2020・4・17
山根兼昭さん
「美濃の国」と頼山陽
大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀の育った「美濃」が脚光を浴びておりますので、美濃の歴史と頼山陽について語ります。
1、美濃の歴史
岐阜県は、江戸時代まで北半分が「飛騨の国」、南半分が「美濃の国」でした。「美濃」の地名は、以前大垣青野、揖斐大野、各務野の総称が三野ー美野ー美濃と言われております。
室町時代後期、美濃の国の守護・土岐氏、守護代・斉藤氏(斉藤道三1494~1556)が治めておりましたが、1557年稲葉山城主・斎藤龍興を、織田信長が滅ぼし、以降「美濃」は信長が治めたのであります。この時、信長の美濃攻めで有名なのが、木下藤吉郎が、「起し」の対岸、墨俣に築いた一夜城であります。
また、江戸時代、尾張藩の領地は、尾張、三河、美濃でしたので、山陽の弟子・美濃の村瀬藤城は、「尾張53ヶ村の総庄屋」と言われる豪農でありました。
江戸時代まで、「木曽川」は「岐蘇川」と言われ、美濃の中心地「井ノ口」を信長が「岐阜」と付けたのも「岐蘇川」の岐、阜は丘陵地のことであります。
頼山陽の「舟大垣を発し桑名に赴く」の詩、「蘇水遥々海の入って流る・・・」と木曽川を蘇水と詠んでおります。
2、ドラマの登場人物
織田信長(1534~1582)、豊臣秀吉(1537~1598)、徳川家康(1543~1616)、明智光秀(不明)
4月19日放送は1553年の設定、信長19歳、藤吉郎16歳、竹千代10歳、光秀26歳?推定
1556年斉藤道三は息子龍興に敗れなくなります。1560年桶狭間の合戦、面白くなってきました。
このドラマで、明智光秀の印象が大分変って来たと思いますが、若し本能寺の変がなかりせば、信長、秀吉、家康の関係はその後どうなったか。
日本の歴史がどうなったか、「巣ごもり生活」で手持無沙汰の方はご推測ください。歴史にタラレバはないといわずに。