」に関する情報に出会いました。

 処刑地を示す石碑
 処刑地を示す石碑

2021・10・9

ひろしまフォト歩きさん「頼杏坪ゆかりの充糧碑(庄原市)」

 

『頼山陽 史跡 詩碑めぐり』に掲載したいと 見延からお願いして、広島県の県北に行かれることの多い「ひろしまフォト歩き」さんに庄原市にある頼杏坪ゆかりの日吉神社の写真をとってきていただきました。

 下は日吉神社境内にある「充糧碑」です。飢饉に備え、柿の木を3046株植えたことを記念して、文政庚寅(13年)に建てられてものです。

 この碑は明治41年発行の「頼杏坪伝」の口絵に載っていますが、すいぶん印象が変わっています。

 日吉神社については、上記に写っているような建物の確認がとれていないため、現在調査中です。いずれ「ひろしまフォト歩き」さんのサイトでも紹介されるでしょう。

「ひろしまフォト歩き」さん、ありがとうございました。           

                        見延典子

 

20196・24

ひろしまフォト歩きさん「運居」

 

「頼杏坪役宅」を訪ねてみました。頼山陽の叔父にあたる「頼杏坪」が、三次町奉行をしていた文政11年(1828年)から2年間余り住んでいた役宅「運居(うんぺききょ)」です。

建物内に入って見学はできませんでしたが、古風な茅葺の建物と季節の花咲く庭が印象的でした。


 第18回頼山陽記念文化賞を受賞の「頼杏坪先生を読む会」
 第18回頼山陽記念文化賞を受賞の「頼杏坪先生を読む会」

 机を見ると織田俶明さんの「頼杏坪今月の漢詩」がおいてある 漢詩読み下し現代語訳のなかの現代語訳のみ御紹介

これは現在 古文書教室で習っているところ

 

「食べて眠る(二)」

 

みことのりを伝える身分になろうとは考えてもいなかった。

旅の身の官吏である私は、今山陰に近接した土地にいる。

このやさしい目つきは、住民を大切に思う気持ちの表れであり

白髪頭は、お国のためにつくそうとする心を示すものだ。

早瀬で川魚を捕え、林の中の店は林檎を売る。

昨夜は広島あたりの夢をみた。

(もや)が襖のように、一面にひっそりと垂れこめてくる音を聞く。

 

 

 

2017・10・31

石村良子代表「運居②」

 

居は半世紀ぶりに屋根が張り替えられ きれいな茅葺になっている 中には 雲甓(うんぺき)(きょ)文庫があり見延さんの頼山陽もある。

 頼杏坪今月の漢詩
 頼杏坪今月の漢詩
 改装のかやぶき屋根
 改装のかやぶき屋根
 凶作に供え麦を蓄えた三次社蔵
 凶作に供え麦を蓄えた三次社蔵

 玄関
 玄関

3時の約束が少し早く着いたら 中村さんが一生懸命草取りをしておられました 「遠くから来られる方のために、少しでも気持ちよく過ごしていただけるように」とのことです

 江戸時代の敷石
 江戸時代の敷石
 杏坪書屏風
 杏坪書屏風
 天井が丸い2畳の杏坪書斎
 天井が丸い2畳の杏坪書斎

2017・10・23

石村良子代表

頼杏坪役宅「雲甓(うんぺき)(きょ)

 

台風をついて 三次にある頼杏坪役宅「雲甓(うんぺき)(きょ)」に行きました

 雲甓居入口
 雲甓居入口

楽しいお話に時間をわすれ、来てよかったと心から思える 三次の「おもてなし」でした

 竹原頼家 頼芳樹扁額
 竹原頼家 頼芳樹扁額
揮毫する、東京大阪の方の名も
揮毫する、東京大阪の方の名も
 干し柿のおもてなし
 干し柿のおもてなし

この冊子は「備北観光ネットワーク協議会」が作成しています

2017・10・10

ひろしまフォト歩きさん

頼杏坪とその時代に関する記事」

 

広島県三次市・庄原市の旅ガイド「ひろしま備北のかがやき」Vol18秋・冬号の14~15ページに、頼杏坪とその時代に関する記事が掲載されています。

 

 

広島市内でしたら、おそらく中区本通りの「ひろしま夢プラザ」にも置いてあると思います。

 


ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

『俳句エッセイ 日常』

書店では取り扱いません。

残部僅少!

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石村良子代表の編集

『頼先生遊記帖』(『十旬花月帖』) 

  好評発売中!

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

「頼山陽と戦争国家

感想② 感想③

感想④

南々社
南々社

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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